死者への冒涜とはなんだ?『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』

あんまりシックリこないんですよね。
墓暴きとかでない限り、タブー化することの弊害の方が大きいと思います。

位置: 2,391
「特攻はムダ死にだったのか?」という問いをたてることそのものが、亡くなった人への 冒瀆 だと思っています。死は厳粛なものであり、ムダかムダでないかという「効率性」で考えるものではないと考えるからです。  総ての死は痛ましいものであり、私達が忘れてはならないものだと思います。特攻隊で死んでいった人達を、日本人として忘れず、深く記憶して、冥福を祈り続けるべきだと思っています。
けれど、「命令した側」の問題点を追及することは別です。
戦後、 東久邇宮 首相は、「この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し 懺悔 しなければならぬと思う。全国民総懺悔することがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信ずる」というような発言をしました。敗戦の責任に対するいわゆる「一億総懺悔」と呼ばれるものです。

何も問いをたてることそのものが冒涜だとは思いませんが、とはいえ、「命令する側」への問題点の追及は必要ですね。
それに「ムダ死に」を使うのは、鴻上さんはOKとしているわけなんですかね。

位置: 2,401
「命令した側」と「命令を受けた側」をごちゃ混ぜにした、あきれるほどの暴論です。どんな集団にも、リーダーと部下がいて、責任を取るのは、「その指示を出したリーダー」です。その指示に従った部下まで責任を取るのなら、「責任」というものは実質的には無意味になります。

ますます、出世したくなくなるね。

位置: 2,665
昭和史に関する数多くの著作を持つ保阪正康氏が2014年日本記者クラブでこう語りました。 「昭和天皇は好戦主義者ではなかったが、平和主義者だったということもできない。昭和天皇が何より大切にしていたのは、『皇統の継続』で、それがあらゆる判断に優先した」(『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』文・矢部宏治+写真・須田慎太郎 小学館)
昭和天皇は、自らの責任として、皇統(天皇制) をつなげていくことを最重要課題にしていたというのです。当時の軍部の原理主義的な部分は、コントロールできないだけではなく、天皇といえども具体的に危険を感じるレベルだったと残された資料から推測できます。

うーむ、なるほど。だとしたら戦争の責任というものが、より明確になる気がしますが。

位置: 2,882
「世間」とは「現在、および将来においてなんらかの利害・人間関係がある、または生まれる可能性のある人達」のことです。職場やクラス、サークル、交流のある隣近所、公園でいつも出会うママ友などが、それに当ります。
現在も将来も関係のない場合は、「社会」です。道ですれ違った人や、居酒屋で隣のテーブルで飲んでいる人や、お店の知らない店員などのことです。

位置: 2,924
日本を代表する社会心理学者の南博氏の『日本的自我』(岩波新書) には、こんな文章があります。 「日本人は集団への所属意識が強いという意味で、集団依存主義に傾くのだが、またそれと平行して運命への従属と依存を感じる運命依存主義の傾向ももちあわせている。ここに運命共同体意識が生まれる」 「日本人の自我構造の特徴の一つは、自分の所属する集団の目標活動と内部の人間関係に深い親和感をもち、自分の自我を集団と一体化させ、そこに『集団我』とでも呼べる部分を形成することである。(中略) 集団との一体化は、先にあげた集団依存主義と運命依存主義とに結びつき、集団の運命と個人の運命とを同一視する意識を生む。これが運命共同意識であり、集団を運命共同体として受けとる意識である」

甲子園での投げすぎ問題やサービス残業を当たり前にしてしまう傾向など、そういう傾向が顕著な例が散見されますね。昔はそれでよかった部分も、改めて考えるのが当然になってきているのかしら。

位置: 2,944
日本人が「集団我」というものを持ちやすい国民なのは、アジア型の農耕社会で「世間」が生まれ、孤立した島国という地理的要因で、異文化の侵略を受けにくかったという理由だと思います。だから、東南アジア型の「世間」よりもはるかに強固な「世間」が形成されたと考えられます。
中国や中国の近隣諸国のように、何度も異国に侵略され、文化的に 蹂躙 された経験があれば、「世間」は所与のものだとは思わなかったはずです。与えられたシステムは自分達が求めたものではないので、変革すべきだと戦ったはずです。

中野信子さんの著書でもそんなことをおっしゃっていたような。
この「世間」に対する付き合い方が納得できず、苦労している人をあたくしも何回も見てきました。

位置: 3,070
一般論を語れば、どんな社会的な運動も「当事者」より「傍観者」の方が饒舌になります。思い入れを熱く語るのは、当事者になれなかった傍観者、または当事者になりたかった傍観者です。当事者は、思い入れがありすぎて、自分の体験が整理できなくて沈黙しがちになります。特攻体験はもちろんですが、「学生運動体験」も「新興宗教体験」も、熱く語るのは、運動や組織の周辺にいた傍観者で、当事者は抱え込むのです。

これはそうだな。声高にいいがちな自分への戒めでもある。
この本、後半は素直に「そうだな」と思えました。前半はエモい。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする