『哀愁の町に霧が降るのだ(上)』感想 (上)なのは下を読んでいないから

あたくしより少し上の世代に多い、椎名好き。あたくしより下になると椎名といえば林檎になるんだろう。あたくしの世代はへきるだな。そんなに熱中した記憶はないけどね。

青春小説の名作、ついに復刊!

「青春」が「絶滅危惧種」になってしまった今の時代だからこそ、読んでほしい。

東京・江戸川区小岩の中川放水路近くにあるアパート「克美荘」。
家賃はべらぼうに安いが、昼でも太陽の光が入ることのない暗く汚い六畳の部屋で、四人の男たちの共同貧乏生活がはじまった――。
アルバイトをしながら市ヶ谷の演劇学校に通う椎名誠、大学生の沢野ひとし、司法試験合格をめざし勉強中の木村晋介、親戚が経営する会社で働くサラリーマンのイサオ。
椎名誠と個性豊かな仲間たちが繰り広げる、大酒と食欲と友情と恋の日々。悲しくもバカバカしく、けれどひたむきな青春の姿を描いた傑作長編。

青春が絶滅危惧なんて誰が決めた?こういう物言いはすごいおじさんの悪いところ出てるよね。とはいえ、昔の寮生活を思い出した。大変に懐かしい。いい思い出だ。

しかしこの四人生活が始まるまでの序章も長い。しかも本筋も結構脇道へ逸れる。
そういうのも含めて椎名さんなんだろうな。あたくしは下まで読む気にはなれませんでした。

位置: 490
ぼくはその日、シニカルとニヒルで態度を統一していたので(そういうのってよくあるよな、あまり効果はないけど)、ちょっとスネたかんじに端のほうの席にすわった。

そういう日もある。バイオリズム的に下の日ってことよね。
体調悪い日こそ上機嫌に、とはならない。

位置: 823
小学校六年の時に、その父親が死んだ。その頃すでに子供ながらうっすら分かっていたのは、おれの母親は後妻で、おれには異母兄弟がたくさんいる、ということであった。はたして父親の葬儀の時にそういう〝まだ見ぬ〟異母兄弟がいろいろ集まってきた。そういう人々を見るのは、なんだかとてもうれしかった。

不思議な心境だな。親父も生きてりゃ母も初妻だし、異母兄弟もいないことになってる。まったく想像だに出来ないが、そのへんの許容感やタフさが椎名イズムを作ってるんだろうな。

位置: 885
彼はノートの切れ端 に玉子焼とかちくわの絵などを書き、それを切りぬいて半分食べてしまった弁当の上に乗せてやったりしていたのだ。

愉快犯だね。

位置: 906
「前科もいろいろあることだし、このへんで早くも終わりかなこの学校も……」などということをおれはボソボソ考えはじめていた。
ところが、いつまでたってもおれの呼び出しはなかった。処刑を待つ囚人のようにおれはそこでしばらく 悶々 とした。
しかし驚いたことに、そのうちに沢野がひょっこり帰ってきたのである。やつはすこし血走った 眼 をしていた。そうしてすこしブゼンとしたかんじで自分の机にすわった。そのあいだ、おれのほうはまるで見なかった。
やつは、とうとう口を割らず、そのイタズラの汚名を静かにかぶってしまったようなのだ。
このことがあってから、おれはこのヒョロヒョロとした一見頼りないかんじの沢野ひとしという男をいくらか信用するようになっていった。
しかし、沢野は高校一年の三学期がすむと、中野に転校していった。

なかなかすごいエピソードだ。この人はとにかく情に厚く、本当に半径5mにいる人を観察し、愛している。現代的ではないがぐっとくる態度だ。

位置: 1,122
沢野と木村と三人で、その高そうなウイスキーを湯飲 茶碗 で飲み、トランプなどを熱心にやった。中野あたりの高校生にトランプがはやっている、という話だった。
それも「セブンブリッヂ」というひどく高級なかんじのするゲームが中心で、おれたちが千葉の学校でやっている単純で殺伐とした肉体闘争の世界とはなにか基本的に〝文化圏〟が違っているような気がした。
ウイスキーをちびちび飲み、セブンブリッヂをやっていると、時々木村の母親がドアをノックした。そうするとたいていコーヒーや菓子、時間になると軽い食事の仕度をしてドアの外に置いてあるのだった。
木村の友達も時々やってきた。近所に住んでいるニッチというあだ名のやたらにとんがった声を出す男は、セブンブリッヂが強かった。
父親が外国航路の船長をしているので木村の家に来る時はかならずいい 匂いのする外国タバコを持ってきた。
木村たちは酒やタバコをやっていたけれど、けっして不良というわけではなかった。

昔、田園調布に住んでいた医者のボンボンのせがれの家に遊びに行ったことを思い出しましたね。なんか今思えば高級そうな内装だったなぁ。当時はあんまりピンと来てなかったけど。

そういえば昔、うちに掘りごたつがあるのにめちゃくちゃはしゃいだ友達がいて、?と思ったんだけど、彼は団地に住んでたなぁ。団地、すごく狭かった。

子供のうちに、団地も、中流階級も、田園調布も、経験させておくといいかもしれないね。

位置: 1,764
浜松町の始発電車に乗っておれの家までちょうど一時間かかった。家に帰ってもまだ夜は明けていなかった。家の裏に回って直接自分の部屋にもぐりこんだ。建てつけが悪くて雨戸の閉まらないその部屋でしばらくコートにくるまってガタガタしていると、やがてうっすらと空が白くなり、ガラス戸だけのその部屋は家の中で一番早く夜明けをむかえるのだった。
深夜の皿洗いから帰ってきた朝はどういうわけかまるで眠くならなかった。立てつづけにタバコを二、三本 喫 い、台所に行って粉末コーヒーをつくって飲んだ。

似たようなことをした記憶が自分にもありますね。一人暮らし、懐かしいなぁ。北向きのアパートは寒かった。

位置: 2,175
羽生理恵子の時もそうであったけれど、そのとたんに「ああ、オレはめったやたらとこの人を好きになってしまったのだなあ」と思ったのである。それはもうがっしりと確信に満ちた〝オトコの激情〟であった。
しかし、その状況では基本的に気持も体もうわずってしまっているから、それ以上なにか続けて話をすることもできず、しかし表面的にはじつにさりげなく「ではまた、まいどオー」などと言いつつ、そこを出ていったのである。

その激情をある程度飼いならすことから、大人は始まる気がしますね。それが出来ないと結構社会生活キツい。

位置: 3,048
「わあ、わあ、いい具合だなあ」  と、上田は言った。  部屋の中は木村が焼くサバのヒラキの煙でいっぱいになっていた。なにしろ換気扇などというものはもちろんのことウチワひとつないのだから、魚などを焼くと部屋の中はいつもひどいことになった。

あたくしも同じようなことしてた。そんなこと気にしない大学生だったなぁ。同室の後輩はさぞ迷惑だったろう。

位置: 3,745
スキヤキなどでも本当にうまいのはもうあらかた食べちらかしたあとからなのである。 鍋 の底のほうに残っている肉の切れっぱしとか焼き豆腐のカケラ、 葱 の二、三片、 醬油 まみれのしらたき、青黒い春菊、などといったものをみんな中央のほうに集めてきて、そうして煮汁とともにゴハンの上にどっこいしょ、と乗せて食べる、切れっぱしかき集めスキヤキ丼、というのは夏でも冬でも季節を選ばずなかなかうまいものである。
朝などでも日本の正しい朝食というと、ゴハンに 味噌汁、玉子に 海苔、しゃけにオシンコなどというのを基本型に、タラコ、筋子、わさび漬け、時にはししゃも、 笹 カマボコなどといったものを適時交代配置していく、というようなことをしているが、本当にうまいのはやはりぶっかけゴハンなのである。

激しく同意だね。あの煮しまった汁がいいんだ。

位置: 3,759
それからまた昼どきのぶっかけゴハンは八丈島に限る。この島に伝わる独特の漁師料理で、これも作り方は簡単である。まず 獲 ったばかりのトビウオのたたきを作る。これをボールに入れて、味噌と葱と生姜を入れ、こまかく砕いた氷も入れてモーレツにかき回してハイできあがり、なのである。これを間髪をいれず冷たいゴハンの上にぶっかける。暑い太陽の下、黒潮を切りさいて進む船の上でこいつをわしわしといって食べる、というのは人生のしあわせである。
西洋料理がつまらないのはドンブリものがないからだ、とぼくは大きな声で言うのである。たとえばフランス料理などでもその料理だけをむなしく食べてしまうのではなく、たとえばそれをあっつあっつのゴハンの上にかけて、フッハフッハと熱い息を吹きかけながら食べたらどんなにうまかろう、と思うようなものがある。

これも間違いない。死ぬ前になめろうを食べると決めているあたくしにとって、トビウオのたたき丼というのは魅力的以外の何者でもない。

位置: 3,953
しかし油っこい肉まんじゅうのあとに、中国の路上のお茶はじつにしみじみとうまかったのである

なんか、飯バナの本みたいだね。

まとめ

椎名誠は飯の話がウマい。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする