清水一学、カッコイイ、と今更気づく34歳。
人生は永遠に勉強ですな。
位置: 6,571
「赤穂、京都、山科、その他を、実地に隠密して歩いて感じたことは、成程、彼等のうちにも、脆弱な分子もあるが、今日まで内蔵助から離れずにいる連中は、皆、死を楽しんでいることだ。怖ろしい事じゃないか、これ以上の強敵はあるまい」 「わかる。……おれにはそれが分る気がする。俺たちが幼少からたたき込まれた教養はそうだし、昨日までの社会はそれを道義の美としていたのだから、そうなるのは当然だ。──徒らに敵を憎んで、やれ、扶持を離れた人間の自暴自棄だとか、虚名を博すための行為だとか、裏を搔いたような観方をする奴には、武士道の極美が、──死というものが──どんなに当人にとって本望で楽しいものかが分らぬからだ。俺の今の気持も、正しくそこにある。自分でも不思議なくらいに思えるのだ。死ぬ日が、少しも嫌でない。──この陰鬱な屋敷にいる俺でさえ、そうだもの。
ロマンチックね。死を覚悟した侍の矜持。
ちょっと過剰なくらい、ロマンに溢れてる。読む分には良いけど、こういう過激に感情的なところは気をつけないと引いちゃうところもある。ナルシシズムというか、度数高めのお酒のような。
位置: 6,805
「あきれた世相だ。われらのような慶長元和の古風を慕い、まだ尚武の風のあった寛永気質を尊ぶ者などは、所謂、頭が陳腐いと云われるやつだろう。何せい、執政の柳沢があの態たらくじゃ、その下にいる俗吏ばかりは責められぬ」位置: 7,043
これが、戦場というような場所であって、人間が、獣性に還元し、耳に眼にするものが、すべて修羅の音響の中に於いての事ならば、それはまだ云うに足らない。 だが──。 世間は、酒の歌と、女の脂粉と、元禄町人の豪奢と、侍たちの伊達小袖と、犬医者、犬目付の羽振りと、あらゆる眩惑や懐疑なものに満ちていた。朝風呂の濡れ手拭をさげて、小鍋立ての人生もそこらにあるし、隅田川に雪見船を浮かせて、忍び三絃をながす人生も河の中にまである。江戸座の俳句の運座は、夜毎にあった。
現体制の批判をするにもこの言葉遣いですよ。「我ら寛永気質を尊ぶもの」なんて、そうそう言える台詞回しじゃない。
軽佻浮薄な世相に対して、声を荒げるわけでもなく淡々と、しかし確実に読者を味方につけるこの技術。すごいね。
位置: 9,400
忠義のためにやった事だ、忠義は国の精神の礎であるから、当然、御助命だろうと云っている者もあるし、いやたとえ忠義の道は踏んでも、国の大法を踏み紊したのだから、刑にするのがほんとだ。刑にすれば主君の内匠頭以上に重いだろうと観る者もある。──ここんところ、幕府のお裁きがどうなるか、下手をすると、諸侯や学者や役人衆のあいだばかりでなく、町人百姓までが、さだめし囂々と陰口きいたり、また、口の悪い落首が諸所に現われるだろうと」 「ウム、見ものだなあ」 「このお裁き一つに依って、忠義というものの真体が定義されるんだから、武士道というものがあって立っている諸大名は勿論、幕府自身だって、迂闊には処分できまい」黄色のハイライト | 位置: 9,437
「喧嘩じゃないが、友達のおまえが、法規法規と、煤払いの物売りみたいな事を云うから癪にさわるんだ」
本懐を遂げたあとの赤穂浪士に対する処置を巡って。最後は落語みたいなサゲですね。「法規法規と煤払いの物売りみたいなことを言う」ってね。
講談だと荻生徂徠の義士切腹論が有名ですが、本著ではちらっと出てくるだけでした。切腹、というのがいわゆる「いい落とし所」だったんでしょうね。
最後に、良いことを言うなぁと思ったフレーズを。
位置: 9,766
それはわしが偉いからではない。祖父が偉かったからである。父が偉かったからである。人間の人格などというものは、自己一代で出来たものではない。少なくも、祖父、父、自分の三代の年代がかかって出来るものと思う。それを自分と呼ぶのは、僭越すぎる、
なかなか。人間の人格は一朝一夕どころか自己一代で出来るものではない、ってね。深いこという。子育て頑張ろう。
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