『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972』感想 

戦争が起きた今、また逆張りで左翼化する自分。

高揚する学生運動、泥沼化する内ゲバ、あさま山荘事件の衝撃。
左翼の掲げた理想はなぜ「過激化」するのか?
戦後左派の「失敗の本質」。

自分の命を投げ出しても構わない。他人を殺すことも躊躇しない。
これが「思想の力」である。
いま、戦後史から学ぶべき歴史の教訓とは。

すべてのジャンルはマニアが駄目にする、という言葉がありますが、まさにそれなんじゃないかしら。先鋭化し、思想すらチキンレース化すると、未来はない。

位置: 16
現在の日本共産党の党員には、自分の党で過去に何があったかを本書を通じてよく知って欲しい。そして、公認党史である『日本共産党の八十年』に記されているきれい事と較べて、心に引っかかることがあれば、その疑問を大切にして欲しい。日本共産党は、1922年にコミンテルン(国際共産党) 日本支部として生まれ、今日まで革命を目指すという方針を崩したことはない。その本質は、共産党組織への全面的忠誠と信仰を要請するスターリン主義という宗教だ。現下、日本の資本主義体制にさまざまな構造的欠陥(格差、失業、貧困、環境破壊、人生の目的が定まらないという疎外など) があるのはまちがいない。しかし、それを解決する処方箋としてスターリン主義を導入することはあってはならないシナリオだ。

資本主義も完璧ではないが、スターリン主義よりはマシだということを歴史が証明しています。たしかにそうだと思う。

位置: 32
池上氏も私も現在は特定の党派に所属していないが(私は高校二年から大学二年まで社会党系の青年組織である日本社会主義青年同盟協会派の同盟員だった)、基本的に労農派の枠組みが正しいと考えている。講座派系マルクス主義や日本共産党を支持する人は、ざらざらする感じがすることもあるだろうが、頑張って読み進めて欲しい。

労農派、前作にも出てきましたね。
あくまで後世の人の視点ではあると思いますが、たしかに講座派よりも労農派のほうが納得性はある。

「60年代」前史

位置: 108
新左翼による学生運動は1960年の安保闘争で社会・共産両党以上の存在感を示し、60年代半ば以降は彼ら自身が組織した全学共闘会議(全共闘) という運動体を通じて様々な反戦闘争や大学の自治確立のための闘争で主役となりました。

学生ってのは向こう見ずでね。
あたくしも学生だった時分がありますが、世間知らずでしたねぇ。

位置: 217
つまり表向きは社会主義を掲げながらも、その実は官僚主義や個人崇拝が蔓延している社会主義政党、あるいはそうしたものとの縁を切れない社会主義者のありようを「スターリニズム(スターリン主義)」と呼んで批判・忌避する動きが広まったのです。スターリニズム批判は1956年以降に広まった世界的潮流ではありましたが、日本においてそのスターリニズム批判を担ったのは主に新左翼でした。

とにかく現在のG7諸国はスターリニズム嫌いですからね。プーチンもその類といって良いのでしょうか。個人崇拝のように映ります。

位置: 251
それゆえにレーニンは、労働者は本来的に革命の主体となるべき存在でありながら、一方では資本主義体制からの脱却が原理的に難しいという矛盾した性格をもつと考えました。そしてこの矛盾を解消するために職業的革命家の集団であるボルシェビキを結成し、この職業革命家たちが労働者階級の意識に外部から働きかけることで初めて革命は成功に導けるのだという「外部注入論」を提唱し、実際にこの理論を実践してロシア革命を成功させたのです。

レーニンのこの視点は、あたくしは賛同するんですよね。あくまでアンチ思想としてしか、資本主義に抵抗できない。

位置: 371
話を整理すると、日本の左翼には共産党と社会党、そして彼らよりも遅れて登場してきた新左翼という三つの大きな流れがあり、そしてこの三者のうち社会党の左派と新左翼の親和性が非常に高かったことは、日本の左翼運動のひとつの特徴をなしています。
そしてこの不思議な結びつきがなぜ生まれたかといえば、それは社会党と新左翼がともに共産党に対する強い不信感を抱いており、「日共(日本共産党) にはもはや革命を任せられない」と考えていたことにあるのです。
池上  新左翼の原点としてのブント・革共同の経緯を共産党・社会党と絡めながら理解しておくと、六〇年代の怒濤のような左翼史を考える上での見取り図になるでしょう

敵の敵は見方、しかも思想が近い。となると、まぁ、そうなるよね。

第一章 60年安保と社会党・共産党の対立(1960-1965年)

位置: 466
ですから安保闘争にリアルタイムで参加した圧倒的多数の市民の心情としては、安保条約の中身以前に、「熟議を尽くす」という民主主義の基本を岸政権が軽んじ、「数の力」だけでなく、暴力的な手段まで神聖な国会に導入したことが許せないという思いが相当に強かったはずなのです。

岸信介の大きな失敗ですよね。正しいことをすれば後から評価されると思ってしまう。プロセスも大切なんです。民主主義を謳うなら、特に。
暴力を国会に、というと、今ならまっさきにトランプのことを思ってしまいますね。

位置: 631
念のため申し上げておきますが、私だって「現下の共産党が暴力革命を準備している」などと言いたいわけではありません。私が問題にしているのは、この党の、こうした矛盾や詭弁を平気で口にできてしまう体質の部分なのです。  こういう体質の組織はある日状況が一変して、トップが「やはり武装だ」と方向転換すればあっさり武装するんですよ。任俠団体と一緒で、黒いものでも親分が白だといえば今日からは白になるからです。この点が共産党の原則である民主集中制の特徴であり、私が共産党を「普通の党ではない」という一番の理由です。

ふむ。確かに。でも、それって共産党だけかしらね。
安倍政権なんて、結構これに近いことやっていた気がしますけども。

位置: 638
佐藤  謝罪するときに「誤解を招いたとすれば申し訳なかった」という言い方がありますが、これは「誤解したお前が悪い」と言いたいのです。志位氏はそれと同じで、「そういう解釈をする連中のほうが悪い」と言っている。自分たちの過去を真摯に反省していないからこういうことを言うのです。「無謬でなければならない」という組織の持つ危うさを強く感じます。

基本的に謝ったら死ぬ世界ですね。政治的には死ぬ。
でも、志位さんにはそこまで酷い印象を持たないのは、あたくしも印象操作にやられてるのかな。

位置: 1,034
佐藤  本章でひとつひとつ指摘してきたことで、共産党と社会党、さらに言えば日本共産党とそれ以外の左翼の間の違いが実に大きいということは読者にもわかってもらえたのではないかと思います。はっきり言えば日本共産党という組織がやってきたことは、マルクス主義という文脈からも当時の社会情勢から見ても合理的な説明ができないことがあまりに多すぎます。だからこそ日本共産党は、比較的最近まで日本の左翼の中でも少数派にとどまってきたと言えるわけです。

第二章 学生運動の高揚(1965-1969年)

位置: 1,122
ただこれらの慶大闘争や早大闘争のそれまでになかった点は、 闘争の過程で「全学共闘会議」、いわゆる全共闘という仕組みが登場した ことでした。
学生自治会という場は学生たちみんなの大衆組織ですから、ここで多数決をとり賛成多数が得られれば学生たちが全学ストライキを打つことも可能です。しかし同じストでもバリケードストライキ、つまりバリケードでキャンパスを封鎖し、建物を占拠するような戦闘的なストを行おうとすると、多数決方式では多数派のノンポリ学生がついて来られないので否決されてしまいます。
そこで慶大闘争や早大闘争では、革命意識の高い学生たちがブントや革マル、中核派といった所属党派の垣根を越えて集まる「共闘会議」が自治会とはまた別に組織され、この全学共闘会議を軸とした闘争が展開されました。
この全共闘が間もなく各地の大学ごとに結成されていくことになります。その中でも特に有名になったのが東京大学の全共闘と日本大学の全共闘。後で説明することになる二つの学園闘争を行った全共闘でした。

よく聞く言葉。全共闘。自治会とは別に結成された、意識高い学生だけの組織ってことですね。

位置: 1,135
だから 全共闘の特徴は、近代的な代議制「ではない」というところにこそあります。 自治会のように多数決で物事を決めるのではなく、「意識が高い」者だけで集まったほうがよい、そしてそこでは個々の議題についても投票ではなく拍手さえ起これば承認されたものとし、実践していくという思想です。

多分、初期はすごく良い雰囲気だったんだろうなぁ、と思いますね。意識の高い人達だけの理想的なユートピアみたいな。これが本当に先端化していく。恐ろしい話だ。

位置: 1,344
池上  (苦笑)。その中で最後まで安田講堂に残った数少ない東大生のひとりが、「安田講堂防衛隊長」に指名されていた医学部生・今井 澄 であり、今井は逮捕・勾留され、のちに有罪判決を受けて一年服役もしています。
ただ今井はのちに復学して医師免許を取得し、医師としては長野県茅野市の公立諏訪中央病院の院長を務め、院長職を辞した後は社会党から選挙に出て当選し参議院議員まで務めています。
安田講堂が落城する寸前に全共闘が講堂時計台の放送設備を使って放送した最後のメッセージ、「我々の闘いは勝利だった。全国の学生、市民、労働者の皆さん、我々の闘いは決して終わったのではなく、我々に代わって闘う同志の諸君が、再び解放講堂から時計台放送を真に再開する日まで、一時この放送を中止します」は今井が書いた文面であるといわれています。

根性の座った人だ。器が大きいのかなんなのか。

位置: 1,366
池上  そしてこの東大闘争とほぼ時期が重なる一九六八年五月から六九年春にかけては、東大闘争とならぶもうひとつの代表的学園闘争であり、規模としては最大となる日大闘争も勃発していました。
佐藤  この日大の話は本当にとんでもない話で……取り締まる側である警察さえ、最初は学生たちに同情的だったと警察官たちが回顧録にも書いています。

知らなかったですね。日大闘争。安田講堂ばかりで。

位置: 1,450
ところで日大全共闘の特徴のひとつに、後世の人間でも闘争の過程をごく容易にトレースできる点がありますね。なぜかというと、日大芸術学部映画学科の学生たちから成る「日大全共闘映画班」が大半の過程を撮影し、『日大闘争の記録』というドキュメンタリー映画として残してくれたから。
これが映画として本当によくできていて、続編の『続・日大闘争の記録』では福島県郡山市にある工学部の学生が気の毒にもたった一二人で校舎に立て籠もり、機動隊から放水車で砲水されて逮捕されるところまでカメラに収めているんです。今はYouTubeでタイトル検索すれば無料で観られますので読者には是非観てほしいです

すごい時代だ。

位置: 1,543
そもそもあの頃は就職活動では必ず支持政党を聞かれましたよね? 今では信じられないことですけど。
池上  支持政党、聞かれました

日本人がノンポリになったのは、少なくともこの時代より後なんだな。
支持政党聞くって、今じゃ考えられない。
コンプラ的になしか?いや、どうだろう。どういう思考をするかだからOKのような気もします。

第三章 新左翼の理論家たち

位置: 2,076
私の友人が同志社大学で経験したことですが、中核派はブント系の学生運動活動家が住んでいるアパートや寮の部屋を探し当てて、留守中に勝手に入って帰りを待つのだそうです。帰ってきたところで「私は中核派の者です」とちゃんと名乗る。ブントの学生が「てめえ! 人の家に勝手に上がりこんでどういうつもりだ?」と怒ると、「プライバシーなどというのはプチブルの発想だ」と開き直って居座るという。こんな気味の悪い作戦を忠実に実行するのですから、帝国陸軍の下士官になっていたようなメンタリティの人たちだと思いますよ。
池上  実際に自分たちを軍隊になぞらえるのが好きでしたよね。前にも言ったように慶應の日吉キャンパスは中核派の牙城だったのですけど、中核派が闘争への参加を訴えてキャンパスのあちこちに立て掛けてある立て看板に、ある時期から「慶大師団」という言葉が頻出するようになりました。それを見たある教授が、「一体「師団」が何百人単位の集団だと思っているんだ。わずか十数人しかいない連中が師団を名乗るとはなにごとだ」と講義で怒っていたのを覚えています。

Wikipediaによると6千人~2万人程度で師団、1,500人~6千人で旅団だそうな。

これ読むと、そりゃ、左翼は人気なくなるよね。過激派ばかり目立つ。

位置: 2,245
池上  前巻でも佐藤さんが言っていたように、リベラルと左翼は全く違うもので、リベラルはむしろ資本主義の思想ですからね。
佐藤  だから共産主義なる理論がどういう理論であって、それはどういう回路で自己絶対化を遂げるのか、そして自己絶対化を克服する原理は共産主義自身の中にはないのだということは、今のリベラルも絶対に知っておかなければいけないことなんです。

共産主義はどうやったって自己絶対化になるってこと。
まぁ、世界をみると明らかですね。実証されている。

位置: 2,249
私の考えでは、その核心部分は左翼が理性で世の中を組み立てられると思っているところにあります。理想だけでは世の中は動かないし、理屈だけで割り切ることもできない。 人間には理屈では割り切れないドロドロした部分が絶対にあるのに、それらをすべて捨象しても社会は構築しうると考えてしまうこと、そしてその不完全さを自覚できないことが左翼の弱さの根本部分だと思うのです。

これは自分にも当てはまる。理性中心主義。理想家的。
現実をもっと見なきゃね。

第四章 過激化する新左翼(1970年-)

位置: 2,348
池上  このように七〇年安保の闘争は再び左派の敗北に終わりますが、「安保延長反対」の呼びかけに対して世論が共感していなかったかというと必ずしもそうではなく、ベトナム反戦運動、成田空港問題などと結び付き、労働者層の支持も一定程度は得ていました。

ただ、尖ったやつが尖りすぎていたってことか。
確かについてはいけないよ、そんな考え方。

位置: 2,395
川本さんがこのあたりの詳細を記したのが2011年に映画化もされた川本さんの自伝的ノンフィクション『マイ・バック・ページ』ですが、この本の記述を読む限り、菊井は京浜安保共闘の幹部と名乗っていたものの実際は単なる目立ちたがり屋で、「赤衛軍」という名称にしても、この事件を起こすために名付けた実態のない組織だった可能性がありますね。
佐藤  『マイ・バック・ページ』は映画版も非常にいい出来ですよね。特に菊井に相当する役を演じた松山ケンイチの演技が素晴らしい。

へぇ。知らなかった。

今度観なきゃ。

位置: 2,436
池上  1970年11月の三島由紀夫自決(「三島事件」) に際して朝日新聞の取材に答えた内容も、滝田の闘争に関する思想がよく表れていますね。
ここで滝田は「われわれ左翼の思想的敗退だ。あそこまでからだをはる人間をわれわれは一人も持っていなかった。動転した」「七〇年代の闘争をやり抜くためには、新左翼の側にも何人もの〝三島〟をつくらねばならん」などと発言していました。

腹を切り、アジる。それがそんなに大切なことだったかね。

位置: 2,451
その時点ではもうすっかりいいおじいさんになってしまっていましたけど、往年の滝田さんはアジビラの名人でした。『滝田修評論集 ならず者暴力宣言』(芳賀書店) という本はその傑作集です。

なにそれ。面白そう。

位置: 2,647
池上  さて、ここまで新左翼運動の流れを振り返ってきました。佐藤さんはこれをどう総括しますか?
佐藤  哲学・思想の面で新左翼に優れたものがあったのは間違いありません。しかし、政治的には全く無意味な運動だったと言わざるを得ないでしょうね。革命を成就させられなかったというだけでなく、その後の日本社会に何らかのポジティブな影響を及ぼしたわけでもありませんでした。

そこだよなー。少なくとも右傾化しつつある2022年7月時点で、あの運動のいい影響って全然感じられない。

位置: 2,754
佐藤  ただ、だから新左翼は面白いのも事実なんですよ。リーダーたち一人ひとり個性が豊かで、それぞれの党派にも個性がある。それは彼らが、なろうと思えば大学教授や官僚、裁判官や弁護士、一流企業の総合職などゆくゆくは日本の中枢から動かせるくらいの知的能力も意欲も備えながら、社会の矛盾を正したい一心で自分の人生全部を棒に振る覚悟でロマンを追求したからです。既存体制の中にある知識人の欺瞞、大学の中の親分・子分関係にもとづく空虚なヒエラルキー、そうしたものすべてに異議申し立てをすることで、人間の解放をしようと本気で目指していた。  そういう意味では、 自分一人の栄達だけで満足できてしまえる21世紀型のエリートではなかった。そこはやはり評価しなければいけない点だと思います。

ふむ。面白い指摘だ。

位置: 2,773
だから新左翼の心理を理解するには映画『仁義なき戦い』を見るのがいい。得体のしれない「出入り」が日常的にあって、以前は仲良く付き合っていた同じ大学の仲間と、組(党派) を違えたせいで殺し合いをしなければいけなくなる。あるいは組織の下っ端は「男を上げ」ようとして死にものぐるいで頑張るのだけれど、そうした下の心情を組織の幹部は知りぬいた上で利用していて、最後は消耗品として使い捨てられる……。あれが新左翼の雰囲気そのままですし、あの映画を全共闘世代が熱狂的に支持したのは当然です。

いまだ未視聴なんですが、そろそろ観てもいいですかね?広島死闘篇、とか、名前だけは知っているんですよね。

位置: 2,789
この頃に同志社大学神学部の学生部長を務めていた 野 本真 也(後に神学部長、学校法人同志社理事長、二〇二一年死去) という教授から言われた言葉が、私にとって非常に印象深いものなんです。
「佐藤君、政治には「大人の政治」と「子供の政治」がある。私は、君たち学生が学友会(ブント系が握る同志社の学生組織) で活動することも、神学部自治会がアナーキズム運動をやることも全く構わない。君等は怒るかもしれないがそれは「子供の政治」だからだ。
その「子供の政治」を経験しながら、様々に試行錯誤をしていくのは学生にとって必要なことだし、同志社は元々そういう経験を許容する空間だった。
政治の世界で起きることはパターンとしては全部同じだから、人をまとめるのがどれほど大変で、どんなところから諍いが起きるか小宇宙での経験を通して知っておけば、卒業後に大きな政治に遭遇したときに、それが保守系であろうが革新系であろうが、あるいは企業内の政治であろうが過度に戸惑わずに済むからだ。
ただし民青や中核派、あるいは統一教会は違う。これは「大人の政治」、大人が自分たちの組織的目的のために子供たちを利用する政治だ。我々は教育的観点で、そうした「大人の政治」から君たちを守る義務がある」というんです。

池上 なるほど。

つい先日、統一教会とのつながりに怒った40代男性が安倍元総理を殺害しました。

大抵の人間は、「大人の政治」に飲み込まれるとえらい目にあうってことですかね。けして許されることではない。

しかしこの、野本教授の言い分はまったく理解できます。その通り。学生には学生の経験を積む場が必要であります。

位置: 2,810
ナショナリズムにおいては、「より過激なほうがより正しいことになる」という原則があります。たとえば北方領土問題では、ロシアが実効支配している四島のうち 歯舞群島と 色丹島の二島を返還させるよりは 択捉島、 国後島も含めた四島返還のほうが正しいということになる。さらにはサンフランシスコ講和条約締結時に日本が領有権を放棄した千島列島や南樺太も含めて全部返せというほうが正しいということになってしまう。固まった空間の中に限られた人間だけで活動していると、どうしてもそうなるんです。革命運動もそれと同じで、より過激なほうがより正しいということになってしまうから当然に先鋭化する。

池上  そうです。

まさに。だからあたくしはあまりナショナリズム好きじゃない。というか嫌い。ナショナリズムはならず者の最後の砦ですよ。サミュエル・ジョンソンは良いことを言った。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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