『真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960』感想 世の中知らないことばっかり

知らないことが多すぎて。

日本の左翼は何を達成し、なぜ失敗したのか?
――忘れられた近現代史をたどり、未来の分岐点に求められる「左翼の思考」を検証する壮大なプロジェクト。

深刻化する貧困と格差、忍び寄る戦争の危機、アメリカで叫ばれるソーシャリズムの波。
これらはすべて、【左翼の論点】そのものである!
激怒の時代を生き抜くために、今こそ「左の教養」を再検討するべき時が来た――。

◇◇◇◇◇

戦後復興期に、共産党や社会党が国民に支持された時代があったことは、今や忘れられようとしている。
学生運動や過激化する新左翼の内ゲバは、左翼の危険性を歴史に刻印した。
そしてソ連崩壊後、左翼の思考そのものが歴史の遺物として葬り去られようとしている。

しかし、これだけ格差が深刻化している今、必ず左翼が論じてきた問題が再浮上してくる。
今こそ日本近現代史から忘れられた「左翼史」を検証しなければならない。

「日本の近現代史を通じて登場した様々な左翼政党やそれに関わった人たちの行い、思想について整理する作業を誰かがやっておかなければ日本の左翼の実像が後世に正確な形で伝わらなくなってしまう。私や池上さんは、その作業を行うことができる最後の世代だと思います。」(佐藤優)

共産党はともかく、社会党なんて今、弱小政党ですからね。
しかし人気があった時代もあったんですな。

我々は世代的にそれを知りません。学ばねば。

序章「左翼史」を学ぶ意義

位置: 155
この左翼、つまり急進的に世の中を変えようと考える人たちの特徴は、まず何よりも理性を重視する姿勢にあります。
理性を重視すればこそ、人間は過不足なく情報が与えられてさえいればある一つの「正しい認識」に辿り着けると考えますし、各人間の意見の対立は解消される、そうした理性の持ち主が情報と技術を駆使すれば理想的な社会を構築することができる、と考えます。
池上  19~20世紀の左翼たちが革命を目指したのも、 人間が理性に立脚して社会を人工的に改造すれば、理想的な社会に限りなく近づけると信じていた からです

なるほど、だからインテリに支持されるわけだ。
原則的にはあたくしも左翼的考えがあります。つまり理性を重視する傾向。

位置: 169
一方で右翼(保守派) の特徴はなにかといえば、彼らも理性を認めないわけではありません。しかし人間の理性は不完全なものだ、と考えているのです。
人間は誤謬性から逃れられない存在なので、歴史に学ぶ謙虚な姿勢が必要です。左翼のように無闇にラディカルな改革を推し進めるのではなく、漸進的に社会を変えていこうと考えるのが本来の右翼です。

しかし、これもまた首肯せざるを得ない。右翼的な発想も、自分にはありますね。
というか、みんなそうか。過激派でない限り、どちらも持っていて当たり前だ。

位置: 176
戦前から戦後にかけての長い時期に、いわゆる高学歴の秀才たちは、総じて理性に依拠する左派の考え方に魅かれていきました。
しかし現在の左翼・右翼像と照らし合わせて、佐藤さんの説明に違和感を覚える人もいるでしょうね。時代とともに、「左翼=反戦平和」といった左翼観に変貌した印象があります。

そうそう。右翼左翼=国粋戦前派か反戦か、ってのが現代のざっくりした印象じゃないかな。

位置: 225
佐藤 このように、 平和、非武装へのこだわりを終始一貫して持ち続けたグループが、左派の勢力図の中で、長いあいだ多数派を占めていたことは、戦後の日本左翼史を特徴づける一つの重要なポイントであると思います。

そうそう、日本の左翼は非武装・平和。このイメージよね。

位置: 238
実は私が今回の対談をどうしても池上さんとしたかった理由の一つは、この社会党の位置づけについて再考したかったからなのです。
これまでに世に出ている日本の左翼運動史の本は、社会党の位置づけについて全く不十分な分析しかできていないんですよ。

そうかもしれない。あんな弱小政党が?って感じですけどね。

位置: 274
戦後は合法政党となり、全国に約27万人(2019年時点) の党員を抱え、衆議院に12、参議院に13の議席を占めるに至っていますが、現在も革命政党であることを綱領で謳っています。ただし現在の日本が必要としているのは社会主義革命ではなく、「異常な対米従属」と「大企業・財界の支配」を打破して、日本の真の独立を勝ち取り、政治・経済・社会の民主主義的な改革を実現することだと主張しています。

共産党の話。
まぁ、だいたい印象通りですね。対米従属の見直しを謳っているとは知らなかったけど。

位置: 296
立憲民主党の議員たちが行う国会質問は新聞や週刊誌の報道をなぞって「そういう報道が出ているが事実か?」と問いただすだけのものであるのに対し、共産党は政権を刺すためのネタを摑んでくる独自の調査能力を持っている。

これ本当にすごいと思いますね。
へたなマスコミよりよほど調査能力がある。でも、当たり前か。彼らはまだ闘争の最中だから。

位置: 304
歴代の内閣総理大臣が各界の功労者を招いていた「桜を見る会」に関して、 安倍晋三 前首相が地元選挙区の支援者を大量に招待するなどして私物化していたと批判された問題は、もともと赤旗が2019年10月13日付の日曜版で報じた記事(「首相主催『桜を見る会』安倍後援会御一行様 ご招待 地元山口から数百人規模 税金でおもてなし」) が発端でした。赤旗はこの記事で、その年の特に優れた報道に授与される、第63回「JCJ賞」(主催=日本ジャーナリスト会議) の大賞を受賞しています。

そうそう、赤旗はすごい。
読み物として結構優れているところがありますよね。読むまでにアレルギーがあるだろうけど。

第一章 戦後左派の巨人たち(1945-1946年)

位置: 550
講座派は当時の日本の支配体制を、「全体主義的な天皇制」「地主的土地所有」「独占資本主義」という三者が分かちがたく結びついた体制とみなし、まずは天皇制を打倒する人民革命を起こして普通の資本主義国、つまりは三井や三菱のような財閥・巨大企業が支配する時代を作る必要があると主張しました。

位置: 554
とりあえず資本家がわが世の春を謳歌する世界を作っておいて、その世界がある程度発展したところで満を持して社会主義革命を起こすという「二段階革命論」を提唱したのです。

野呂栄太郎らの講座派は、資本家をまず伸ばせ、と。
うーん、段階的に考えるってのは悪くないと思うにしても、まず資本家を伸ばすってのには抵抗あるかな。

位置: 556
それに対して労農派は、明治維新が不完全ではあったものの欧州のブルジョア革命に相当するものであり、日本はすでに資本主義国になっていると考えました。「日本国は講座派の言うような特殊な国ではないし、革命を二段階で行う必要などない。すでに三井、三菱などといった財閥が強大な権力をもっているのだから、この財閥を打倒すれば社会主義革命は成就するのだ」と主張したわけです。

結果、講座派がGHQのヒアリングを受け、農地解放などにつながっていく、と。歴史は面白いね。簡単にIFが成り立つ。

位置: 796
もっとも、そうした共産主義者の嫌疑をかけられながらも獄中で敬意を払われた知識人のひとりである同志社大学の故・和田 洋 一名誉教授(ドイツ文学者) などは、一九五八年の著書『灰色のユーモア 私の昭和史ノォト』の中で、自分の隣の房に入れられていた朝鮮人は逆さづりにされて、それはそれはとんでもない暴行を受けていた、とも書いています。だからそういう、とてつもない弾圧・圧政と、ある種のじゃれあい、緩さが混在・併存していた。それが戦前の日本だったようなのですね。
池上  ただ、反体制的な言論も言論にとどまっている限りは意外と自由があった? 佐藤  隅から隅まで真っ黒黒な暗黒時代で、誰も何も言えないというような時代では案外なかったし、言論活動だけで殺される、ということは必ずしもなかった。だからそういう意味ではやはり日本の体制はナチスとは違っていたと思います。思想という営為に対する、一定の畏敬の念を官憲の側も持っていたという点では。

特高警察について。
あんまり酷い話ばかり聞くからね。実際、そういうこともあった、ということでしょう。どちらも含んでいた。

第二章 左派の躍進を支持した占領統治下の日本(1946-1950年)

位置: 981
彼らが敗戦と同時に、それまで戦争を推進してきた人々と入れ替わる形で新国家建設の担い手として躍り出てくるにあたって、その多くは「これまでのような軍国主義的な日本はもうイヤだ。しかし共産党に入るのは御免だ」と考えた。そうした人々がとりあえず小異を捨てて大同につくと決めて結成されたのが社会党という政党だったということでしょう

先の衆議院議員選挙、野党連立が結局うまく行かなかったようですが、それも歴史上あったことなのかもしれませんね。

小異を捨てて大同につく、ってのは、本当に一時的にただ「勝つ」ためだけの方策で、その後は大変になるし、やるべきではないというのがあたくしの見解かな。

位置: 996
そうしたなかで労農派マルクス主義者の中心人物である山川均は1946年1月、社会党と共産党が一緒にやっていくべきだ、人民戦線をとりあえずつくっていこうじゃないかと呼びかけをし、これには野坂参三たちも乗り気でした。
ただ、これは両者の思惑が違うんですよ。山川均たちは本当に、あらゆる党派の垣根を越えて参加できるオープンネットワーク的な人民戦線を考えていたのだけど、野坂たちはその人民戦線に入り込めば遠からず日本の左翼運動内でのヘゲモニー(主導権) を握れると考えて呼応した。
そしてこれは、実はいまの共産党が沖縄でやっていることに似ています。沖縄では保守・革新の両陣営が「新基地建設反対」という一点で団結する「オール沖縄」勢力が 翁 長 雄志 前知事の時に形成され、現在も選挙協力などを続けていますが、実はあの事務機能は共産党が掌握しています。
ひとつの政治運動は事務局を掌握しさえすれば全体をコントロールすることが可能です。これは「事務局」を「書記局」に言い換えればわかりやすいと思います。

どこにいっても権力闘争だ、嫌になるね。

位置: 1,009
ソ連共産党に書記局が作られたのは、もともとは初代の最高指導者であるレーニンを補佐する事務局としてであり、スターリンはその部署のトップでした。一般の会社で言うと総務部長のようなものでしょう。しかし現代の企業の総務部がまさにそうであるように、ソ連共産党の書記局には人事に関する情報や党内のトラブルまであらゆる情報が集中しました。スターリンはその情報を駆使することで党内をのし上がっていったのです。

位置: 1,018
政治の世界では結局、情報を武器にできた人が一番強いのだということをよく表しています

位置: 1,019
佐藤  国連のトップも、日本では普通「事務総長」と訳されますが、あれは「Secretary-General」なのですから「総書記」のほうが正確です

みんな一度は思う「書記長って(笑)」ってやつの正体ね。

位置: 1,042
いずれにしても戦後最初のメーデーが行われたのは、そのような食糧危機に見舞われた状況下でした。だからあのようなプラカードも掲げられた。俗に「天皇プラカード」「チンタラプラカード」と言われているものですが。
池上  「詔書 國体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」ですね。
これを掲げていた 松島 松太郎 という共産党員の労働者は不敬罪で逮捕・起訴されてしまった。不敬罪が廃止されるのは一九四七年の刑法改正以降のことで、この頃はまだ不敬罪が存在していましたからね。

なんとまぁ、目出度い名前。
それにしても皮肉がすごい。流石にユーモアかどうか疑うところだ。ちょっとストレートすぎる点に品の無さを感じますね。

位置: 1,085
共産党が現憲法制定時に九条に反対していたことは今の若い人には驚きかもしれませんね。

そうね。共産党といえば、だもんね。

位置: 1,133
ただ若い頃の渡邉さんが気づいた「マルクス主義が人格的価値を重視していない」というのはさすがに鋭い指摘で、だからこそ共産党や後に述べることになる新左翼は往々にして「目的が手段を浄化する」という発想にとらわれ、暴発してきました。

まさに失敗の一因でしょうね。やはり目的のためには手段を選ばねばならないわけですよ。
目的を長く達成し続けたいならね。勉強になる。

位置: 1,200
つまり当時の共産党では、日本人ではなく琉球人や朝鮮人というアイデンティティを持つ者が指導部にいることはまったく問題視されていなかった。むしろ「プロレタリアートに国境はない」という理念に忠実に、日本人・琉球人・朝鮮人によるインターナショナル組織で世界革命を志向していた。
これは、今の共産党に国籍条項があることと比較するとたいへんに興味深い事実です。日本共産党は1960年代以降、宮本顕治書記長らの決定で、外国人の入党を全面的に禁止していますから。

それは知らなかったなぁ。外国籍駄目なんだ。狭量に思えますね。
どうしてかは知りませんが。

位置: 1,232
すると七月五日、下山総裁が三越日本橋店に入ったところで行方不明となり、翌六日未明に東京都足立区の常磐線と東武伊勢崎線が交差する付近で轢死体で発見される「下山事件」が発生します。

位置: 1,236
そして下山総裁の轢死体が見つかった10日後の7月15日には、中央線の三鷹駅で無人電車が暴走する「三鷹事件」、さらに8月17日、東北本線の松川駅付近で列車が転覆して死傷者が発生する「松川事件」が発生します。当局はこの三つの事件がいずれも共産党の仕業であると発表し、共産党は急速に退潮していくことになります。

国鉄三大ミステリーね。
GHQが共産党の最大拠点となっている国鉄労働組合にリストラを命じ、その決定に対する報復と考えられているそうな。確かにイメージは悪い。

一つのターニングポイントかね。

位置: 1,272
すでに何度か言及している「コミンテルン」は、この第三インターナショナルのことです。中国共産党も、もともとはコミンテルン中国支部として発足しました。

位置: 1,289
佐藤 さて、さきほども述べたようにコミンテルンは第二次大戦中の1943年に解散してしまったわけですが、戦争が終わり、また共産主義革命の機運が盛り上がると、やはり国際共産主義運動の拠点が必要だということになったので新たに「共産党間労働者党間情報局」を作った。これがコミンフォルムです。
最初コミンフォルムの本部はユーゴスラビアのベオグラードに置かれるのですが、ユーゴスラビアが革命方針をめぐってソ連とぶつかってしまったのでルーマニアのブカレストに移りました。
そうするとブカレストには各国での革命を遂行するために、各国から派遣された連絡員が集まってくるわけですよね。1956年のソ連共産党第20回大会でコミンフォルムは廃止されました。その後、各国共産党の連絡機能を果たしたのがプラハの『平和と社会主義の諸問題』誌編集部です。同誌編集委員の肩書で1959年から5年間プラハに派遣されていた、 米原 昶 さん(元衆議院議員)。ロシア語通訳者で作家・エッセイストでもある 米原 万里 さんのお父さんです。

コミンテルン(第三)、コミンフォルム、第一~第二インターナショナル……沢山でてきて覚えきれん。第四インターナショナルはコミンフォルムのことではなく、トロイツキズムのことなんだとか。ムズカシイ。

位置: 1,343
こうして共産党は所感派と国際派に分裂し、所感派は地下活動への移行を余儀なくされるのですが、この「50年分裂」前後の空気を見事に切り取り、今の若い人たちにも皮膚感覚で理解させてくれる『日本の夜と霧』(1960年、 大島 渚 監督) という映画があります。あまりに政治性の強い内容に恐れをなした松竹が封切り四日で上映を中止してしまい、怒った大島監督が松竹を退社するきっかけになった作品としても有名で、2021年5月現在はAmazonのプライム・ビデオで300円で視聴できます。

さっそくポチりました。
いやー、ほんと、知らないことが多すぎて。

位置: 1,482
問題は、共産党がこれを今もって撤回していないということです。撤回する代わりにあの人たちがしたことといえば、本を絶版や品切れにし、人目に触れないようにしただけです。こういうところに、暴力革命政党としての「しっぽ」が現れてしまっています。
池上  たしかに、単に「なかったこと」で済ますには重大すぎる内容です。現在の共産党が暴力革命路線を完全に放棄しているならば、これらは撤回すべき論文のはずですが。

これだから政治というのは信用できない。正々堂々、と口では言っても、自分たちは正々堂々しない。これは右翼も左翼も変わらない。

あたくしの基本姿勢ですね。

第三章 社会党の拡大・分裂と「スターリン批判」の衝撃(1951-1959)

位置: 1,632
でもここで不思議なのが、占領軍がこの仕事を警察に任せず公安調査庁という別個の役所をわざわざ作ったことです。この真相はいまだに謎なのですけど、私は、占領軍は本質的に日本の警察を信用していなかったのだと思うんですよ。
池上  その可能性はありますね。公安調査庁というのはアメリカとの関係が非常に深い役所で、いまだにワシントンに出向ポストも持っていて、CIA(アメリカ中央情報局) やMI6(イギリス秘密情報部) のカウンターパート的な役割を果たしている。

血のメーデー事件を受けて、公安調査庁を作る件。
元々は共産党の六波羅探題として作られたんだね。

位置: 1,685
池上  だけど、ここで 今度は財界が、このままでは社会主義革命を起こされかねないという危機感から自由党と民主党に一緒になることを必死で働きかけ、これにより自由民主党が結成されました。いわゆる五五年体制の完成です。
佐藤  保守陣営がそういう選択を迫られるほどに社会党が脅威になっていた。しかも国政選挙の結果とは別にマスメディア、それから知識人の世界での支持率で考えれば、当時の自民党と社会党の実力は伯仲どころか七対三ぐらいの割合で社会党のほうが強かった。それぐらい社会党の影響力は強かった。

かつては社会党も人気があったんだ。
いまとなってはの感がありますね。

このときからすでに烏合の衆ではあったものの。
しかし数に頼めるといのはデカイからね。

位置: 1,869
ただ、彼に限らず、 当時日本の左翼が理想的な国と考えていたソ連がハンガリーの民衆を蹂躙したこの動乱はショッキングでしたし、それ以前にスターリン批判が明るみに出た段階でも衝撃的でした。 なにしろ当時のスターリンはマルクス、エンゲルス、レーニンと並ぶ共産主義のアイコンでしたから。中国などは、いまでもスターリン批判を認めていないくらいですよね?

ハンガリー動乱が左翼没落の初手だったのか。
ま、何にせよ政治をあまり信用しないことだね。手のひらを平気で返す世界だ。

第四章 「新左翼」誕生への道程(1960-)

位置: 2,033
だから岸は、日本にアメリカ軍を駐留させる代わりに日本が攻撃された際にアメリカが守る義務があることを認めさせ、日本国内の暴動をアメリカが鎮圧・弾圧する規定も除外させた。岸が六〇年の安保改定で目指したのは主にこの二つですね。
なので冷静に考えれば、別にそこまで批判されることではないとも思えるのだけれども。
佐藤  実際に条文を読んでみれば明らかにそう言えますし、実態とイメージの隔たりがかなり大きいわけですが、社会党の主導で反対運動が盛り上がってしまった。
池上   安保条約が改正されることによって、アメリカ軍の恒久的な日本駐留を認めることになり、これによって日本が台湾や朝鮮半島での戦争に巻き込まれるリスクが生じる、という主張に基づいて反対運動を起こしたのは社会党でした。

結果、安保闘争へ。
どうだったのかね、これは。政権転覆出来ていないわけだから失敗に終わったという見方でいいのかな。

今となっては、社会党もこれが契機で没落していったような印象ですが。

位置: 2,233
池上  そういう意味においても向坂逸郎という人はやはり正真正銘の革命家だったんでしょうね。
佐藤  はい、ただの知識人じゃないですよ。だって三池争議を指揮していた頃なんて炭鉱に通い詰めては、特攻隊帰りなど海千山千の炭鉱労働者たちを説き伏せてみんな自分のシンパにしてしまい、鉱山会社が暴力団を雇って人殺しまで起きるような現場で先頭に立って戦い続けたわけですから。それはやっぱり根性の入り方が違いますよ。

すげぇ人もいたもんだ。

位置: 2,295
目的が手段を浄化すると思いこんでしまうと、本当に恐ろしいですよ。

よくある手口だ。

位置: 2,358
共産党と公明党がお互いを敵視しないことを約束して「創共協定」を結んだ1975年に宮本顕治は創価学会の 池田 大作 会長(現名誉会長) と対談していて、この内容は『池田大作 宮本顕治 人生対談』(毎日新聞社) という本で読めるのですが、これが実におもしろいんですよ。

そんな協定あったんだ。知らなかったね。

位置: 2,396
ソ連が崩壊して党内に動揺が走った1991年に宮本が出した指示は衝撃的でした。 「お前たちはソ連の崩壊に対して一切動揺する必要はないし、何も考えないでいい。今の党の立場を対外的に説明するための理屈は我々最高幹部が考える。お前たち一般党員が党の外の人と話すときには、『職場で搾取された』とか、『親やきょうだいを戦争で奪われた』とか、そういう共産党に入る動機になった話をなんでもいいので、なるべく実感を込めて、具体的に話すことだけを心がけろ。そうすれば今のこの危機は切り抜けることができる」──こういう指令が来たというんです。
これに対して当時の共産党員たちはこの指示を忠実に守り、『日本共産党』という党名を変えないことも含めて組織が決めた方針に全面的に従うことで生き残ることができたというんです。宮本のこの指導力というのは、やはり破格です。

すごい指導力だ。それで乗り切っちゃうんだからね。

親玉が倒れても、なんとかなる。中国大返しみたいだ。

位置: 2,414
冷戦が終わった途端に、社会主義下のソ連や中国でひどい人権侵害が行われていたことが分かってきて社会主義を理想化する空気が一気に冷めていったのに加えて、中国が軍事拡張路線を取り始めて日本にとっての脅威とみなされるようになり、社会党が長らく掲げてきた非武装中立や対中友好などの路線は素直には受け入れがたいものになり始めていた。そういう空気にあって、社会党が自らのあるべき路線・方針をピシッと示せなかったことが党勢衰退の最大の原因と思いますね。

そうか、追い打ちかな。

位置: 2,434
当時の社会党を引っ張っていた横路孝弘さんや 土井たか子さんは、今では社民党の中でも左派的な政治家と見られていますけど、実際は反社会主義協会で右翼社民です。 辻元清美 さんなどになるとマルクス主義への関心じたい、普段の言動から全く感じられません。私の母親は、「鈴木宗男事件」の時に辻元さんが国会で私のことをボロクソに言っているのを聞いて、「なんでよりによって社青同の活動家だったあなたが社民党に攻撃されなければいけないんだ」と憤っていました。母はあれで社民党支持をやめたんです。

佐藤さんの言。まぁ、たしかにそうなるよね。
しかし、じゃあ今の社民党の思想的基盤ってなんだ?って気もしますが。

おわりに

位置: 2,500
1991年12月のソ連崩壊は、日本の社会主義運動に決定的に重要な影響を及ぼした。社会党左派と新左翼の社会に与える影響力は著しく衰退した。大学の講座でもマルクス主義系の学知が伝えられなくなった。その結果、左翼の世界においては共産党の一人勝ちになっている。現実に影響を与える左翼史の研究、マルクス・レーニン主義(現在の共産党用語では科学的社会主義) や『資本論』の解釈において、共産党のバイアス(偏見) が極端にかかるようになっている。日本共産党の本質はスターリン主義党だ。資本主義の構造悪を断ちきろうとするためにスターリン主義という別の構造悪を導入することは避けなくてはならない。この問題意識が読者に共有していただければ幸甚だ。

佐藤優さんの「おわりに」。
ここにすべてが入ってるね。

共産党は単なる平和・平等主義の政党じゃないってことが分かっただけでも、本著を読んでよかったかも。

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