『横光利一はこれだけ読め』 これだけ、というほどまとまってない

Kindleで安かったので購入したのですが。

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 横光利一は、一八九八年(明治三十一年)、福島県で生まれました。一九一六年(大正五年)早稲田大学英文科に入学し、このころから文芸雑誌に小説を投稿し始めます。一九二一年には川端康成と出会い、生涯の友となりました。
一九二二年(大正十一年)、小説「南北」が「人間」に掲載されてデビューを果たします。その後、中山義秀らと同人誌を発行します。一九二四年(大正十三年)、川端康成らとともに「文藝時代」を創刊し、新感覚派の拠点とします。「春は馬車に乗って」や「上海」などを発表します。
一九三六年(昭和十一年)、ヨーロッパ旅行にでかけ、この経験をもとに翌年から「旅愁」の連載を始めます。また戦争中は、国粋主義的な立場を取ったため、戦後は戦犯として非難されました。「旅愁」は十年に渡って書き続けられますが、未完となります。
一九四七年(昭和二十二年)、胃潰瘍のため亡くなりました。四十九歳でした。川端康成は、葬儀で「「君に遺された僕のさびしさは君が知ってくれるであろう。君と、最後にあった時、生死の境にたゆたうような君の眼差の無限の懐かしさに、僕は生きて二度とほかでめぐりあえるであろうか。(中略)僕は日本の山河を魂として君の後を生きてゆく」と述べました。

この作品集には二十一編の小説と一編の評論を収録しました。

なんやかんやとタイトルだけ聞いたことあるような作品がずらりと並んでいて。

とりあえず有名な『純粋小説論』を読んでみました。
しかし、何だかよく分からん。

わが国の純文学は、一番生活に感動を与える偶然を取り捨てたり、そこを避けたりして、生活に懐疑と倦怠と疲労と無力さとをばかり与える日常性をのみ撰択して、これこそリアリズムだと、レッテルを張り廻して来たのである。
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そうして、このとき、卑怯な低劣さでもって、この通俗を通俗として恐れ、その真実であり必然である人間性の通俗から遠ざかれば遠ざかるに従って、その意志とは反対に通俗になっているという逆説的な人間描法の魔術に落ち込んだ感傷家が、われわれ日本の純文学の作家であったのだ。この感傷の中から一流小説の生れる理由がない。しかし、も早やこの感傷は赦されぬのだ。われわれは真の通俗を廃しなければならぬ。そのためには、何より人間活動の通俗を恐れぬ精神が必要なのだ。純粋小説は、この断乎とした実証主義的な作家精神から生れねばならぬと思う。
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分からないなりに、すごく崇高で純粋な、今の言葉で言うと“中二病的な”感性でもって書かれているということは分かる。

余裕があれば、もう一度、読みたい。
いや、読まないと、おそらく横光氏を理解できぬままになるでしょう。

ただ、それでも、理解できぬままでも、いいのかもしれないという気持ちは消えない。

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