大江健三郎著『万延元年のフットボール』感想 難解ホークスやで

読みにくいレベルに難解。あたくしには早かったか。

友人の死に導かれ夜明けの穴にうずくまる僕。地獄を所有し、安保闘争で傷ついた鷹四。障害児を出産した菜採子。苦渋に満ちた登場人物たちが、四国の谷間の村をさして軽快に出発した。万延元年の村の一揆をなぞるように、神話の森に暴動が起る。幕末から現代につなぐ民衆の心をみごとに形象化し、戦後世代の切実な体験と希求を結実させた画期的長篇。谷崎賞受賞。

イリュージョンはある。古井由吉先生を思い出す。
しかし、一文一文が長くて、全然頭に入ってこない。丁寧に読むならいいんだろうけど、精読する時間のなかなか取れないあたくしのような人間には、難しい。

位置: 77
それから僕は自分が火葬に立ちあった友人を、観照した。この夏の終りに僕の友人は朱色の塗料で頭と顔をぬりつぶし、素裸で肛門に 胡瓜 をさしこみ、 縊死 したのである。

ここ、笑っていいところ?尻に胡瓜。

位置: 644
「それで、なぜ飲まなくなったのだろう」
「鷹 に会って、 鷹 がもう飲むな、人生は しらふ でやってゆかなければだめだ、といったからね。それでやめたんだよ、それからは、夢ひとつ見ないよ」

しらふでやっていくには辛すぎるんだけどな。

位置: 1,512
鉄棒をふるう鬼に炎の林に向って追いたてられている女の亡者たちには、鬼との、苦しめ苦しめられる相互関係の鎖を親しみにみちてしっかり守りつづけようとしている印象すらある。僕は住職に僕の受けとり方を説明した。
「地獄にいる亡者どもは、まことに永い時間苦しみつづけているんだから、すでに苦しみには馴れていて、むしろ秩序を保つためにだけ、苦しみの素ぶりを示しているのかもしれないなあ。こうした地獄の苦しみの時間の長さの定義というものはじつに偏執的なほどなんだよ」と住職は僕の観察を認めてくれた。

恐ろしい話だ。

事程左様に、なにか隠喩しているような文章が延々と続くんだけど、その奥にあるものを読み取るにはしっかりと読書に集中できる時間をまとまって確保せねばならず、それは今のあたくしには難しい。うん、また今度だ。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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