藤澤清造著『根津権現裏』感想 これが代表作か……?

西村賢太が心酔しているという理由で読んだんですけど、冗長感はありますね。

不朽の名作ではないでしょう。少なくとも賢太の影響なしで復刊があったかどうか疑問。
そして読んだ感想としては、うーん、それほど面白いとも言えない。

位置: 1,237
ただ僕は君に聞きたいのは、あの女の容貌なんだよ。どうだろう君、あの 面 つきの女と、僕は結婚して好いだろうか。」
「そいつあ困ったなあ。」
「どうしてさ。少しも困る訳がないじゃないか。僕はそれを 忌憚 なく君に云って貰いたいんだ。」
「だって君、それこそ能く云うやつじゃないか。ええ、 縞 と女房は好き好きだって。だから、其の点に就いてなら、僕にはなんとも云えないなあ。」

明治の男性も、やっぱりカミさんの風貌の客観的評価が気になるのね。当たり前だけど、そんなことを伝えてくれるのは文学だけだからさ。

位置: 1,256
「これは君も知っていてくれるだろうが、僕には丁度、君が恋愛至上主義者であり、また結婚尊重論者であるように、僕は容貌至上主義者なんだ。僕から云えば、女の凡べては其の女の容貌に現われているものなんだ。

文学じゃないと言えないこと。

位置: 1,888
私の見るところ、これは現在や過去の 徳操 善因 の 然 らしむるところではなくて、要は、死んで行く其の者の生活機能の衰弱が、襲いかかる死の手に抵抗する力さえも持っていないところから、爾く帰するもののように死に就いて行くのだと思う。

古語らしい言い回しだが、心地いいよね。爾(しか)くなんて使わないもの。

位置: 1,910
それが私には、哀れにもかなしかった。

これも。哀れにも悲しかった。いい表現。

位置: 2,109
要は其の者の任意に委するより外はない。ただ私から云えば、他に 往くべき 途 を失って、遂に死に逃れるより外には、もう何らの手段方法も尽きてしまって、いよいよ死に就く時には、せめて其の場所や方法だけは、出来るだけ清く潔くありたいと思う。

尊厳というやつ。

位置: 2,114
私に云わすれば、彼は卑しさに卑しさを加え、醜さに醜さを重ねて、なお恬として恥ずる色なしと云った風なのだから、私は泣きたくなるのだ。

心地よいな。恬(てん)としても言わないね、最近。

位置: 3,227
行く路々も僕は、君が聞いたら 嘸 怒ることだろうとは思ったが、しかし僕は一旦そうと思いたつと、もう行ってみなきゃ凝としちゃ居れなくなってくるんだ。こうなんだか、まるで 憑 きものでもしたような風になってくるんだ。幾くら途中で、止そう止そうと思ったって駄目なんだ。もうそうなると、独りでに引っぱられて行くような風になってくるんだから……」と云うのだ。
何しろ岡田の云うところを聞いて判断してみると、彼にはただ感情あるのみで、微塵理性らしい理性さえも持っていないのだから始末が悪いのだ。つまり彼は、こうしたいと云う気持ちだけがあって、それは実行して善いことか悪いことか、それを考える心の働きがないのだから困るのだ。

うちの妻もこういう所、ある。気持ちばかりが先走って、理屈がまるでない。こういうのは厄介だよね。

位置: 3,493
「僕は此の世の中に、無知な者ほど恐ろしい者はないと思いますね。それとともに、幾くら其の人に学識があっても、其の人自身がおぼっちゃんな位悲しいことはないと思いますね。

おぼっちゃんというのは褒められないね。世間では。けなし言葉ですら、ある。

位置: 3,543
ただ僕の云いたいのは、それをするにも、其の人自身が、苦労をしていなきゃいけないってことなんです。少しむずかしく云えば、其の人は、其の為に徒らに、人に迷惑などを掛けないだけの用意を、つまり、人格を持ってかからなきゃいけないってことなんです。

三代目金馬のマクラに『学問のできるりっぱな人よりも、なんにも知らぬ苦労した人』ってのありますが、まさにあれ。実感おじさん。これ、明治の価値観だよな。

位置: 3,571
で、こう云う恐ろしい醜いことが、どうして起ってきたのかと云いますと、僕はこれは、あの人が苦労人でないこと、人格らしい人格も持っていないせいからだと思いますね。

苦労信仰。行き過ぎると「苦労していないやつはだめだ」になる。目的はあくまで「人格らしい人格をもつこと」なのにね。

位置: 3,589
学問と云うものは、僕達に取っては、口にすることも出来ないほど大切なものなんです。丁度それは、目の悪い者が、目医者にかかってるようなものなんです。──ただそれを僕達が修める時には、先ず僕ならば僕と云うものを、深く耕してかからなきゃ駄目なんです。でないと、折角おろした学問と云う種も、花もつけずに腐ってしまう虞があるからです。よしまた花をつけても、それは至ってちっぽけな花で、咲いても咲かなくとも、同しようなものになっちゃいます。既に花がそう云った風ですから、実のことは云うまでもありません。

ショーペンハウエル『読書について』みたいだ。

位置: 3,612
──『苦労は人間を作る基である。』若しくは、『苦労をしない人間は、本当の人間ではない。』僕はこう云いたいと思うんです。」と云った時には

明治だ。しかし未だに根強いよね。

位置: 3,751
そして、後には皆それは貧乏故に怠っていたのだ。道理も苦痛も知りぬいでいたが、貧乏故に仕方なく怠っていたのだと云うことがはっきりしてきた。はっきりすると私には、それが人ごとのように思われなかった。病質には幾分相違はあっても、実に其の悲哀、其の苦痛は、現在私が嘗めつつあるところのものだからだ。また私はそれと気づいた刹那には、彼の生涯を、私は私自身の上に見るような感じに打たれてきた。

貧乏故に怠惰ということ、あるよね。負のスパイラル落ちてる人、いっぱい知ってる。

位置: 3,800
それにつけても、ただ欲しいのは金だ。

悲しいね。

位置: 3,979
そして、貧しい者の負うべき凡べての不幸と云う不幸を負うて、悲痛の山路から死の谷へ向って、歩いているのではない、歩かせられているのだ。もう此の上は、幾くら焦心しても、私達は此の寂しい苦痛の一路を辿って行く外には、何処をどう探しても、もう他に行くべき路と云う路はないのだ。そして、もう既に、岡田は其の路を辿りつくしてしまったのだ。

ここまで読むと、貧乏のせいにし過ぎという気持ちもある。貧乏なのは結果であって原因ではないよ、と言いたくなる。

位置: 4,171
だがしかし、それが本当になるにや、君ももっともっと先へ行って、自分で自分の命へ手をかけてみるようになる時がこなきゃ噓だ。そうなった時に初めて、僕達の苦労と云うものが、──貧しい上に、病気と云う攻め道具でもって、これでもかこれでもかと云った風に、攻めさいなまれる苦しみと云うものが分るのだ。」

貧乏なうえに病気もある。今で言うなら生活保護を受けるレベルなんだろうか。
生きることが罰のように思える境遇は、確かに存在しますけれども。

位置: 4,178
それを、出来ないからと云うのでもって打捨っといた日にや、 殷鑑 遠からず だ。丁度僕みたいな風に、厭でも応でも、君は其の脚を切断しちまわなきゃいけないぜ。そうなったら後は、あの跛の 螽斯 みたいになって、何時までも何時までも業を曝らすんだなあ。其処へ行くと僕のは、幸か不幸か知らないが、君が云う通り根が神経系統の疾患だけに、こいつが一ついけなくなると、僕みたいにとち狂ってきてさ、終いのはてが精神病院の便所で首を括ってしまうと云った風に、仕事は余り見っとも好くないが、其の代りそんなに手間がかからないから始末が好いと云うもんだ。君のはそうはいかないや。そうして君は脚を 踠 がれてしまってからも、何時までも何時までも、息の根のつづく限りは、業の曝しッぱなしと云うんだからなあ。

殷鑑(いんかん)遠からず、なんて現代じゃ言わないね。跛(びっこ)の螽斯(きりぎりす)も。キリギリスはカタカナだしね。

しかしこの、慇懃無礼な説明調の皮肉はしかと賢太作品に繋がっていますね。

位置: 4,463
加えてふてぶてしいのは、この作の人物配置が落語のスタイルを強く意図し、会話の間合い、 罵倒 のリズムもそれに影響を受けている点もさることながら、 台詞 の言い廻しや地の文にも地口に通じる 粋 なギャグが盛り込まれていること、また清造得意の毒舌を、一種のレトリックとして巧みにその文体に取り入れている点も、ゆめゆめ見逃がせないところである。

言うほど落語的かしら。会話描写が長いので、つよく否定するものでもないけど、江戸っ子でもないし、粋とはまるで違う。

スタイルだけの踏襲であれば、、、とも思うけど、とはいえそれほど落語的とも思えない。馬鹿馬鹿しさやナンセンスもまた、落語だからね。

The following two tabs change content below.
都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする