『新装版 戦中派不戦日記』感想2 戦争で変わる人間のリアル

山田風太郎先生の心情がなんとなくわかる。

位置: 6,272
○新聞に東条勝子夫人の心境談のる。これはこれとして、今の日本人の東条大将に対する反応は少しヒステリック過ぎるではないか。校長の論のごとき、まさに手を覆えせば雨となると誹られてもいたしかたがない。
僕は、東条が終戦以来、逮捕令の出るまで死なず、アメリカ兵が来て急に死のうとしてしかも死ねず、いま敵のパンを食って生きている不手際を、軍人として非難するまでで、戦争犯罪人などとは考えていない。

あたくしもある種同じ気持ちですね。
誰かに悪を押し付けることで溜飲を下げたいという欲望が透けて見える。立派な人だとは思えないけど。

位置: 6,326
噂の通り、なるほど進駐軍がいたるところ日本娘の頸や腰に手を巻いて座っていたり歩いていたりする。中には向い合ってブランコにのっている組もある。  日本人は首さしのばし、この風景を見るがごとく見ざるがごとく歩いている。ベンチの端では老人がぼそぼそと芋をかじっているのに、反対の端では抱き合って、チョーチョーナンナンとやっている。
噂では、女学生の時間、事務員の時間、売春婦の時間の別があるということだが、今は何の時間にあたるのか、あまり品のいい女はいないようだ。リボンなど髪につけて、服装も下司ばり、顔も進駐軍には気の毒なようなものが大半である。

厳しい視点だ。あまり品のいい女はいない、か。
そうしないと生きていけない人もいたろうにな。

位置: 6,408
過去の日本人の日本の悪口は、気取った自嘲ないし憤り、また改良しようという目的を持った悪口であったが、今の民衆の悪口は、しんから進駐軍に参り、おのれらを劣等として自認する、救いようのない嘆声である。
明らかに、進駐軍を見得る土地の日本の民衆はアメリカ兵に参りつつある。軍規の厳正なこと、機械化の大規模なこと、物資の潤沢なことよりも、アメリカ兵の明朗なことと親切なこととあっさりしていることに参りつつある。

そうかもしれない。何を陰湿にネチネチやっているんだ、と。
アメリカ人が全体的に持つ明るさはやっぱりいいよね。

位置: 6,438
僕はむろん皇族が神の一族であるなどとは信じていない、しかし天皇の御一族としての高貴、信念、責任感は当然その血の中に具有されているものと思っていた。ところが。──  梨本宮は曰く、「天皇制が維持されるかどうかは国民が決定するであろう」と。それはそうであろうが、何という頼りない口上であろうか。ひとごとのようにいわないで、皇族としては断乎天皇護持の信念を外人に吐露されるべきではないか。
また曰く「自分は戦争とは何の関係もなかったし、政治問題について相談も受けたことはない」と。何という空虚なる陸軍元帥、軍事参議官であろう。
また曰く「神官としても何もしなかった」と。何という奇怪な神宮祭主であろう。
また曰く、「自分と神道との関係は、神官として毎年一回、天照大神の着物を冬から夏に更える場合だけであった」と。ここに至っては啞然とし、ただ狐に化かされたような気持で首をかしげるほかはない。

ま、皇族も人間的じゃないですか。
というか人間じゃないですか。

牟田口もびっくりの無責任男。陸軍元帥ですからねこれで。

位置: 6,577
午後新宿文化劇場にて阪妻の「無法松の一生」を見る。昔見たるものなれども、やはり上出来の映画なり。

あ、あたくしも観ましたね。阪妻。
うれしくなっちゃうな。

位置: 6,786
しかし、それよりもなお 忸怩 たらざるを得ないのは、結局これはドラマの通行人どころか、「傍観者」の記録ではなかったかということであった。むろん国民のだれもが自由意志を以て傍観者であることを許されなかった時代に、私がそうであり得たのは、みずから選択したことではなく偶然の運命にちがいないが、それにしても──例えば私の小学校の同級生男子三十四人中十四人が戦死したという事実を想うとき、かかる日記の空しさをいよいよ痛感せずにはいられない。それに「死にどき」の世代のくせに当時傍観者であり得たということは、或る意味で最劣等の若者であると烙印を押されたことでもあったのだ。

やはり生き残ってしまった者の悲哀というのもあるんですね。
そういう人たちが歴史をつなげたとしても。

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