一穂ミチ著『スモールワールズ』感想 ズラし方に嗜好性を感じる

カットボールのような、「ちょっとだけ芯を外す」のが上手い方という印象。
「スモールワールド」というと羽貫さんを思い出す。

2022年本屋大賞第3位
第43回吉川英治文学新人賞受賞!
共感と絶賛の声をあつめた宝物のような1冊。

夫婦、親子、姉弟、先輩と後輩、知り合うはずのなかった他人ーー書下ろし掌編を加えた、七つの「小さな世界」。生きてゆくなかで抱える小さな喜び、もどかしさ、苛立ち、諦めや希望を丹念に掬い集めて紡がれた物語が、読む者の心の揺らぎにも静かに寄り添ってゆく。吉川英治文学新人賞受賞、珠玉の短編集。

ままならない、けれど愛おしい
「小さな世界」たち。

理不尽だの既得権だの家父長的だの、そういうのに対する忸怩たる思いを、ストレートではなくカットボールで料理する。その巧者ぷりがすごい。

ネオンテトラ

位置: 362
『何でって、何でそんなこと言うの? 何でもない顔で、ふたりきりで泊まりなんか無理です。分かるでしょ。それとも、引きずってるのはわたしだけですか?』
『そんなわけないだろ』
『ほんとに?』
『当たり前だよ。ふたりのことだから一緒に考えさせてよ』
『嬉しい。大好き』
ふざけんなよ。

浮気LINEほど「ふざけんなよ」で一蹴すべきものはないよね。滑稽。

位置: 373
「それって、ホルモンバランス、すか」
「そうそう」
笑えている自分にほっとする。今頃、夫が広島でどんなふうに過ごしているのか知らない。不貞を知りながら 咎めなかったわたしは、もう黙認しているのと同じだろうか。貴史に 愛想 が尽きた? もうあんな男の子どもは産めなくてもいい? ──違う、あんな男だからこそ、子どもくらい手に入れなきゃ元が取れないのに。

ズレてんだよな。そのズレ方が良い。サンクコストってのを、理論的に解説するのではなく、あくまで文学的に料理してる。上手い。

位置: 384
「何で、親切にしてくれるんすか」
帰り道、笙一が緊張した面持ちで 尋ねた。
「親切には責任が伴わないからじゃない?」
前みたいなきれいごとを口走りたくなかったので、わざと冷淡に答える。彼の反応を見なくてすむよう、一歩先に進んで歩きながら。

言葉選びがまた、いいじゃないですか。生々しいよ。
これを生々しいと感じる人、どれくらいいるのかな。もしかしたらあたくしが思っているより当たり前の感覚ではないのかもしれない。

花うた

位置: 1,815
また、親や子を奪われた悲しみに比べると兄弟姉妹は、誰もはっきりと言いませんでしたが「まだまし」みたいな空気を感じました。

これ、あるよね。病気自慢、不幸自慢。
そっと距離を取るのが正解なんだけど、なかなかね。

位置: 1,819
「新品のランドセルを一度も背負わないまま会えなくなった我が子」、「部活に打ち込んで誰からも好かれていた成績優秀な我が子」のエピソードは、「悲しむ権利の主張」に聞こえました。もう、あそこには行かないと思います。悲しみの深さを比べながら分かち合い、傷を癒し合うという器用なことができないから。

『推し燃ゆ』のときも感じたけど、最近の若い作家はこの辺の感覚が実に上手く言語化できている。やはり文学は若い人のためのものでもある、と実感する。

悲しむ権利の主張、か。それが全てじゃないんだけどね。

位置: 2,107
もしもわたしが秋生より先に死んだら、秋生は悲しむかもしれません。それは、わたしが兄を亡くした時の悲しみと同じかもしれない。わたしが秋生に悲しみを教えてあげられる、と思うと、とてもかわいそうで、少しだけ嬉しい。

屈折しているけど、大切な、偽りない感情かもね。

ただ、「それだけじゃないよ」という感覚は大切にしたい。これも一つの不幸による選民思想だから。

愛を適量

位置: 2,498
「ふしぎなんだけどさ」
佳澄の指が、顔についた毛をそっと拭い、眉を撫でつける。やはり、女の手つきだな、と考えてしまう。
「他人にあれこれしてやりたい気持ちで、まず自分に手かけたら? 自分相手ならやりすぎも行き違いもなくて楽しいじゃん」
「そんなの、本当にただの自己満足じゃないか」
「それの何が問題? ……ほら、できた」

自己満をちゃんと楽しめるかどうか、って大切よね。

位置: 2,548
「時間かけんのだるいって思ったらやめればいいし、今の自分を続けたいんならやればいい。ただ、生徒に笑われたからっていうのはNGな。あいつらがあんなこと言ったせいだってなっちゃうだろ。理由とか原因を他人に 紐 づけてると人生がどんどん不自由になる」

正論である。この人、苦労してきたんだな、ってのが伝わる、いい台詞だ。

位置: 2,648
「『今まであんたみたいな変態とつき合ってやってただけで感謝してよ』って言われた。もし対面してあれをもっかい言われたら死ねる」
自分が侮辱されたわけでもないのに、胃から喉まで土を詰め込まれたように声も呼吸もぐうっと詰まった。
「友達は、前から『あの女やばい』って忠告してくれてたのに、聞く耳持たなかった。都合のいい言葉にだけ 縋ってたら結局誰も何も残らなかった」

恋愛も、他人に自己評価を依存している人の行動という側面はあるよね。
前述の台詞を言った人と同じ人が陥っているというのが面白い。

位置: 2,766
顔の上にぼとっと本を取り落とし、目の前が真っ暗になった。母親にも友達にも打ち明けられず、気安い間柄とはいえない父親にSOSを出すほど追い詰められていたのに、慎悟は「分からない」と娘を突き放し、背を向けた。また適量を間違えていた。変じゃないよ、心も身体も取り替えられないけど、これからどうすればいいのか一緒に考えよう。どうしてそう言ってやれなかったのか。

「変じゃないよ。一緒に考えよう」
これが自分にも言えるかどうか。自信ないけどね。本著を読んだことがあることが財産になりますように。

式日

位置: 3,067
気持ちを、口に出したことはもちろんない。行動で表したつもりもないが、いつの間にか伝わってしまっていた。眼差しだったり、ふと交わした「おはよう」の抑揚だったり、割り勘のお釣りを渡す時の指先のためらいだったり、たぶんそういう儚い気配の積み重ねで。いつの間にか伝わってしまっていたことをいつの間にか確信していたし、いつの間にか確信していたこともいつの間にか伝わってしまっていただろう。
「どうすればいいのかな、とは思ってた」

好意を持っていることを、知られている関係の、微妙な間。
その「間」のようなものを楽しむ。これが恋愛の楽しいところ。

位置: 3,077
「先輩、親いないって言ってたじゃん」
「うん」
「だから、俺が自分の黒歴史話したら、ドン引きして、何だこいつってちょっと嫌いになってくれるかなって、そういう期待もあった。だって、好かれるって恐怖だろ」
「嫌われるより?」
「嫌われたらそこで終わりじゃん。好かれたら始まっちゃうから、そっちのが怖いよ」
分かるような、分からないような。そして、あいにく今でも、妊娠させた同級生を本気で好きだったのか訊けないほどには好きだった。ただ好きでいるだけの、何も始まらない好意だってあるよ、と思った。

嫌いになってほしけりゃ、もっと単純な方法があると思う。
だから、嫌いになって欲しいってのも100%の気持ちじゃないんだ。それを書かずに、読み手に分からせる。一穂さん、やるなぁ。

位置: 3,108
「『アルコール依存症は病気、お父さんのせいじゃない』って言われたことがある。じゃあ、俺がバイト代盗られて失神するまで殴られて真冬にパジャマ一枚で表に締め出されたのは誰のせいだよ。酒? そんな顔のないものを恨んだり怒ったりできないだろ。『立ち直るには支えが必要』って、俺の人生 捧げろって言ってるのと同じなのに」

落語『子別れ』の台詞を思い出したよ。そうだよな。

罪を憎んで人を憎まず、とは言うは易しだが、他人に適用するのは暴力的。
やはりこの台詞は、自分に対して言い聞かすためにあるんだろうね。

位置: 3,169
「先輩といると、楽でいいなと思ってた。先輩には家族がいないから引け目感じなくてすんだし、あれこれ詮索してこないし……でも、それってものすごく一方的な理由で、自分のずるさがだんだんいやになってきた。もし俺が自分ちの事情打ち明けて、先輩が『それでも家族がいるだけうらやましい』とか、『お父さんと和解しなきゃ』みたいなこと言ったら、って想像して怖かった」
「何で」
「その地雷踏まれたら確実に先輩を憎むから。きれいごとしか言わない教師とか気まぐれで構ってくる近所の人とかいっぱい憎んできたけど、先輩だけは憎みたくなかった。大人になればどんどん自由になれると思ってたのに、逆だったな」

好意をもっていた男からの突然の呼び出しが葬式への参列のお願い。
その突拍子もない設定が徐々に明らかになっていき、それを共有する感じ。良作である。

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