『杳子・妻隠』感想1 古井由吉センセイ節がたまらん

ようこ、と読むんだそうです。最後まで違和感があり、読み方を思い出しつつ読了。

“杳子は深い谷底に一人で坐っていた。”神経を病む女子大生〈杳子〉との、山中での異様な出会いに始まる、孤独で斬新な愛の世界……。現代の青春を浮彫りにする芥川賞受賞作「杳子」。都会に住まう若い夫婦の日常の周辺にひろがる深淵を巧緻な筆に描く「妻隠」。卓抜な感性と濃密な筆致で生の深い感覚に分け入り、現代文学の新地平を切り拓いた著者の代表作二編を収録する。

古井由吉先生の代表作、ってことになりますかね。
すごい文章だ。

位置: 548
「重症の方向音痴だよ、君は」と途方に暮れた口からおよそ無意味な言葉がこぼれた。
すると、杳子の顔が輝いた。
「そうね、方向音痴ね」と杳子は細い甲高い声で言って、いつもの少女めいた細い軀を左右にくねらせた。
その変容ぶりに、彼は 呆気 に取られた。
「というより、選択音痴だな」と彼はまた無意味にも言いなおした。
「そう、選択……音痴」と杳子は 嬉々 として飛びついてきた。

ちょっとね、遅れているといいますか、結構アレな感じなんですよ、杳子さん。
軽率な言葉を使えば不思議ちゃんです。
あたくしは不思議ちゃん苦手なんですが、不思議ちゃんの思考回路には興味津々でありまして。付き合うのは嫌だけど思考回路に興味はあるという、言い方を間違えればひどくそしりを免れぬやつですね。

位置: 807
いつのまにか、彼の気持は杳子の遊戯になじんだ。すると杳子のありかが、目には見えなくても、林の中をたえず動きまわる一点の気配として、確に伝わってくるように感じられた。ときには、茂みという茂みが杳子のひそむ気配を宿してふくらむことがあった。

不思議な文章だなぁ。しかしどこか味わいがある。

位置: 1,017
杳子が旅館の近くの路上でささやいたことを、彼は若い男らしく極端に受け止めた。夜の性のいとなみは場所をどこに選ぼうと、無数の男女の陰湿な歓びと痛みの蔭から 脱 れられない。そう考えて、彼は昼日中の、しかも郊外の住宅街の 真只中 に、杳子との場所を見つけ出した。

陰湿な歓び、って表現がステレオタイプな気がしますが、やっぱり水気がありますな。

位置: 1,079
すると杳子は苦笑を浮べて彼の顔から目をゆっくり 逸し、暗がりにむかって一人でつぶやいた。
「あたしは、きらいよ。自分みたいな人間がもう一人、どこかを歩いているのを思い浮べると、鳥肌が立つ。地下 牢 にでも閉じこめてやりたいわ」
彼はただ、杳子が《あたしも》と言わなかったことを 訝しく思っただけだった。
その帰り、もう身支度を終えて腰を浮かしかけた彼をよそに、杳子は旅館のうす汚い鏡台の前にぺったり横ずわりになって、急に輪郭のゆるんだ軀をゆるくくねらせて、いつまでも髪をとかしていた。

子どもは好き?と聞いて自分で出した答え。
その一般性からかけ離れたところにぽつねんと存在している杳子。
どうだろう、村田沙耶香的でもある。

位置: 1,096
売場の女が段々に不機嫌な顔つきになっていくのもかまわず、杳子は次々に別のポロシャツを取り出させた。女がひとつの品をしきりにすすめているその最中にも、杳子はもうひとつの品にひょいと手を伸ばして、それを彼の胸にあてがって、マネキンでも見るような目つきで彼の軀を眺めまわした。彼は何をあてがわれても、「これ、いいんじゃないの」と同じ返事をくりかえしていた。売場の女も説明をないがしろにされた 苛立ちを 慇懃 な笑いで繕って、繕うというよりもむしろ顕わして、「それもお似合いでございますね」と同じ言葉をくりかえしていた。杳子はそれにすこしも気がつかない様子で、彼の胸に当てたポロシャツに険しい目を注ぎ、黙って首をかしげ、また新しいのを取り出させた。

不器用なんだよなぁ。人に合わせるのが苦手。少しも気が付かない様子、ってのがいいね。

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