『読書の学校』は『坊っちゃん』について良く解説してある

同じ本を読んでも、読解力が違うとここまで見えるものが違うのかと気づかされます。

位置: 678
明治三一年、鏡子は再び身ごもったが、つわりに悩まされた。しかし、ある日の夜明けに事件が起こる。家の近くを流れる白川に、鏡子は自ら身を投げたのである。
幸い大事に至らなかったが、高等学校の教授の妻が川に身を投げたという噂は 瞬く間に広まっていく。漱石は学業に専念していたものの、鏡子を大切に思っていた。この事件以来、漱石は俳句を詠まなくなった。
翌明治三二年五月、長女の 筆 子 が無事に誕生する。漱石は筆子を可愛がった。赤ん坊の筆子を膝に乗せ、「もう十七年たつと、これが十八になって、俺が五十になるんだ」と独り言のようにつぶやいていたという。そして再び俳句を詠み始めた。

この話、好きだなぁ。
俳句が詠めるようになる、というのは現実と向き合うことができるということ。俳句は直視ですからね。このエピソードは漱石と鏡子の関係を語る上で切り離せませんね。

位置: 728
学ぶということは「教えてもらう」ことではない。教育の基本は独学、その根本は学ぶ気持ちです。学ぶ本人に「学びたい」という気持ちがなければ、何を教えても伝わらない。昔風に言えば、学びたいことがあるなら「自分で盗め」

まさにそうだ。
あたくしはずいぶんと無気力なまま、学生を続けました。反省しきりです。

位置: 875
本が好きな人は、私のように、放っておいても読みます。ダメだと言われても読む。いいことないよと言われても、なんとしてでも読みます。読書がいいとか悪いとか、そういうことではない。それをどういう風に自分でコントロールするか

子育てをするうえで、とても勉強になることば。
あたくしはもっと、本を読むべきでありました。

位置: 908
中学生の間に何をしなきゃいけないとか、そんな決まりはありません。自分が好きなことを安心してやればいい。いろんなことは芋づる式に世界につながっている。自分が好きなことには関心があるから、自然に学ぶことができる。やり方がわからないなどと言わないで、まずは何でもやってみることだと思います。

そうなんですよね。読書とは手段であって目的ではない。少なくとも、天然の読書好き以外には。だから、まずは好きなことを好きなようにやらせる。これが大切。そこで読書を促してやる。

位置: 986
「この世の中にある仕事は、自分の生活費を稼ぎ欲望を満たすためでもあるが、実は他人のためにしている。職業とは、人のためにすること、すなわち『他人本位』である。道楽であるうちは自分のやりたいことをやりたいようにやるから面白い。それが職業になった途端に他人の手に権威が移って苦痛になる。その法則から外れるのは、科学者、哲学者、芸術家などだ。これらは、『自己本位』でないと到底成功しない」
さて、漱石はどちらに当たるのか。漱石はこの時、文学を職業としていました。教員を辞め、新聞社に勤めている時です。
「芸術家というほどでもないけれど、人のために自分を捨てて世間のご機嫌をとって職業となったのではなく、自然な『芸術的心術の発現』の結果として自分のために突き進んだら、偶然、書いたものが人のためになって、報酬がもらえるようになった」

素晴らしいスタンス。おのれの「芸術的心術の発現」が、あくまで結果として人のためになった。そういうことですね。あたくしも見習ってこのスタンスでいかせてもらいたい。

位置: 1,008
人間というのは奇妙なもので、できることはできるだけやろうとする悪い癖がある。できることをやらないというのはなかなか難しい。できるけどやらないようにする、やったほうが 儲かるけれど、ほどほどにやって、三か四休む。それくらいがちょうどいいのです。
私は今日、ここで皆さんに話をするために、予定していたよりも30分早い電車に乗ってしまいました。その30分で冷やし中華を食べて、町をぶらぶらしました。
しなければならないことが何もない時間が、ふとできると嬉しいものです。しかも、「何もない」と言っても人生に目的がないわけではない。私には、この中学校に来て、皆さんに話をするという仕事がある。
そういう時間が人生でいちばん豊かだと思います。

良い言葉だな。ぶらぶらして冷やし中華を食べる時間が豊か。なるほど。

漱石について語っているようで、最後は養老孟司氏本人の話に。素晴らしい講演。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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