『五分後の世界』は異世界転生モノ 3

こういうifの話は面白いけど、そこにイデオロギーが露骨に入っているのを見ると引きます。

p156
どういうことですか? と小田桐は聞いた。答えてくれたのはマツザワ少尉だった。 「沖縄を犠牲にして無条件降伏した場合は、最終的にアメリカの価値観の奴隷状態になるという予測が出ました、経済的な発展のレベルは何段階かありますが、結果は基本的には同じ ことで、つまりアメリカ人が持つある理想的な生活の様式をとり入れて、そのこと自体を異 常だと気付かないということ、文化的な危機感は限りなくゼロに近づいていくので、例えば 日本人だけが持つ精神性の良い部分を、アメリカが理解せざるを得ないような形にして発信 するという可能性はなくなります、そうですね、アメリカでとてももてはやされている生活 のスタイルがそのまま日本でももてはやされる、それに近い状況になるということでしたね、 政治的にはアメリカの顔色をうかがってアメリカの望むような政策をとるしかなくなる、外交面では特にその傾向が強くて、日本の政治力、政治的影響力は国際的にゼロかもしくはマ イナスになります、マイナスという意味は、日本の外交能力のなさ、外交政策決定力のなさ が国際的なトラブルの原因になることもあり得るということです、具体的に言うと、アメリ カ人が着ている服を着たがる、アメリカ人の好きな音楽を聞きたがる、アメリカ人が見たが
る映画を見たがる、アメリカ人が好きなスポーツをしたがる、ものすごく極端に言えば、ラ ジオからは英語が流れて、街の看板もアルファベットばかりになり、人々は金色や赤に髪を 染めて、意味もわからないのにアメリカの歌に合わせて踊る、というところでしょうか、そしてそれが異常なことだと気付くことができないくらいの奴隷状態に陥る、それにしてもあ なたを見てると、やはりシミュレーションにすぎないということがよくわかります、あなた は髪を金色に染めたりしていません」
マツザワ少尉はそう言って小田桐に笑いかけた。いや本当は今あなたが言った通りなんで す、と小田桐は言おうとして、止めた。

マツザワ少尉の口を借りて、現代日本・日本人への不満を吐露しています。
あたくしもアメリカ至上主義、日本のスネ夫根性には辟易するところがありますが、とはいえこういうユーモアを交えず言われると同調しかねるという感情もなくもない。
大体外交能力のなさと文化的思考があまりに単純化されすぎてやしないかしら。

p204
もういい、ミズノ少尉は老人を椅子に坐らせ、査問を切り上げようとした。わかった、こ こで今貴様の弁解を聞いてもしかたがない、もう止めろ、それと、言わせていただくとか説 明させていただくとかいったい誰が使い始めたんだ、そういう妙な日本語は禁止せよ、貴様 は誰かに許可を得たり誰かに依頼されて話しているのか? 自分の意志と責任で話している のだろう? 言います、説明します、で充分ではないか、ミズノ少尉は不快そうに老人に向 かって言った。

気質と合わないんだよね、正確な言葉遣いって。日本人のことなかれ主義と食い合わせが悪い。政治家言葉ってやつもそうです。妙にへりくだって慇懃無礼。「お示しさせていただく」なんて平然と言いますからね。

p216
若い兵士達と握手をしただけで、わけのわからない懐かしさに囚われた。中学の、一年か二年の頃だろうか、本当に短い時期だったが似たような雰囲気の友人達がいた。名前も顔もよく憶えている。とりあえず大人に近い体格と体力 もついて、世の中の仕組みみたいなこともある程度わかって、大人になった自分をイメージする必要もまだなくて、女の裸もそう大して重要ではなく、自分達にできることがエスカレ ートしていくのが楽しくて、母親のことも忘れることができた。ずいぶん長いことその時期 のことを忘れていたんだな、と小田桐は思った。

ふとした瞬間に、そういうことってあります。ひどく感覚的な話で、わからないと言われればそれまでなんだろうけど。やはり筆に力がある。

p233
立ち上がったビートはゆっくりと増幅され、加速されていく。 テンポが速くなるわけではない。リズムキープの中で発生するシンコペーションの間隔が少しずつ短くなっていくのだ。演奏する時も踊る時も、シンコペーションは基本のオンビート に合わせるのではなく、ある瞬間をキャッチするようにして発生させなくてはならない。そ のキャッチしたポイントをパターン化して繰り返していく中で、さらにシンコペイトするポイントを捉えそれもパターン化してしまうと、最初のオンビートはどこかに消えてしまう。
それがゴキゲンな気分を生むわけだが、ワカマツはシンセサイザーでポリリズムの隙間を埋 めようとしている、それは無限に近い長い周期を持つポリリズムを少しずつ癌細胞が侵して いくようなものだった。ゴキゲンな気分がゆっくりと他のものに変わっていくのだが、そん なことに気付くものは誰もいない。代謝物質が垂れ流しになったり急に出なくなったりして いるのだ。本当に『向現』に似ているな、とクリハラやコバヤシが囁き合っている。でも 『向現』はもっとスムーズな感じがする、これはギザギザして尖ってるみたいだ。音量は、 ゆっくりと、ほんの少しずつ、しかし確実に大きくなっていった。信じられないほどゆるや かに進行していくクレッシェンド、これは止まることも逆行することもひょっとしたらあり 得ないのかも知れないと人々が思った時、あちこちでざわめきの渦が起こり、パニックの芽 が生まれた。黒人パーカッショニスト達は踊り笑いながら汗だくになってプレイしているが 実際には恐ろしく長い周期のリズムパターンを繰り返しているだけだ。ワカマツは既に機械 的な演奏に移行している。演奏中のひらめき、ちょっとした工夫、高揚した気分が行なうフェイク、聴衆との一体感が生み出す親和的なブレイク、そんなものは何もない。圧倒的なポ リリズムの嵐はありとあらゆる即興性への憎悪と軽蔑で成立していた。ヒンポイントのタイミングで代謝物質をコントロールするためには即興性は徹底的に排除されなくてはならない。

洗脳に音楽が使われるというのも例の一つで、人間の脳というのは聴覚からも狂わされやすいのかもしれません。それを暴力的に力強い筆で表現するとこうなるのでしょう。「無限に近い長い周期を気を持つポリリズムを少しずつ癌細胞が侵していく」なんて独特の感覚ですよね。コインロッカーベイビーズにもそんな描写が出てきたような気がします。

やはり、ドラッグと音楽に対する憧憬と信念のようなものを、彼の作品には感じます。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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