森村誠一著『人間の証明』感想 最後だけロマン主義

フーダニットだけがミステリじゃないと思うんだけどね。

「母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?」。西条八十の詩集を持った黒人が、ナイフで胸を刺されて殺害された。被害者は「日本のキスミーに行く」と言い残して数日前に来日したという。日米合同捜査が展開され、棟居刑事は奥深い事件の謎を追って被害者の過去を遡るが、やがて事件は自らの過去の因縁をも手繰り寄せてくる―。人間の“業”を圧倒的なスケールで描ききった、巨匠の代表作にして不朽の名作。

業を圧倒的なスケールで描いた、というのは同意ですが、ただ謎があって、解いて。そこに読者が参加する要素はあんまりない。

物語に全振りしてあって、ミステリ独特の面白みは少ないように思いました。だからこそ、映画にピッタリなのかも。

怨恨の刻印

位置: 543
棟居は、社会正義のためではなく、人間全体に復讐するために刑事になったのである。復讐だから、要は、追いつめた相手をできるだけ苦しませればよいのだ。

ダークヒーロー感。いいね、棟居。松田優作ぴったりだな。

位置: 609
棟居は、足を停めてその立ち去った方角をじっと見つめた。八杉恭子は家庭問題評論家として、テレビや雑誌に引っ張り 凧 の売れっ子である。

映画ではデザイナーだったけど、家庭問題評論家のほうが芯を食ってる。映画的演出に向いているから、改変したのかしら。

不倫の臭跡

位置: 1,219
さらに、彼女は体の深部にこれまで夫婦の間になかった〝異物〟を着けた。これまで彼らは行為の都度避妊具を使っていた。当然のことながら小山田が完全に健康を取り戻すまで、子供を産まないことに夫婦で申し合わせたのである。
それが、最近、文枝は性感が損なわれると主張して子宮リングを 嵌めた。

うーん、匂いますね。

位置: 1,226
小山田は、妻がそれを男のリクエストによって身に着けたにちがいないとおもった。避妊リングなどというものは、女が自分の一存で着けるものではない。必ず男の意志が働いているはずだ。彼はそのときはっきりと妻の不貞を悟ったのである。
だがそれも、動かぬ証拠ではなく、〝疑わしき状況〟にすぎない。

小山田、やきもきする。このへんの匂いを付きまとわせるの、すごく昭和の小説感がある。女が自分の一存で着けるものではない、ってのも偏見がすごい。

失踪の血痕

位置: 1,955
妻を盗まれた哀れなコキュの本能が告げるのかもしれない。

そんな言葉があるのか。コキュの本能という悲しいパワーワード。

過去をつなぐ橋

位置: 2,549
──母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね? ええ、夏 碓 氷 から 霧 積 へ行くみちで、 谿谷 へ落としたあの 麦稈 帽子ですよ──
「あった!」  棟居はおもわず声を出していた。

位置: 2,555
──母さん、あれは好きな帽子でしたよ。 僕はあのとき、ずいぶんくやしかつた、 だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

この歌、なんだかグッと来るものになってるのは、映画の魅力ですよね。
普通に読んでいたら読み飛ばしてしまいそうな。小説家の力、映画の力、メディアミックスの力ですかね。

忘れじの山宿

位置: 2,954
棟居の犯人に向ける憎しみには、異常なものがあった。警察官を志したからには、だれでも犯人に向ける憎しみや怒りはある。だが棟居の場合、それがあたかも自分の肉親を殺傷した犯人に対するごとき個人的感情が入っているように見える。

ダークヒーローとしての棟居の素質。十分ですね。
個人的感情に振り回される刑事、絵になる。

道具の反逆

位置: 3,376
「どうして賤しいんだ。最初にそれをしたのはおふくろなんだぜ。おまえだって知っているだろう。おふくろを有名にしたベストセラーは、おれの日記を土台にしたものなんだ。おふくろはそれを盗み読みしてやがったんだ。おれに悟られないように一年も盗み読みしつづけて、それをおれに内緒で本に書いてしまいやがった。あの本は、おれの日記のコピーのようなもんだ。おふくろはおかげで有名になった。しかしおれの秘密は、全国に知られてしまった。おれはだれも見ている者がないとおもっていた便所の中の自分の姿を、テレビにうつし出されたような気がしたよ。

子供を売りにするYouTuberとか今でもいますが、当時からあまり変わらないですね。子供義太夫とかもあったろうな。その被害者が加害者になり加害者が加害者の親となる皮肉。満ちてるねぇ。

おもかげの母

位置: 3,714
日本人の強さと恐さは、大和民族という、同一民族によって単一国家を構成する身内意識と精神主義にあるのではあるまいか。日本人であるかぎり、だいたい 身許 がわかっている。要するに日本人同士には、「どこの馬の骨」はいないのだ。

この辺の意識はピクッとくるところ。同一民族?日本人が?冗談じゃない。
森村先生、勉強不足じゃないですかね。

馬の骨いない説も昭和の思い上がり感を感じます。

位置: 3,732
物質文明の高度の 爛熟 は、人間の精神や温かさをはるか後方に置き去りにして、物質だけが先走ってしまった。この物質の悪魔の 跳梁 に最も冒されやすいのが、アメリカのような合成国家である。
もともと地縁によって結ばれた同一種族による国家ではない。成功の機会を求め、あるいは母国を食いつめてやって来た人間が寄り集まったのであるから、人間はみなライバルである。精神を物質が支配する素地が、アメリカの誕生とともにあった。
だが、日本はちがう。人間が最初から国土とともにあった。そこではどんなに物質が 氾濫 しても、人間を支配することはないだろう。

当時のニューヨークが、という気がします。アメリカも広い。だいたい主語が大きすぎる説にまともなものはない。国単位でものを語るのは危険よ。そこに国籍と性格とを結びつけるものは特に。

決め手の窃盗

位置: 4,511
薄暗い廊下でいきなり派手な服装の若い女から声をかけられて、棟居は一瞬、人ちがいかとおもって後ろを振り返った。
「刑事さん、私よ、いやあねえ、もう忘れちゃったの」
彼女はたしかに棟居の面に目を向けて笑いかけていた。
「ああ、きみか」
棟居は彼女が 八尾 の駅前旅館の若いお手伝いだったのをようやくおもいだした。
「すっかり様子がちがっていたので見ちがえちゃったよ」
棟居は改めて相手を見つめなおした。濃い化粧と、八尾にいたときは自然のままに下げていた長い髪をソフトアイスクリームのように高くまとめあげた奇抜なヘアスタイルが、まったく別人のように見せている。

ちょっとご都合が過ぎますけどね。彼女の存在が推進剤という記号でしかない。無機質だ。

巨大な獄舎

 位置: 4,813
金さえ出せば、たしかになんでも欲しい物は手に入れられた。だがそれは自動販売機で物を買うように、はなはだ味気ない。東京にいたときのように、「客」として遇されることがない。一流のクラブやレストランや劇場へ入っても、気後れしてしまう。ボーイやウエイトレスまでが「黄色い猿」と見下しているようにおもえる。
事実、有色人種は、白人から差別されている。同じ金を払っていながら、いい席は常に白人が占め、サービスも彼らが優先される。それに対して抗議もできない。東京なら絶対にこんなことはなかった。ちょっとした従業員のミスや不始末でも、支配人を呼びつけてあやまらせる。

ボンボンの苦悩、なんでしょうな。これはこれでつらい身分だとは思う。恵まれてるなりの不幸せかしら。幸せとはなんでしょうね。少なくとも凡人には比較で生まれるものに思えちゃうんですよね。

位置: 4,877
これまで他人のためばかりに生きてきたので、生まれて初めて、自分のために生きているような気がした。打算と、保身の 枠 の中での恋愛であったが、それはそれなりに真剣であった。もう二度とこのような恋はしないだろう。そういう恋の甘味だけをすくい取っていれば無難なのだろうが、のめりこまなければ恋の甘さが醸成されないのである。
ともかく、小山田文枝は、新見に恋の甘味と苦味、そして一定の枠の中ではあるが、自分に忠実に生きることの喜びを教えてくれた女であった。

打算と保身の枠の中の恋愛、したことないなぁ。打算はしてたけど、保身はなぁ。でも面白いんでしょうね。だから不倫てなくならない。ま、無くなる・無くしたほうがいい類の話でもないんでしょうけどね。

救わざる動機

位置: 5,005
「しかし、いかに保身のためとは言え、母がわが子を手にかけるものだろうか?」
その疑問が、ケンの推測に最後の歯止めをかけていた。

最後の最後でロマン主義なんだよね。そこがこの物語の弱点でもあり魅力でもあるんだろうな。

落ちた目

黄色のハイライト | 位置: 5,199
過ぎた。雅代と川村は依然として仲の良い友達であった。男女の間の友情は、なにもないのに等しい。特に一方的に異性としての感情を 捧げている側にとっては、まったく無視されているのと同じであった。男、あるいは女でありながら、中性として扱われる。  雅代に対する川村の立場がそれであった。なるほど彼女は川村を信用していた。だから、旅行へもよくいっしょに行った。だがそれは彼を男として見ていないからである。男ではないから、どこへでも安心して 従いて行けるので

人間の証明

位置: 5,440
「私はね、このごろジョニーがロイヤルホテルのスカイレストランへ胸にナイフを刺し込まれた 瀕死 の身で上がって行った心根が哀れでたまらなくなったんです」

想像するだけで感傷的な心持ち。まさに哀れでたまりませんよ。自分には母親がいてよかったと思えるところ。

位置: 5,486
母さえいれば、父も自分も、あのような屈辱を 嘗めずにすんだ。父も死なずにすんだ。母が、父と自分を捨てたからである。
八杉恭子も、保身のためにわが子を捨てた。単に捨てただけではない。はるばる海を越えてたずねてきたわが子を殺したのだ。母が子に対するこれほど決定的な拒絶があろうか。
棟居には、いま恭子が父と自分を捨てた母のような気がした。

学問でやたらと言及されるオイディプスコンプレックスがあるんだとしたら、その対になる「人間の証明・コンプレックス」があってもいいでしょう。

母親に捨てられたコンプレックス。

位置: 5,505
「彼女の中に人間の心が残っているかどうか 賭けてみましょうか」
「人間を賭ける?」
那須が目を向けた。
「八杉恭子にもし人間の心が残っていれば、必ず自供せずにはいられないように追い込んでみるのです」
「どういう風にするつもりだ?」
「麦わら帽子を彼女にぶつけてみたいのです」

ロマンチストなんだよな、ここに来て、やり方が。棟居の甘さというか、不完全さ、冷徹に悪人を追いやれればいいという当初の印象からはだいぶ離れる。そこがあたくしには物足りない。

位置: 5,659
「あなたが殺したのですね」
棟居は追撃の手を緩めなかった。恭子はしゃくり上げながらうなずいた。
「中山種さんを殺したのも、あなたですね」
「しかたがなかったんです」
後の声は言葉にならなかった。恭子はついに落ちた。決め手のつかめないまま、容疑者の人間の心にかけた捜査本部は、その賭けに勝ったのである。

どこかで女性は、母親は、「最後の最後は息子を愛す」みたいな幻想が根幹にあるような気がして、モヤッとします。平気で子を売る親もいますよ。

これだけハードボイルドというか、地続きの話を書いていて、最後の最後だけロマンに走るの、ちょっと興ざめですね。

位置: 5,732
すべてを悟ったジョニーは、私が中途半端に手を離してしまったナイフの柄に自らの手を当ててそのままグッと深く突き立てたのです。そして私に早く逃げろと言いました。ママが安全圏に逃げきるまで、ぼくは絶対に死なないから早く逃げろと、自分を殺しかけた母の身を 瀕死 の体で 庇ってくれたのです。

なんだか『容疑者Xの献身』みたい。こっちのほうが先ですけどね。
ジョニー、悲しすぎるよ。同じジョニーとして、君の分まで幸せになるよ。

The following two tabs change content below.
都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする