京の文化への猛烈なあこがれは、やはり根強いんですな。
[amazonjs asin=”4122047412″ locale=”JP” title=”料理のお手本 (中公文庫―BIBLIO (B18-24))”]
懐石料理六〇年余。料理修行の哀歓から、ダシの取り方、揚げ物の勘どころ、納豆に豆腐にお茶漬け、四季折々の旬ごよみ、食器入門、栄養と味と値段の三つを上手にかみ合わせた、家庭料理の食卓演出手引き。
家庭料理の手引き、とありますが、なかなかどうして、難しい。
土井善晴さんの「家庭料理は一汁一菜でいい」というのは、多くの主婦の救いにも鳴った言葉のように思ってます。あたくしも救われた。
救われなくたって一汁一菜しか出せない日があるんだから、「それでいいのよ」と云われると、否が応でも助かる。ま、甘えちゃならんとは思っていますが。
著者の辻さんはおそらく、一汁一菜とかいうレベルではない「家庭料理」の人。ま、書かれたのが1950年代ですからね。専業主婦が旦那様に作る料理、という前提なんでしょうが。現代人には適応できぬでしょう。
位置: 579
床に掛物が一幅と炉に釜が掛けられてあるだけの四畳半、または三畳敷の茶席で、世俗を忘れる静寂さ。気の合った人たち五人の前に、主人が持ち出すお膳には、湯をはって温めておいたお椀に、焚き立てのやわらかい御飯一杓子と、その御飯に合うだけの分量で盛られた煮えばなのあつい味噌汁がおかれ、その向正面には、膾仕立にした作り身の少量が陶磁器に盛られ、杉箸が水をふくんで置き合わされています。 その端正な美しさに、ひたすら味を求める心境となり、食欲は、その蓋をとった瞬間の香りと立ちのぼる湯気に集中されます。
どこの華族様の話か、と言いたくもなりますが、辻さんが相手にされてきた、もしくは育ってきた環境というのはそういう人たちだったんでしょうな。
位置: 667
十一月の中旬、紅葉のさかりには、毎年小倉会が催されました。これは二尊院で角倉了以翁の霊を慰める法要がいとなまれ、献詠披講や、けまりなどの風雅な催しも行われます。また厭離庵その他で、名器名什による茶会が催されるのでした。 二尊院の参道脇の楓樹の下に、紫に白の幔幕をはりめぐらし、赤毛氈の捨床几五六脚、半月縁高に吸物の点心で、二百人あまりの風流人が集まるというにぎやかなものでした。
ふぅん。
位置: 877
かみしめて「うまい」と感じるのは、さらに適度にさめた時だと思います。握りずしのご飯も、この適度にさめた時が一番うまいのです。 ましてお茶漬けにするご飯は、熱つ熱つではあまり感心出来ないということになります。 さめきらないご飯を、白地の朝顔形の茶碗に七分目ぐらい盛って、山吹色のお茶の出ばなを、ひたひたについで、象牙の箸でやや金属性に近い音をたててさらさらと、かき込むところに、お茶漬けのだいご味があるようです。
これはちょっと分かる。握り飯ってなんであんなに美味しいのか。
麗筆な料理人、という言葉がしっくり来るくらいにお上手。赤坂のお店は昼でも15,000円以上するってさ。メシはともかく、文章だけでも味わおうじゃないの。
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