辻田真佐憲著『「戦前」の正体 愛国と神話の日本近現代史』感想 さすがの切り口

個人的にはリベラルを自称していますが、軍国趣味の方々のエンタメが大好き。

神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇……。
右派も左派も誤解している「戦前日本」の本当の姿とは?

神話に支えられた「大日本帝国」の真実。
「国威発揚」の物語を検証するーー!

辻田真佐憲さん、TokyoFMに出られていたときの番組を聞いていました。山極寿一さんとの交互パーソナリティ、良かったなぁ。

はじめに

位置: 47
大日本帝国は、神話に基礎づけられ、神話に活力を与えられた神話国家だった。明治維新は「 神武天皇の時代に戻れ」(神武創業) がスローガンだったし、大日本帝国憲法と教育勅語の文面は、 天照大神 の神勅を抜きに考えられないものだった。

大日本帝国は神話国家だった、という前提が目からウロコ。確かにそうだったのかも。

第一章 古代日本を取り戻す ー明治維新と神武天皇リバイバル

位置: 233
神武天皇の時代はあまりに古く、政治体制についての記録がほとんど残っていない。本当に出自や階級に関係なく議論していたかといえば、はなはだ疑わしい。
しかしだからこそ、都合がよかった。ほとんど白紙状態ゆえに、新政府は「これが神武創業だ!」と言いながら、事実上、好き勝手に政治を行えるからだ。つまり「神武創業」は、「西洋化」でも「藩閥政治」でもなんでも代入できる魔法のことばだったのである。
現在でも、「これが本来の日本の姿だ!」と言いながら、たんに自分の思い描いた勝手な国家像を押し付けてくるものがいる。たとえば、夫婦同姓。日本の伝統などと言われるが、じっさいは明治以降に一般化したものにすぎない。
われわれは右派・左派問わず、このような原点回帰というロジックにとても弱い。

たかが100年くらいで民族の伝統みたいな顔されても、というのはつくづく思っています。すき焼きが日本の代表的な料理、というのに違和感。夫婦同姓もね。

しかし、たしかに原点回帰に弱い。なんでかね。原点に立ち返って、ってのが好きってのもあるよね。

位置: 242
「本来の姿に帰れ」という掛け声には、なにかやましいものが紛れ込んでいないか、つねに警戒心をもたなければいけない。

示唆に富んだ指摘。

位置: 311
ところが、これらの休日はすぐに廃止され、1873(明治六) 年、天皇中心の国家にふさわしい休日があらためて定められた。

江戸までは太陰暦だし、七夕や端午の節句が正式な休みだった。それを抜本的に変えたのは明治になってから。

位置: 318
驚くべきビフォーアフター。江戸時代の名残が跡形もなく消し去られていることがわかる。
1878(明治11) 年、ここに春季皇霊祭(三月春分の日) と秋季皇霊祭(九月秋分の日) が加わり、翌年、神嘗祭が10月17日に移動して、明治年間の休日が定まった。なお、新年節(一月一日) は慣例により休日扱いだった。

中国の歴史なんかをみても、基本的に政権は前政権を批判して、変えようとする。スポーツチームの監督もそうだよね。ま、踏襲するだけなら変える意味ないしね。

位置: 338
このような祝祭日の名称をみると、いかにも古めかしく、由緒正しいように思える。
ところが、古くより同じ名称で曲がりなりにも続いてきたのは、伊勢神宮に新穀をまつる神嘗祭と、神々に新穀をまつる新嘗祭ぐらい。あとは明治になって創作されたか、仏教色を排除するなど、大幅にアレンジされたものだった。

たかだか100年の話ですよ、ってことだ。歴史と伝統ではない。

位置: 369
だが、両者ともあまりに戦前を知らなすぎたのではないか。戦前の式次第はさきのように厳格に定められていたのであり、教育勅語はガヤガヤとみんなで唱えるものではなかったし、「愛国行進曲」や「日の丸行進曲」などの軍歌がかならずしもうたわれるわけではなかった。

森友学園はコスプレには違いない。しかしそのコスプレが気持ち悪いのだ。そしてコスプレが年中行われているのだとしたら、それはもはやコスプレではなく制服である。あそこに入れる親も親だし、可哀想なのは子どもよな。

位置: 582
じつはヨーロッパでも、「忘れられた古代の英雄」に注目が集まったことがある。中世まで自分たちをローマ人と同一視していたヨーロッパ人は、ナショナリズムに目覚めた結果、むしろローマ人は外敵であり、かれらより故郷を守ろうと戦った地元の主張や族長を祖先として讃えるようになった。

ウェルキンゲトリクスやアルミニウスですよね。んで、ウェルキンゲトリクスの銅像はナポレオン3世を模して作られたり。後世によって都合よく書き換えられた歴史って、思っているよりたくさんあるんだよね。

というか史実に基づく歴史考証って、ほんとここ数十年の話。

位置: 685
いずれにせよ、虚構の原点回帰(「本来の姿に戻るだけ」) にもっともらしさを与えるため、幕末以降、神武天皇陵が治定され、橿原神宮が創建され、皇紀や紀元節、学校儀式や唱歌が定められるなどした。
そのいっぽうで、徴兵告諭や軍人勅諭では、中世がキャンセルされるべき暗黒時代として徹底的に批判された。

前半については、まぁ、許せるというか仕方がない気もするけど、後半については知性の否定、人文学の否定だと思うんですよね。

だから嫌い。

第二章 特別な国であるべし 憲法と道徳は天照大神より

位置: 715
ここに大きな意味を見出したのが幕末の後期水戸学であり、これを引き継いだ明治の教育勅語であり、昭和の『国体の本義』であった。
現在でも、右派が男系男子にこだわり、選択的夫婦別姓に反対する理由もここに関わっている。

易姓革命が「男系男子」に繋がってくるわけだ。言われてみればそうだ。

位置: 796
訳者の佐々木は、戦後の日本人にわかりやすくしようとするあまり、君臣の別をないがしろにしてしまっているからだ。
「臣民」が「国民」と訳されているだけではない。「皇祖皇宗」は「私たちの祖先」と訳され、臣民の祖先と区別がついていない。現代風にしようとするあまり、教育勅語の根底にある君臣関係を破壊している。

教育勅語について。誤訳だという指摘。
確かに君臣関係の破壊を見いだせる。

位置: 824
ところがこの種の冊子でしばしば無視されているのが、もっとも重要な末尾、すなわち「以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」の部分である。
天地とともにきわまりない、皇室の運命を助けてたてまつれーー。結局、孝行も友愛も、夫婦の和も朋友の信も、たどりつくところは国体の擁護なのだ。

なるほど、だから「国体」を異常に大切にする右翼連中は教育勅語に忠実なわけだ。ある意味彼らは「正しく」教育勅語を体得しているわけですな。

位置: 928
そのため、ついにタケミカズチ(武甕槌神) とフツヌシ(経津主命) という二武神を送り込むという強硬策に出た。オオクニヌシはこれに折れ、支配権の移譲に同意し、みずからは幽界に隠退した(このオオクニヌシを祀るのが出雲大社)。以上を国譲りという。

大国主って、いわば敗戦の将なんだね。

関係ないけど、ダイコク様って呼ばれてるから「なんで七福神?」と思ってたけどダイコクって大国なんだ。字が違うんだね。

位置: 1,029
なぜ熊本がここまで教育勅語に熱心なのか。それは、起草に携わった井上毅、元田永孚の両人が、熊本出身だったからにほかならない。

位置: 1,032
ほかでもない、大日本帝国憲法に「万世一系」の文字を入れ、皇室典範に「男系男子」の規定を入れさせたのは、かれなのである。

むむ、井上毅、そんな人だったのか。名前は教科書に書いてあったような気がする。

位置: 1,081
つまり、帝国議会は皇室にかんする決まりにいっさい干渉できなかったのだ。すべての法律が憲法に従属する現在とはまったくちがう。それくらい、明治の皇室典範のもつ存在感は大きかった。

皇室典範は議会も変えられない、文字通りアンタッチャブルと。

位置: 1,092
もっとも皇室典範制定までの議論で、かならずしも女子天皇や女系天皇は排除されていなかった。女子天皇は江戸時代までに八人(推古天皇や皇極天皇など) の前例があったし、女系君主はヨーロッパに前例があったからだった。  ところが、これに敢然と反対したのが井上毅だった。

位置: 1,111
この井上の主張が通り、以後、女子天皇と女系天皇の可能性は議論されなくなった。尋常ならざる影響力といえよう。しかもこの男系男子の縛りは、戦前のみならず戦後の皇室典範にもそのまま引き継がれた。

ヨーロッパや中東のように「◯◯朝」となるのが「恐ろしい」と書いてある。なるほど、それを恐ろしいと考える人々には、たしかに男系男子の規定が尊い理屈は分かります。

第三章 三韓征伐を再現せよ 神裔たちの日清・日露戦争

位置: 1,284
豚尾漢とは、弁髪を結っていた清国人を嘲ったものだ。
福羽美静は、明治初頭に神道の国教化を推し進めたイデオローグのひとりで、子爵の爵位も与えられた名士だった。それでもこの下品なことばづかいなのだから、当時の高揚感を思わずにはいられない。

名士だからって上品かと言われると、そうでもないのは、現在の国会を見渡してもよく分かりますけどね。

位置: 1,291
神功皇后は、第一四代仲哀天皇の皇后である。名は 気長足姫尊 という。しばしば神がかりとなり、神託を伝える巫女的な役割も果たしたが、仲哀天皇の死後は、息子の第一五代 応神天皇が即位するまで、六九年にわたって政務を担った。

じんぐうこうごう、初めて聞きましたね。それくらい、あたくしは戦前に疎い。それにしても69年は長い。

位置: 1,320
いずれにせよ、伝承上とはいえ、このようにみずから外国に攻め込んだ皇后は、神功皇后しかいない。天皇にいたっては、ひとりとして例がない。だからこそ、たぐいまれなる対外戦争の指導者として、北条時宗、豊臣秀吉と並び称されたのである。

確かに、対外戦争を積極的にしかけたのって、彼女と秀吉くらいじゃないか、明治以前だと。そりゃ、利用するよね。

位置: 1,362
そもそも皇統譜の確定にはずいぶんと時間を要している。
第三九代 弘文天皇、第四七代 淳仁天皇、第八五代 仲恭天皇が追号されて正式な天皇になったのは明治時代だし、南北朝時代の天皇についても、南北どちらを正統とみなすのかでずいぶんと紛糾があった(南北朝正閏論)。最終的に皇統譜が完成するのは、南朝の 長慶天皇が正式に第九八代天皇に加えられた、1926(大正15) 年のことなのである。

皇統譜の完成はたかだか100年前の話であるわけだ。しかも、学術的な成果に基づくものではない、とのこと。なんだかふわっとし過ぎてると思うな。

位置: 1,422
じつはこのヤマトタケル、『古事記』と『日本書紀』でずいぶんと神話の記述が異なっている。そこでまずは『古事記』をみてみよう。ここでのヤマトタケルは、悲劇のヒーローである。

ヤマトタケル、兄殺しですね。

位置: 1,527
日本には古来、 御霊 信仰というものがある。不幸な事故で亡くなったものは、敵味方の区別なく怨親平等に慰霊しようという考えだ。だが、靖国神社はこれを取らなかった。まず敵を排除したうえで、味方についても立場や最期の様態によって合祀するかどうかが厳しく審査された。

これは以前に靖国神社の本で読んだ通り。

位置: 1,535
日露戦争で活躍して、国民的な英雄となった乃木希典や東郷平八郎もそうだった。乃木は明治天皇に殉死し、東郷は病死した。いずれも平時の死亡だったため、かれらはそれぞれ乃木神社、東郷神社の祭神になっているものの、靖国神社には祀られていない。

位置: 1,541
つまり、靖国神社はあくまで臣民を対象にした神社だったのである。

あくまで「天皇側についた戦争で死」なないと、靖国には祀ってもらえないわけだ。

位置: 1,543
このような区別は、社格をみると一目瞭然だった。
社格とは、1871(明治四) 年五月に定められた、神社の格付けをいう。靖国神社は東京招魂社から改称されたとき、上から七番目の別格官幣社に列せられた。

なんでもランキングが好き。人間の性だね。

位置: 1,555
江戸時代まで、神道と仏教は混合されており(神仏習合)、神社と寺院の区別も曖昧だった。神職が仏像のまえで念仏を唱えるなどという光景も珍しくなかった。天皇家も仏教を厚く信仰しており、第一章で触れたように、京都御所に仏壇(御黒戸) があったほどだった。
明治政府はこの神仏習合をキャンセルすべき中世の悪習と考え、神仏の分離を指示。

曖昧なものを明確にする気持ちよさってあるよね。

位置: 1,566
つまり、天皇が祭神だと官幣大社、皇子だと官幣中社になっている。例外もあるのだが、祭神で社格を区別していたことがわかる。

位置: 1,578
近代社格制度でもっとも注目すべきなのは、やはり靖国神社も列せられた別格官幣社だ。天皇や朝廷のために尽くした臣下を祀る神社を対象とする社格で、古代にはないものだった(神武創業の恣意性!)

何を祀るか、が社格に直結し、その中で靖国は古代にはない、新しい社格に組み込まれたと。

位置: 1,594
そのいっぽうで、徳川家康を祀る日光の東照宮も別格官幣社とされた。これは、中世キャンセルの一環だった。江戸時代は神君として尊崇されていた家康もしょせん一臣下にすぎないというデモンストレーションである。
さらに家康の権威を相対化するかのように、織田信長を祀る建勲神社(京都市)、豊臣秀吉を祀る豊国神社(同) なども復興されて、いずれも別格官幣社に列せられた。

家康をワンノブゼムにするわけだ。「なんとなくありがたいもの」を区画整理してしまう野暮さはあるよね。

位置: 1,641
天皇のために死のうという大伴氏の覚悟は、大伴氏に限らず、天皇のために倒れた将士すべてに当てはまる。そんな意図のもとで、大伴氏の言立ては祭文にしきりに引用された。
それだけではない。この言立ては「海ゆかば」というタイトルで二度、軍歌にもなった。

あったね。やだやだ。みんな大伴だ、ってか。めでてーな。

位置: 1,672
ここまでの議論をあえて図式的に整理すると、つぎのようになる。
明治天皇=神武天皇
皇后美子=神功皇后
北白川宮能久親王=ヤマトタケル
日本軍将兵=アメノオシヒ(=大伴氏)

神話を恣意的に使おうというのか、それとも神話が独り歩きしているのか。
どちらにせよ、あまり好ましい図式ではないように思いますね。

位置: 1,747
これまでみてきたように、神社は戦前と深く関わっている。そしてそこに立つ記念碑や顕彰碑は数しれない。そんなものをいちいち精査しはじめると、ほとんどどこの神社にも参拝できなくなってしまう。
歴史はわれわれの日常に複雑に絡み合っているのであって、まるで外科手術で癌細胞を取り除くように、都合よく切り離せるものではない。多少、不愉快で同意できないものがあったとしても、適度に妥協しながら付き合っていくことが求められる。

ほんと、そうよね。あたくし自身、戦前だの神話にアレルギーを感じる質なんで、それはそれの精神で乗り越えるしかない。和を持って尊しとなす、という処世術よね。

第四章 天皇は万国の大君である 天地開闢から世界征服へ

位置: 1,777
ところが、日本神話は国譲り以前のエピソードがいくつも存在する。そこでは、どのように世界ができたのか、そしてどうしてアマテラスが高天原を主宰し、オオクニヌシが中つ国を主宰するにいたったのかなどが語られている。
そしてじつはこのような部分こそが、近代になってオカルティックな思想や超国家主義的な主張の根拠となり、世界は日本のものだという奇想天外な妄想を生み出すことになるのである。

興味あるね。

位置: 1,784
幕末の萩で松下村塾を開き、伊藤博文や山県有朋、高杉晋作などの志士を育てた吉田松陰が「本居学と水戸学とは(中略) 尊攘の二字はいづれも同じ」と述べているように、国学と後期水戸学は尊王攘夷思想を鼓吹した点でよく似ている。
だが、根本的な部分ではかならずしも相性はよくなかった。後期水戸学はあくまで中国の思想をベースにしているため、国学からすれば中国かぶれ( 漢意) だったし、国学は日本の神話をそのまま信じているため、後期水戸学からすればトンデモ( 怪力乱神 を語る) だった。

なるほど、そこの細かい違いには気づかなかった。確かにそう言われると面白いですね。

この「怪力乱神」の文言、検索すると大川隆法氏の著作が延々と出てくる……。
関係ないけど、今年2023年は大川隆法(幸福の科学)と浅井昭衛(顕正会)と池田大作(創価学会)が死んだ、なんともはやな一年になりましたね。

位置: 1,887
そしてこのイザナキの禊祓のとき、またさまざまな神々が生まれるが、最後にとくに尊い三柱の神々が生まれた。
すなわち、左目を洗ったときに生まれたアマテラス、右目を洗ったときに生まれたツクヨミ(月読命)、そして鼻を洗ったときに生まれたスサノオ(建速須佐之男命) である。
イザナキはこの三柱の神々の誕生を喜び、アマテラスには高天原を、ツクヨミには夜の世界を、スサノオには海原を、それぞれ統治するように委任した。

興味がないからすぐ忘れる。何度か読んだんだけどなー。

位置: 2,011
平田の弟子筋にあたる国学者たち(平田派) は、明治の早い段階で政治の表舞台から放逐されて影響力を失ったし、そもそも佐藤はそれほど有名な存在ではなかった。
佐藤の思想は、昭和戦前期の対外的に日本が膨張する時代に、遡行的に「発見」されたのであり、それが戦後になって逆に一貫した侵略思想の根拠であるかのように批判されたにすぎない。

ここ、結構誤解されているところだと思う。平田も佐藤も、ある意味「ありがたく」利用されたんだろうね。

第五章 米英を撃ちてし止まむ 八紘一宇と大東亜戦争

位置: 2,757
日中戦争に従軍中、「糞尿譚」で芥川賞を受賞して兵隊作家ともてはやされた 火野葦平 は、一九四二(昭和一七) 年二月のシンガポール陥落を祝う詩で、あまりにもダイレクトに、新しい『古事記』が書かれたと喜んだ(「新嘉坡墜つ」)。

火野葦平は戦犯作家と呼ばれてましたね。

位置: 2,764
詩人で作家の 佐藤春夫 も、大伴氏の言立てを引きながら、今日の日本軍将兵は黒潮やジャングルで屍になる覚悟だとたたえて、「新世紀の神話時代」がやってきたとうたった(「詩篇大東亜戦史 序曲」)。

佐藤春夫は『美味しんぼ』に出てくる秋刀魚の詩、谷崎との細君譲渡事件しか知りません。そんな愛国的な詩も作るんだね。

位置: 2,850
そもそも「三種の神器」ということばの初出は、この入水を伝える『平家物語』だ。

三種の神器は記紀には出てこない、たしかに!
そうか、平家物語で沈んだから、あたかも昔から大切にされていたように考えられるけど、実際はそれまで言及されることがなかったんだ。

位置: 2,867
なんと昭和天皇は、国民の生命ではなく三種の神器のために講和の必要を訴えているのだ。

あくまで保身、国体の保持。

位置: 2,873
三種の神器と運命をともにする。記紀ではそんなに重んじられていないのに──。神話にもとづくネタは、神道の最高祭祀者であるところの天皇自身も本気で信じるようになっていたのである。

ここまで来ると喜劇と悲劇の交々だね。

第六章 教養としての戦前 新しい国民的物語のために

位置: 2,960
すなわち、大日本帝国を「神話に基礎づけられ、神話に活力を与えられた神話国家」と定義したうえで、戦前を五つの神話にもとづく物語に批判的に整理した。
その物語とは、「原点回帰という罠」「特別な国という罠」「祖先より代々という罠」「世界最古という罠」「ネタがベタになるという罠」の五つである。

わかりやすい構成と説明。

位置: 2,973
そのため、われわれが戦前から読み取るべき教訓は、たんなる物語の否定ではなく、そのリスクを受け止めながら、今後どのような物語を紡いでいくかにあるだろう。序文でも述べたとおり、物語は虚構だけれども、共同体を形成するうえで大きな役割があるからだ。
宗教の否定が醜悪な疑似宗教を生み出したように(フランス革命における最高存在の祭典や、ソ連におけるレーニンの遺体保存やスターリンの個人崇拝などを思い出されたい)、物語の否定はかえって戦前的な物語の劣化コピーを生成させる。物語は排除されるべきものではなく、上書きされるべきものなのである。

人間は物語認知しか出来ない、という研究もありますからね。あたくしも物語にしないと歴史が覚えられない傾向がありました。

位置: 3,030
思想的な偏りと無縁でいられる人間などこの世に存在しない。ここで言いたいのは、「日本はこうあるべきだ」という大きな枠組み(物語) と実証主義はかならずしも対立しないということである。実証主義は物語を排除するのではなく、それを精緻にするために使われなければならない。
歴史は、大きな枠組みと細かい資料調査の往還で成り立っている。イデオロギーにもとづいて事実を歪める歴史修正主義は困るが、かといって、細かいことだけやっていればいいという素朴実証主義も困る。実証なき物語は妄想だが、物語なき実証は空虚だ。その中間を取ろうというのが筆者の考えである。

まっっっっっったく同感で、だからこそ本著は有益です。

位置: 3,053
言い換えれば、「プロパガンダをしたい」当局と、「時局で儲けたい」企業と、「戦争の熱狂を楽しみたい」消費者という三者にとってウィン・ウィン・ウィンな利益共同体が、軍歌という空前の国民的エンターテインメントを生み出したのである。

それが自然な成り行き。『人間たちの話』でもそんな話ありましたね。ディストピア世界での一般人のmoveについて。

位置: 3,064
最後におこがましいことを承知で、あえて戦前の物語に点数をつけてみたい。結論からいえば、六五点である。

言い切ったね。あたくしは55点かなあ。

位置: 3,077
たしかに戦前の物語にはいくらでも欠点が指摘できる。だがそれで植民地化の危機をまぬかれることができたのだから、一定の評価は与えられてしかるべきだろう。ただそれを神聖不可侵にしてしまうとネタがベタになる危険があるので、三五点を引いたわけである。

わかる。ただ、その「神話」の影響が未だに悪しき方向に続いているかと思うと、更にマイナス10点したいのがあたくしの気持ち。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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