『21世紀落語史~すべては志ん朝の死から始まった~』感想3 しかし本当にすごい場数

勤めながらこれだけ寄席に通えるってのはすごいこと。
それを仕事に出来るんだからやっぱりすごい。

位置: 2,765
僕の実感では、ゴールデンウィークを境に「自粛ムード」は消え、落語界は平常モードに戻っていった。
だがこの年、落語の世界にまた別の大きな「事件」が起こることになる。 「立川談志の死」である。

2011年ですね。3.11があり、談志の死があり。すごい年だ。

位置: 3,154
楽松のまま二ツ目となり、1979年には圓生が設立した「落語三遊協会」初の真打として鳳楽を襲名している。「真打に相応しい芸の持ち主だけを昇進させるべきだ」という圓生が、大量真打を誕生させようとする五代目小さんと対立した結果生まれたのが三遊協会であるだけに、鳳楽の真打昇進は「これが私の認める真打だ」と圓生が宣言したことになる。

鳳楽師匠の双肩にかかるプレッシャーたるや。楽松師匠の松の字は山崎松尾の松ですからね。どんだけ背負ってるんや、師匠。

位置: 3,193
すると今度は圓窓が七代目圓生襲名に名乗りを上げた。圓窓は2010年5月 17 日の落語協会理事会で「遺族から襲名を要請された」と襲名の意欲を明かしたのである。

鳳楽・円窓・円丈師匠の三つ巴の円生合戦。
あんまり良い目ではみられませんよね。円生一門の内輪もめみたいでね。そういうのは水面下でやってほしい。

位置: 3,204
そもそも、江戸以来の大名跡を六代目で終わらせる権利など、誰にあるのだろう。五代目圓生は六代目の義父だが、四代目までの圓生は六代目と無関係だ。この大名跡を六代目の夫人の意向で「誰も名乗れなくなる」のは筋が通らない。

まったくそうですよ。志ん生も談志も円生も、誰か継いでくれってね。
絶えたままになっている今のほうがよっぽど冒涜ですよ。

位置: 3,348
自身でもよく言うことだが、若い頃の小三治は余計なマクラは振らずに作品をきっちりと演じるタイプ、談志言うところの「作品派」だった。それが「マクラの小三治」となっていったのは、「落語は作品を演じるのではなく、登場人物の了見になるべきもの」「落語は〝おはなし〟なんだ」という小三治の「芸の開眼」と軌を同じくしていた、と僕は思う。「上手い落語を聴かせて唸らせるのではなく、お客さんとおはなしをするために高座に出る」という姿勢が、そのまま「自然体のマクラ」へと繋がったのである。
「作品を演じない」境地に至った小三治は、志ん朝とは異なるタイプの「噺の達人」としての道を歩むようになる。談志と志ん朝が「己派と作品派」という対比で語られるとするならば、志ん朝と小三治はいわば「作品派と了見派」という対比で語ることが出来る存在になっていた。

了見というと小三治師匠が5代目の芸風の継承者ということになりますかね。5代目と小三治師匠ってそんなに似てますかね。あたくしは結構違うような気がします。それは了見の解釈の差なのか、なんなのか。

位置: 3,392
「前座噺は難しい。大ネタは、ある意味やさしい。噺そのものが面白いから。前座噺は、そうはいかない。今日ここで『道具屋』を演るために随分稽古しました。稽古すればするほど、『道具屋』という噺は難しい。これを難しいと思うというのは、つまり、それだけものが見えてきたっていうことです」

ぜんぜん違うレベルで話すのも恐縮ですが、『道具屋』は難しいですよ。お客さん笑わないもの。昔ながらの方法でやるのも無理があるし。『牛ほめ』とかね。あれで笑いを取れるのって本当にすごいと思う。

位置: 3,406
「今の若い噺家を見て私が思うのは、『客に向かって話すな』ということ。客に向かって話すのはマクラだけで充分。あくまでも、中に出てくる人同士が会話をしなくてはいけない。でも今、みんな客に向かって話してる。ウケようとしている」

身に覚えがあるなぁ。肝に銘じます。ウケようとするとウケなくなる。そういうもんなんだよね。

位置: 3,823
三三は夏目漱石の『三四郎』での有名な「三代目小さん礼賛」に触れた。 「夏目漱石が言いましたね。圓遊が演るとどの登場人物も圓遊になるが、小さんが演ると小さんが消えて噺だけがそこにあるのだ、って。それを聞いた時に、以前の僕は、それじゃあその人が演ってる意味がないんじゃないかと思ったんですけど、今はその感覚がよくわかります。

小三治師匠の落語、もっというと柳家の落語は「語り手がみえない」のが理想なんでしょうね。それが了見派。地がたりの多い話とかはまた別なのかな。

位置: 4,519
落語とは、人間の本質に迫る「なんだかわからないけど面白いもの」を見事に表現できるシステムであり、だからこそ自分は落語という形式を選ぶ。これが談志の結論であり、その「理屈を超えて面白いと落語ファンが感じるもの」を「イリュージョン」と名付けた。これはある意味「造語」と言っていい。
談志は伝統的な「落語リアリズム」や話芸としての「リズムとメロディ」の重要性を誰よりも深く認識していたし、言うまでもなくその点でも談志は名人だった。若き日の談志は堂々たる「作品派」である。

志ん朝も談志も好きだけど、談志は若い頃のほうが好きだから、あたくしもいわば「作品派」の好きな人間なのかもしれません。ま、だからといって5代目も好きですからね。落語が好きということでいいんじゃないでしょうかね。

位置: 4,551
2001年10月31日西新井文化ホールでの「志ん朝の分も頑張るか」という談志の発言は、そういう意味を持っていたように思える。

「作品」も頑張るかということなのか、「己」派として志ん朝の分も頑張るのか。後者のような気がしますね。

位置: 4,592
三遊亭白鳥や立川こしらの芸風は、決して「江戸前」ではない。しかし六代目圓生の孫弟子である白鳥が「三遊派」、談志の孫弟子であるこしらが「(柳派をルーツとする)立川流」といった伝統の中に身を置いている自分、というものを意識している限り、彼らは「江戸の風」を吹かせることが出来る。つまり、彼らは現代の「ポンチ絵派」なのである。

白鳥師匠やこしら師匠から「江戸の風」を感じる人ってどれくらいいるのかしら。あたくしは全然感じなくて。だからこそ素人落語なんてやってるのかな。伝統の否定?

位置: 4,607
落語という芸能を、話芸としてのテクニカルな面で考えたとき、最も重要な「伝統」とは、落語本来の「正しいリズムとメロディ」ということになるだろう。  今、それを最も強く意識しているのは、立川談春かもしれない。

談春師匠もねぇ。どうも話の伸ばし方が好きじゃないんだよねー。
あれも結局の所、己だからかな。つまり談春の落語を好きな人は、談春という人が好きということか。すると小三治師匠のいう「語り手のいなくなる」落語とは真逆のような気もしますね。

芸談は面白い。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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