森見登美彦著『シャーロック・ホームズの凱旋』感想 もがいてるなぁ

おかえり!我らの森見登美彦! とは簡単にいかない。

「天から与えられた才能はどこへ消えた?」

舞台はヴィクトリア朝京都。
洛中洛外に名を轟かせた名探偵ホームズが……まさかの大スランプ!?

—–
この手記は脱出不可能の迷宮と化した舞台裏からの報告書である。
いつの間にか迷いこんだその舞台裏において、私たちはかつて経験したことのない「非探偵小説的な冒険」を強いられることになったわけだが、世の人々がその冒険について知ることはなかった。スランプに陥ってからというもの、シャーロック・ホームズは世間的には死んだも同然であり、それはこの私、ジョン・H・ワトソンにしても同様だったからである。
シャーロック・ホームズの沈黙は、ジョン・H・ワトソンの沈黙でもあった。
—–(本文より)

序盤は「森見登美彦、復活か!」と思わせる出来。己のスランプを、ホームズのスランプと上手に重ね合わせ、その迷走ぷりに体重が乗っていてよかった。やはりルサンチマンを書かせると氏は素晴らしい。

しかし後半については、意見が割れるだろうな。やっぱりスランプは抜け出せなかったという印象。上手く煙に巻いた、という風にも言えるし、何も解決していないとも言える。ホームズという最高級のネタ元を活用したんだから、もうちょっと納得いくものを読みたかったとは思いましたね。

それにしても、我々の求めている森見登美彦にはまだまだ及ばない、と感じるのはなぜだろう。勝手に敷居を高くして、勝手に失望しているのは紛れもない我々・森見登美彦ファンなのだ。

第一章 ジェイムズ・モリアーティの彷徨

位置: 506
ホームズはレストレードの背中を優しく叩いた。
「レストレード、もう這いつくばるのはよせ」
「こんなゴミ虫を許してくださるんですか、ホームズさん」
「ゴミ虫といえば僕だってゴミ虫さ。もういいよ。すべて水に流そう」
ホームズはレストレードの腕をつかんで立ち上がらせると、額にこびりついている栄養価の高い埃を払ってやり、涙と鼻水を 拭ってやり、同じテーブルに腰かけさせた。

「あのホームズが」と、シャーロキアンなら思うはず。そこが森見登美彦の味付けですね。合わない方もいるでしょうね。あたくしはこのギャップが大好物。露口茂氏の声で脳内再生されます。

位置: 681
「まずいぞ、ホームズ。メアリがくる!」
「どうしたんだ。何をそんなにオロオロしている?」
「もう君とは会わないって約束したんだ。ここに来ていることは内緒なんだよ」
「阿呆 なのか、君は」ホームズは呆れたように言った。「どうしてそんなしょうもない嘘をつく! メアリの目が節穴だとでも思っているのか?」
「やむを得なかったんだよ。どうしよう」
「こうなったら腹をくくるしかない」
ホームズは言った。「正々堂々と立ち向かえ」
「立ち向かうなら君ひとりで頼む。僕を巻き添えにしないでくれ」
「おい、待て。どちらかといえば巻き添えにされているのは僕なんだぞ」

陳腐化された二人のやり取り。可愛いと思えるかどうか。あたくしは結構好きなんだけど、硬派なホームズが好きな人に言わせると、どうかしら。

二人の会話に女性は不要、という気持ちもちょっとわかる。

位置: 814
私はモリアーティ教授が落とした花々を思い浮かべた。
そうだったのか、と呟いた。
「あの花は、この世への別れの花だったんだな」
「いいえ。そうじゃない」
メアリが身じろぎして言った。
「あの人は助けを求めていたんです。誰かに気づいてほしかったのよ」
私はかたわらのメアリの顔を覗いた。妻は気難しい少女のように眉をひそめて、通りすぎていく街路を睨んでいた。

それほど多くを言わないんだけど、しっかりと伝わる。森見さん、文章がソリッドになってきている気がします。いよいよ文豪か?

第二章 アイリーン・アドラーの挑戦

位置: 995
「ようするに僕がいなければ書けないんだろう。つまり僕の問題は君の問題であって、僕がスランプなら君もスランプなんだよ。それなのに君という人は、まるで自分は純然たる被害者であるかのように振る舞って、すべての責任を僕に押しつけようとする。自分だけ高みにいるような顔をしないでくれ。現実に向き合いたまえ、ワトソン君」
モリアーティ教授たちと「負け犬同盟」を結成してからというもの、ホームズの言い草はいよいよ 詭弁 的になってきた。本来ならば事件解決に用いられるべき知的エネルギーが、すべて現実逃避の言い訳に用いられている。このままではスランプをこじらせる一方だ。

開き直ったホームズ。やはり森見さんの登場人物だな。詭弁が独特。

位置: 1,005
柴犬、雪だるま、伏見人形、夏みかん、きびだんご……。少しでも心惹かれるものであれば、生物非生物のへだてなく、森羅万象にメアリの面影は宿る。  そのふしぎな現象を私は「妻の遍在」と呼んでいるのだが、しょっちゅう発生することだから、そのときは気にも留めなかった。

◯◯の偏在、って元ネタがあったような気がする。なんだったっけなぁ。

偏在って「固まってあること」だから、へだてなくあることじゃないはずなんだけど。

第三章 レイチェル・マスグレーヴの失踪

位置: 2,066
たしかにアイリーン・アドラーの言うことは非の打ちどころのない正論である。
しかしそれがそのとおり実行できるかどうかは、まったくべつの問題だ。人生のドン底を這いまわっている人間には、「正論に従ってたまるか」という不条理な欲望が目覚めるのである。

この偏屈さ!これが森見の料簡ですよね。
これが好きな人が四畳半であり夜は短しのファンであるわけだ。

第四章 メアリ・モースタンの決意

位置: 3,332
「業務協定を結んだのだから文句は言えないがね。この一週間、ゆっくり下宿で眠る暇もなかった。出町柳の 阿片窟 へ侵入して、大原の里へ聞きこみに出かけて、南禅寺 水路 閣 で無政府主義者と格闘して……。いやはや、たいへんな一週間だった」
「しかし顔色はずいぶん良くなったようだよ」

本家シャーロックのあの話・この話に通ずるやつ。ファンならニヤリのこのシーン。
しかし京都大学あたりの地名が出てくるだけで楽しくなっちゃうの、なんでだろうな。森見さんの発明だと思う。

位置: 3,337
ホームズは暢気な声で言って、パイプの煙を吹いた。
「どんな事件もアドラーさんが解決してくれるんだ。正直、ここまで気楽とは思わなかったよ。こんなことなら、もっと早く彼女に助けを求めればよかった」
それはかつてのホームズからは考えられない発言であった。なぜなら彼は、いついかなるときも挑戦しがいのある謎を求めていたからだ。全力を尽くして謎に取り組んでいるときだけ魂が安らぐ、というのがホームズの「探偵としての業」であるはずだった。しかし今のホームズは、アイリーン・アドラーに下駄を預けて、すっかり心安らいでいるらしい。

ファンなら少なからず「こんなのホームズじゃない!」と思うはず。だから、「この話、どんな裏があるんだろう?」「この世界はフェイクか?」という期待と不安が生じて、読み進める原動力になる。

面白いんだけど、この謎が最後はちゃんと納得いく形で結論が出たかと言われると、あたくしとしては答えに窮する。

位置: 3,348
「それなら君はモリアーティ教授を見捨てるのか?」
マスグレーヴ嬢の帰還によって十二年前の迷宮入り事件は解決したように見える。しかしそれはモリアーティ教授の失踪によってもたらされたものである。古い迷宮入り事件が、新しい迷宮入り事件に置き換えられたにすぎないのだ。
ホームズは眉をひそめて暖炉の火を見つめ、「助けようと思えば助けられるさ」と言った。「べつの誰かを犠牲にすればね。しかしそれでは何の解決にもならないことぐらい君にも分かるだろう。〈東の東の間〉に爆薬でも仕掛けてみるかね?

ホームズの持つ無念さ、嫌いじゃない。
けど、そこにはちゃんと解決があってカタルシスが設けてあってほしい。

位置: 3,540
「あなたのように偉大な探偵は人類の宝だ。末永い御活躍を祈っていますよ」
そして彼はふたたび人垣を押しのけるようにして歩み去っていった。
メアリはあっけにとられていた。セント・サイモン卿の 弁舌 には真実を感じさせる手応えがまるでなく、あたかも喋り散らす自動人形のようだった。彼が身をひるがえす瞬間、その顔から拭い去られるように笑みが消えたのも不気味だった。

さぁ、ここからだ!面白い!どうなる!!と思っていたら問題の五章。

第五章 シャーロック・ホームズの凱旋

位置: 4,964
ホームズは私の腕をつかんで力づけるように揺さぶった。
「しっかりするんだ、ワトソン。あらかじめ準備しておけば、メアリの霊を演じるなんて誰にでもできる。君はメアリへの罪悪感に苦しんできた。彼らはインチキ降霊会という手段を使って、君の弱みにつけこもうとしたんだ。そんなことをする理由は、もちろん君がシャーロック・ホームズの元相棒だからさ。なにゆえ僕たちが袂を分かったか、モリアーティ教授はすべてお見通しだ。彼は君の哀しみや怒りを利用してコントロールし、僕に対抗する手札にしようとしている。それが教授のやり口なんだ」

五章。ここから物語がちんぷんかんぷんになるんだ。

森見的マジックレアリスムといえばそうなのかもしれないけど、ここまで語られたのはすべて物語だった、という二重構造が明らかになる。しかし、これが果たしてエンタメにつながっていたのかと言われると、、、、微妙。

夢オチのような気持ち悪さがある。今までワクワクさせられた謎は!?ってなる。

ここから新しい、真の物語が!というワクワクもなくはないけど、とはいえ「今までの話はナシ」となるのはちょっと。。。

位置: 4,982
「シャーロック・ホームズから名探偵としての力を奪い去るために、君はヴィクトリア朝京都という世界を創りだしたんだろう。なにゆえホームズはスランプに陥ったのか――それはこの世界の原理そのものであって、問うても意味のない問いなんだ。それが作者の意図なのだから、登場人物たちには手も足も出ない。したがって、シャーロック・ホームズの『凱旋』なんてあり得ないんだよ。ホームズがスランプに苦しんでいるかぎり、ヴィクトリア朝京都という不滅の王国で、君はいつまでもメアリとともに生きていけるはずだった。そうじゃないのか?」

妻を失ったワトスンが、現実逃避のために生み出したのがヴィクトリア朝京都だった、ということらしい。なんだそりゃ。じゃあ今までの話は?

カササギ殺人事件にもこの手の展開がありましたけど、これって非常に読者との関係が難しいと思うんですよ。なにせ、前半にワクワクした設定が、回収されないまま、なかったことにされるわけだから。

位置: 5,005
私は立ち上がって机に近づき、『シャーロック・ホームズの凱旋』を手に取った。
その分厚い原稿の重みは、この屋根裏で過ごした半年間の重みだった。この紙の束の中にヴィクトリア朝京都があり、寺町通 221 Bがあり、美しい鴨川が流れている。川べりの夕景を思い浮かべると、かたわらを歩むメアリの姿が見えた。妻は私の手を握り、夕陽に頬を染めて笑っている。私たちはどこまでも一緒に歩いていく。
涙のように温かな哀しみが胸の内に広がった。終わってしまったんだ、と私は思った。もう二度とあの京都へ戻ることはできないのだと。
「ベーカー街へ帰ろう、ワトソン君」
シャーロック・ホームズは言った。 「ジョン・H・ワトソンの凱旋だ。もう一度、二人で新しく始めるんだよ」

いいシーンなのかもしれないけどね、「東の東の間」とかどうなったのよ。心霊主義は?サイモン卿は?

位置: 5,099
「僕はつねに傲慢にふるまってきた。もしもこの世界が探偵小説であるならば、主役は自分であり、ワトソンは忠実な記録係であるべきだと思いこんでいた。取り返しのつかない誤りだったと今では思う。君には君の人生があり、愛する人があり、僕のために犠牲を強いられてよいわけがない。メアリのことは心からすまないと思っている。この一年間、モリアーティ教授と戦いながら、僕は本当に孤独でつらい思いをしてきた。君がそばにいてくれたら、どんなに心強いだろうと幾度も思った。君だけが僕を僕たらしめてくれる。その点を思い知らせてくれたことだけでも、モリアーティには感謝しなくてはならないね」

いや、いいシーンなんだけれども。

そして物語は不完全燃焼のまま、終わるのです。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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