『五分後の世界』は異世界転生モノ 4

しかし、唸るくらい描写力があるなぁと思わせられます。村上龍さん、すごいね。

p248
どのくらい進んだのだろう、一 キロくらい歩いたような気がするし、十メートルも進んでいないような気もする。腰に巻い たポケット付きのベルトや背負ったパックがしだいに重く感じられてきた。小田桐のパック は他のみんなの半分ほどしかなかったが肩に食い込んで、放り投げたくなった。ライフルな んか提げていたらもっと悲惨なことになっていただろう。まわりを見る余裕もなくなってき た。前方のミズノ少尉の背中と足だけを見続けて、他は何も考えないようにした。この足の 筋肉の痛みは自分のものではないと思おうとした。勾配がややゆるやかになり、やがてまた 下りになった。そっと接地し、からだのバランスをとりながらゆっくりと爪先の親指の付け 根まで下ろす、よく見るとミズノ少尉はそういう歩き方をしていた。小田桐はそれに倣った。 自分がワニとかナマケモノとかそういう動物になったような気がする。だが、その動きはス ムーズで脚の筋肉の余分な緊張がなくなるのがわかった。足の裏全体で接地すると必ず枯葉 や小枝や小石を踏んでしまう、音を立てないようにそれらを足先で取り除くようにするのだ がそれはアイスバーンの道を腰が引けた姿勢で恐る恐る歩くのに似て、太腿とふくらはぎに 不自然な力が入ってしまうのだった。踵でそっと接地すれば地面が柔らかいので乾いた枯葉 も音を立てずに押さえつけることができる。

村上春樹さんを集中的に読んだときも思いましたけど、こういう「どうでもよさそうな」描写に妙にリアリティを宿らせる。これが筆の力ってやつなのかしら。
筋とはあまり関係がないんだけど、妙なリアリティを随所においておくことで物語に読者を引きずり込む。

p287-288
煮えた鶏を食べ、水筒に水を貰って、ミズノ少尉が御礼を言い立ち上がろうとすると、背広の男が奥の部屋から能面を持ってきた。ミズノ少尉は手にとって、老女だな、と言ったが、 小田桐はそんな能面は見たことがなかった。まるでアフリカとかバリ島の仮面のようだった。 瞳の部分に小さな穴があるのではなく目のふちが全部くりぬかれているし、何か果実の汁を 搾って塗りつけたのだろう、全体がどぎつい紫色でしかもテカテカ光っている。突然奥の部屋にある大きな古い和太鼓が鳴り出して、小田桐は思わず身構えてしまった。背広の男が面を顔の前にかざして、うなり声を上げながらゴザの上を摺り足でゆっくりと歩き始めた。小田桐は背広の男の恐ろしくゆっくりとした動きに目を奪われた。下腹に響く単調な太鼓の音、 黒く汚れた足の爪をゴザに這わせるようにして、男はうめき声を上げ手や足を前や横に運び、
やがて幼児を抱くような動きになった。ミズノ少尉もナガタもその動きを見ている。左手を 内側に折り曲げ、幼児をあやすような仕草をするが動きがひどく小さくしかも異様にゆっく りとしているので、何かがフラッシュバックしてくる。そういう動きを実際にやっていた身 近な人間を思い起こしてしまうのだ。頬がこけて、半分口を開けた紫色の面が誰かの顔を思 い出させる。その面は誰にも似ていないのに、誰かの顔を見てしまう。幼児をあやした後、 実はその幼児が幻だったことに気付く仕草があって、次には右手を目のあたりに上げ、から だ全体を上下にゆっくりと揺らし始めた。小田桐は一瞬そこに本当に年老いた女がいて、泣 いているような錯覚に囚われた。単純で、緩慢で、バランスが崩れていないために、その面 が想像を強要してくるのだ。自分の傷が剥き出しになり、そういう傷を持っているのはお前 だけではないのだ、と言われているような気がした。剥き出しになった傷が、緩慢な動きに 感情移入していくうちにしだいに曖昧なものになっていく。傷が自分から離れて、みんなの ものになり、中和されてしまうのだ。

ここもそう。能の動きを妙に生々しく描いてる。本筋とはそこまで関係ないと思うけど、丁寧に書く。読んでいるうちに引きずり込まれる。人間の感情の動きがよくなぞられていると感じます。こういう心の動きになること、あるよね。

そして結末。
終わってないんだけど、本著に限って言えば、村人に裏切られたあたりでぶちっと話が終わります。え?こんなところで?とは思うけど、バッサリ終わる。

全体を通して、面白かったけどなんだったんだあれ?的なところを残して終わる。
これもまた村上ドラゴンさんの狙いなのかな。

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