加藤久典著『インドネシア─世界最大のイスラームの国』感想 ムスリム社会とは

あたくしの唯一のムスリムの友人はトルコ人女性なんですが、彼女のムスリム観とも、インドネシアの一般的なそれはまた違うんでしょうね。

はじめに

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インドネシアは、一国としては最も多いムスリム(イスラームを信仰する者) を抱えるイスラームの大国だが、シャリーア(イスラーム法) を国法とするいわゆるイスラーム国家ではない。

当たり前だけど、イスラームの大国にも色々ある。有名なボロブドゥールとかは仏教だもんね。その辺から我は無知である。シャリーアを国法とするかどうか、ってのは大きい気がしますね。

序章 地図の縮図 多様性の国インドネシア

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イスラーム研究者の片倉もとこによれば、教典に書かれた通りに実践しようとする者たちが目指すのが「イスラーム社会」だとすると、自分たちの置かれている様々な状況に応じてイスラームを柔軟性をもって実践していこうとする者が生きる社会が「ムスリム社会」だ(片倉一九九一)。

世俗主義、ともまた違うんだね。あくまでイスラームではあり、ただ柔軟性は積極的に保持する。

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つまり「理念」と「実践」の間には程度の差こそあれ、必ず「距離」が存在するということだ。それを無理に実現しようとすると、前者を押し通そうとする者たちの暴走が始まる。それは、宗派間の争い、他宗教への攻撃、また暴力的破壊行為となって現れる。

その闘争の凄まじさは我々も知るところではあります。

第1章 多文化主義への道 五つの建国理念

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まず、仏教においては仏陀を表し、ヒンズー教の神ヴィシュヌを運ぶ鳥として知られているガルーダは、イスラーム以前の文明の重要さを物語る。

そのちゃんぽんな感じ、日本人としては馴染み深い。

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日常生活のあらゆる場面で使われる「ティダ・アパアパ」という言葉は、「問題がない」ということを意味する。多くの外国人にとってこの「ティダ・アパアパ」はインドネシアの「いい加減さ」「後進性」を象徴する言葉と理解されていることが多い。しかし、文化的慣習や生活様式、言語さえ異なる各民族の衝突を避けるためには、自らの民族性を他者に強制せず、相手のあり方をそのまま受け入れることが必要になってくる。その一つの象徴的な宣言が「ティダ・アパアパ」なのだ。

なんくるないさ、的な。誤解もされるが、実践は大変に難しい、尊い考え方かもしれませんね。

第4章 教義と実践の間で ムスリムたちの実情

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イスラームに限らず宗教を理解するには、教義に関わる神学的視点と現象に関わる社会的視点がある。それを「イスラーム社会」「ムスリム社会」という言葉に置き換えてインドネシアのウマットを具体的に観察してみたい。
前者ではコーランやハディースに記された教義を確実に実践していくことが重要で、決して妥協を許さない。いわゆる教条主義者というのは、このいまだに実現していない「イスラーム社会」の構築を目指す者たちで、彼らの生活はイスラームの原理によって規定され、日常的に行われる生活はその具現化にほかならない。
後者は、信者の個人的背景やその地域特有の文化や習慣、歴史、実際の社会状況などが影響し、柔軟性をもってイスラームの教えを実践していく社会だ。その際に、しばしばイスラームの純粋性を脅かすような、教義を逸脱したムスリムの行動を見出すことができる。

人間は純粋さを尊ぶ傾向があるから、前者のほうが過激派して代表のように振る舞う傾向はあるよね。特にホモソーシャルでは顕著。純粋な方が良い・潔癖な方が良いとする傾向。過激派の思想であります。

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祈念は生きている者に対してのみ許され、また祈りは、イスラームの神であるアッラーに対してのみ許されている。そしてその願いの結果は、アッラーのみが与えることができる。その根拠は、コーランの教えに見出すことができる。

厳格だなぁ。日本でイスラームが流行する日が来るのだろうか。お墓参りすらも認められない宗教が。

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このハビブ・アリの悪人救済論は、鎌倉時代に浄土真宗の開祖である 親鸞 が唱えた悪人正機説ともつながる。
阿弥陀仏 やムバ・プリオックというオリジナルな「神」とは異なる存在を介して、社会から見捨てられた者を救うという機能を宗教が発揮している。
イスラームや仏教の原始的原理とは必ずしも合致しないが、罪を犯す者があふれる現実とどう向き合うかという問いから導き出されたのが、このハビブ・アリの教え、または親鸞の教えなのではないか。

言い方を気をつけなければならないけど、リテラシーが低く又現在進行系で困っている人に対してどう歩み寄るかというのは長年の宗教家たちの悩みだったと思うんですよね。あたくしはその過程でこぼれ落ちたり足されたりした考えがあまり好きじゃないから、原始仏教が好きなんですけど。

第5章 終わらない対立 教条主義と自由主義

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インドネシアだけではなく、イスラーム世界ではラマダン(断食月) はとても神聖な期間だ。ただ断食するだけではなく、ムスリムは一年間の自分の過ちを友人や家族に詫び、許しを乞う。心を静めて、自分を顧みるときでもある。筆者はかつてムスリムの友人から、ラマダンの間は声を荒げて怒りを表すことを控え、ムスリムの人たちに敬意を払わなければいけない、という忠告を受けたことがある。実際、ラマダンはムスリムにとってのみならず異教徒にとってもムスリムとの共存という観点から大きな意味をもっているのだ。
しかしながら、インドネシアに住む異教徒である外国人のなかには、ラマダンであっても自分たちのライフスタイルを崩さない者も多くいる。仕事が終わった後や週末には、バーやレストランで酒を飲むことを楽しみにし、ラマダンに関係なく酔態をさらす者も少なくない。そういった行為は個人の自由であり、権利の一つだといってしまえばムスリムでもない彼らが責められるいわれはないが、その行為をイスラームに対する敬意の欠如と感じるムスリムが多くいることも事実だ。

教義と倫理はまた別、ということですね。相手を尊重する、という当たり前のことが、当たり前に出来ないから難しいんだな。

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ジャカルタはインドネシア随一の都会で、東南アジアでも外国人の数は多い。その年のラマダン月に、外国人が集うレストラン街のカフェを一部のムスリムが襲撃したのだ。そのカフェは、ラマダンであるにもかかわらず酒の販売を続け、イスラームを 冒瀆 したというのが理由だった。

あったなぁ、その事件。酒を飲むのも命がけだ。

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アブドゥルラフマン・ワヒド(グス・ドゥル) は、インドネシア最大のイスラーム団体であるナフダトゥル・ウラマ(NU) の議長を1984年から1999年まで務め、宗教界や政治界に大きな影響力を誇った。独裁的といわれたスハルト大統領への批判も臆せず口にできる数少ない人物の一人だった。また彼の活動は、インドネシアにおけるイスラームを中東のそれとは異なった形で展開させていこうとする壮大なる試みでもあった。その姿勢は、アブ・バカール・バアーシルの「イスラーム社会」的な姿勢と対極にある「ムスリム社会」的であったといっていいだろう。

グス・ドゥル、なかなかおもしろそうな人物です。インドネシアのイスラーム、という独自のアイデンティティに目をつけているところが、1980年代っぽい。

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グス・ドゥルは、イスラームはあくまでも個人の信仰であって、シャリーアを国法とし国家がムスリムを罰することを認めない。同時に、イスラーム以外の宗教も等しく尊重されるべきであって、インドネシアにおいてはすべての宗教が制度的優位性を持たずに共存すべきだと考えた。

なんとも融和的じゃないですか。

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