『これやこの サンキュータツオ随筆集』感想1 死亡フラグ怖い

読み進めているうちに、次々と死亡フラグがたつ。
怖い話じゃないのに怖くなる。死を身近に感じるってのはそうなんだろうけど、やっぱり意識せずに生きてますね、あたくしは。

位置: 981
弟子のなかには、談志との思い出を書籍にしたり語ったりする人もたくさんいるが、なぜだか高弟たちはあまり語らない。語る場もあまりないのかもしれないが、そもそもそういうのは照れくさくてできないといった人種なのだ。同時期に寄席で育った仲間の芸人たちにとっても恥ずかしいかもしれない。また、そういう照れくささを持って生まれてきたシャイな人たちが、芸人になっていた時代だ。

まずは喜多八師匠と左談次師匠の話。
もう読みながらうるうるくる。喜多八師匠の『だくだく』、左談次師匠の『阿武松』など思い出しちゃう。バカバカしくってリズミカルで。宝物だなぁ。

照れ屋が芸人になる時代、っていい表現ですな。YouTuberとか衒いがないものね、今は。

位置: 1,068
左談次師匠は、「立川流で一番うまいのは、快楽亭ブラックです、これはマジに」と、とある高座で明言していた。それが左談次の基準である。思えば、最初に左談次に弟子入りを志願した現・立川 左平次 も、前座時代は快楽亭ブラックに預けられた。

ブラック師匠はマジで上手い。昭和映画通だからか、どことなく20世紀の匂いがするんですよね。それを下ネタや不謹慎で覆う。それも照れかしらね。

位置: 1,111
「これだけ写真あってさぁ、師匠とふたりきりってのは、一枚もないんだよねぇ。照れちゃって、一緒に撮ってくださいって、言えるわけねえよなぁ。一度も言えなかった」と笑って語ったものだった。  この距離感が師匠の距離感である。言いたいことは直接言えない。

可愛いなぁ。そういう人が芸人になったんだ。ほんと、時代かねぇ。

位置: 1,288
この日は「 目白 の師匠」といわれた五代目小さんの高座を 彷彿 とさせる小里ん師匠の「試し酒」に、高座を終えた左談次師匠が 襦袢 姿で耳を傾け、「あー、目白だ、そのままだ」とつぶやいてうっすら涙を浮かべていた。もう聴けないと思っていたものが、聴けている幸福に浸って、しばらく無言で聴き入っていた。

小里ん師匠は本当に5代目そっくり。生き写しですね。
現役であのストロングスタイルでやり続けるのって、あの域に達さないと無理でしょう。花禄だって離れていった目白芸風。

位置: 1,364
各時代に名人はいる。しかし、次代の名人と言われた人物、あるいは名人という権威になることなく、その時代に輝いた 清々しい人たち。私たちにはそういう記憶の片隅にいる人たちを語り継ぐ権利と義務がある。ほかでもない、自分が語らずにだれが語る、と思える人物に、人生でいったいどれだけ会えるだろう。たまたまこの時代に生まれ、なんの因果か、ほんの少しでも出会っておなじ時間を過ごした者の義務として、語らずにはいられない。放っておいたら、もしかしたら語られずに、記憶されずに霧のごとく消え去ってしまうものかもしれないから。
どの時代、どの世界にもそう思う人がいるからこそ、いまなお残り続ける歌がある。

読みながら高座にあがりたくなりました。
コロナの中じゃそうはいきませんが、それでも、そういった清々しい方々の思いを胸に、また生きていこう、こっそり高座にあがろう、そんなことを思いますね。

これやこの行くも帰るも別れては しるもしらぬも逢坂の関

左談次師匠の墓は、上野の桜を見下ろせる場所にある。

清か!ってね。

位置: 1,395
目先の生活は、楽しいといえば楽しくて、ただ無責任に、考えなければいけないことは先送りにして、同世代が不況の波に飲み込まれ文学部卒でコンピューターSEの正社員、手取り 13 万で残業のない日はないという状況で、死に物狂いで働いていたであろうその頃も、私はただ時間を売って生きていた。

失われた世代なんて勝手に言われた世代だもんね。つくづく、大変な時代だ。あたくしは幸せだよ、そういう意味じゃ。
だからこそタツオさんやその世代の方で売れてる方には、妙な力強さのようなものを感じるのかな。平凡とした人生を送れている身にはけして身につかない何か。

位置: 1,450
「いいかい、今日、中トリ(休憩前のトリ出番)で出たあいつは名人だなんだ言われはじめてるけど、俺の感覚ではあいつが基準の 50 点だ。あの 噺家 が 70 歳になる頃にはどうなっているかを想像したら、これまでの名人のような存在ではなくなっているわけで、じゃあ現代的かというとそうでもない。年代がちがうし見てきたもんもちがうからなんとも言えないけど、自分のなかの基準となる存在を作っておくと落語はまたおもしろくなるんだよ」

自分の基準となる存在、いないなぁ。そういう楽しみ方もあるんだなぁと思いますね。

位置: 1,460
だんだん見えてきた。どうやら石井さんは毎週月曜日に寄席の定点観測をしており、それはどういう演者が出るとか、どれくらいお客さんが入るかとか、そういうことをまったく気にせず、ただ出てくるものを聴く。演者の力を細部から推しはかる。それが古典であろうと新作であろうと、描写は人物造形や解釈に至るまで、つぶさに観察していた。好き嫌いを持ち込まずに、ただただ聴き続けるというスタイルだ。
そしてそれは映画に関してもおなじだった。一定の量を浴び続ける。悪いものも良いものも、とりあえず先入観なくなんでも鑑賞した。すべてを許容するということはないが、こうでなければいけないという哲学をこしらえて 頑 なになるのではなく、いくつかの哲学の並存を認めていた。

まったくもって素晴らしい時間の使い方ですね。
そういう遊びをするオトナになりたい。
いまや仕事に子育てに忙殺されている身には、羨ましすぎる時間の使い方。しかし本当にそうで、ある一定量浴び続けることで分かることも確実にあるし、それは何より肌を通しているから確実ですよ。評論読み続けるよりよっぽど健全。

楽しい本だ。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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