『ぼくの嘘』を35歳にして読む悲哀

少年時代に読みたかった。

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好きにならずにすむ方法があるなら教えてほしい。親友の恋人を好きになった勇太は、学内一の美少女・あおいに弱味を握られる。そしてなぜか恋人としてあおいとデートすることになり。高校生の青春を爽やかに描く!

逆に高校生の時はこんな見るからに爽やかそうなジュブナイルに手を出さず、田山花袋や谷崎潤一郎に傾倒し、そして35歳になってコテコテのジュブナイルが大好きという。人間てのはわからんもんです。

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褒めて、ダメ出し、褒めるのサンドイッチ方式は、母のいつもの手だ。何か注意をするときに、決してそのまま、ずばりとは言わない。叱るときにも、まず必ず褒めるべきところを見つけて、相手が受け入れやすい心理状況にしておいて、忠告を挟み、やる気を出すようにフォローして終わる。

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「あおいは自己肯定感がしっかりとはぐくまれているから、他人と自分を比べる必要がないのよね」  母はあたしを見つめて、満足げに微笑む。 「その考え方は賢明よ。優越感にとらわれて、他人の欲しがるものを手に入れたところで、それが自分の望んでいるものじゃなければ、むなしさしか残らないの。だいたい、結婚で失敗するケースはそれね」

青春時代に読んだら「いるだろうなーこんな大人」と思ったろうが、おとなになって読むと「実際はそんなに感情のコントロールが上手な人は少ない」と思います。子どもも大人も、人による。いつまでも精神年齢が変わらない人もいれば、子供の時から上がりっぱなしの人もいる。

そして自己肯定感の大切さというのは35歳になって漸く分かる。そう、自己愛は嫉妬しないために重要なのだ。嫉妬というのは人間の感情の中で最も強く醜い。だからこそ、厄介なんだ。あたくしも嫉妬との付き合い方をもう少し早く知りたかった。

位置: 598
だいたい、四六時中べったり一緒にいたら飽きちゃうじゃない。たまにお出かけができるくらいでちょうどいいの。会えない時間が愛を育てるのよ」  母の意見はいつだって正しい。  理性的で、合理的で、打算的で。

位置: 604
「ママはさ、医者の道に進まなかったこと、後悔していない?」 「ええ、まったく」
余裕に満ちた笑みで、母は即答する。
「せっかく医学部、受かったのに、もったいないじゃん」
「当時もさんざん言われたわ。でも、いくら社会に貢献できる仕事だからって、クオリティ・オブ・ライフを犠牲にはしたくなかったのよ。いいお相手が見つからない場合には眼科医にでもなろうかと思っていたけれど、パパと出会えて、本当によかったわ」

位置: 612
大事な時期にそばにいられないなんてかわいそうよね。医師は代替がきいても、母親という存在は誰にも代わることはできないのに」

まったくそうだ。正しい。こういう選択が出来る人は強いよ。しかし、思ったより少ない。

位置: 725
「あたし、基本的になに着ても似合うから、きみのような人の立場になって考えたことがなかったよ。これじゃ、ファッションに興味がないはずだ。なに着てもしっくりこないから、服選びが全然楽しくないもの」
言いたい放題だな、おい。
「サイズがちょっと大きくても着ることはできるわけだし、もう、これでいいよ」
「それがダサさのもとなんだって。服選びは、一に試着、二に試着! 妥協しない! さっさと脱いで」

ほんと、こういう同級生に出会いたかった。ジュブナイルだなー。いいなー。取り戻せないなー。

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