『天才はあきらめた』感想1 南キャンを初めてみたときの衝撃を思い出した

あの初期衝動というかショックはすごかったな。

「自分は天才にはなれない」。そう悟った日から、地獄のような努力がはじまった。

嫉妬の化け物・南海キャンディーズ山里は、どんなに悔しいことがあっても、それをガソリンにして今日も爆走する。
コンビ不仲という暗黒時代を乗り越え再挑戦したM-1グランプリ。そして単独ライブ。
その舞台でようやく見つけた景色とは――。

2006年に発売された『天才になりたい』を本人が全ページにわたり徹底的に大改稿、新しいエピソードを加筆して、まさかの文庫化!
格好悪いこと、情けないことも全て書いた、芸人の魂の記録。

そういうツッコミあるんだ!っていうツッコミの発明でしたね。あれは関東の味だと思っていたら、西でも随分ウケていたそうで。そういう点が南キャンの凄さかもしれません。西でも東でもウケる。

位置: 158
僕と母親は2人でテレビ局の近くのファストフード店に行ってハンバーガーを食べた。異様にむなしかったのを覚えている。なんだか母親にも惨めな思いをさせてるんじゃないかとものすごく悲しい気持ちになった。そんな僕に母親は満面の笑みで言った。
「あんたすごいねぇ。他の子みたいにお金かけてるわけじゃないのに勝負できるなんて、偉い」
母ちゃんは、信じられないところから褒め言葉を持ってくる。

褒め上手の母親。うちの母や皮肉屋だったから、あんまりそういう意味での甘えはなかったなぁ。子どもだったらメロメロになっちゃうよね。

位置: 173
昔、母ちゃんが学校に呼び出されて、先生から「亮太君はすぐ噓をつくんです」と言われたことに対して、「どんな噓ですか?」と聞き返し、詳細を聞いての母親の第一声が「先生、それ傑作ですね。亮太、聞かれてすぐに何か言えるって、しかも作って言えるってすごいねぇ」というやり取りで先生を呆れさせていた。

人って、「子供の時親にこう言われた」って結構根強く覚えているもんですよね。あたくしも親として気をつけないと。

位置: 265
今でも時々、脳内にはありとあらゆる過去の自分の失敗や、他人の成功などを引っ張り出してはゴールを目指さないように囁いてくる〝逃げさせ屋〟が現れる。
そいつが頭に出てきたときには、シンプルに「うわ、逃げさせ屋が来た。じゃあこれを無視したら何者かになれるんだ!」と声に出して、作業に取り掛かる。これで倍進んでいけた。

声に出すというのはシンプルだけどとても良いらしいね。客観視できるというか。山里さんは客観視の男だ。

位置: 270
こんなふうに、僕は逃げ道を無視するというやり方で戦ってきたのだと思う。

逃げ道を無視する。できることじゃありませんよ。

位置: 294
いきなり来た大阪という街は、かつて自分がためてきた自信の貯金が大した額ではなかったと思わせてきた。しかしもう戻れない。

笑いが東と圧倒的に違った、という話はしないねぇ。
あたくしはつよく感じるんだけどなぁ。

位置: 308
天才はきっと逃げ道なんか見えてないんだろうな。まっすぐゴールに向けての道しか見えてないんだろうな。そしてそれを苦労と思わずただただ呼吸するように進んでいってるんだろうな。天才っていいな……。そんな思いが生まれてくるときもあった。
でも、自分にはないものだからしょうがない。

この割り切りを人生の早いステージで出来るかどうかって結構大きくて。
あたくしは20代後半まで引きずっていた気がするな。いい年こいてね。

位置: 378
こんな異常な状態の中に4日ほど置かれた。中には夜中のうちに荷物全部置いて逃げ出した人もいた。4日目の朝、皆で学歌を歌ったあと、鬼だった先輩たちが涙しながら褒めてくれた。よくわからないが僕らもみんな泣いていた。
そしてその足でみんなで朝ご飯を食べ、支度をし入学式へ行った。入学式で全力で学歌を歌った。周りの目は驚くほど冷たかったが、楽しかった。
こんな体験は、僕の中にある〝凡人劣等感〟を大きく隠してくれた。そんなスパイシーなスタートをくれた北斗寮。

あたくしも大学寮のイニシエーションを一通り経験したので、あの大学寮生のもつ変なプライドに救われました。あれも一種のドーピングなんですけどね。楽しかったな。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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