志賀直哉『小僧の神様』の行間

小説の神様、と言われるだけあります。
10代の頃に読んだ印象と全然違いました。今なら楽しめる。

志賀直哉(1883-1971)は,他人の文章を褒める時「目に見えるようだ」と表したという.作者が見た,屋台のすし屋に小僧が入って来て一度持ったすしを価をいわれまた置いて出て行った,という情景から生まれた「小僧の神様」をはじめ,すべて「目にみえるよう」に書かれた短篇11篇を収めた作者自選短篇集

志賀直哉は短編ばっかりなんですよね。それがまたいい。
ショートストーリーには行間がいっぱい。

位置: 267
自分が屋台鮨屋で恥をかいた事も、番頭たちがあの鮨屋のをしていた事も、その上第一自分の心の中まで 見透して、あんなに充分、御馳走をしてくれた。到底それは 人間業 ではないと考えた。神様かも知れない。それでなければ仙人だ。もしかしたらお 稲荷 様かも知れない、と考えた。

まずは表題にもなっている『小僧の神様』。
仮名遣いが古くていいよね。懐古趣味です。

落語『紋三郎稲荷』を思い出します。ちょっとしたことでも、神様にかこつける人間の単純さって、あるよね。あたくしだけじゃないってことだね。

位置: 279
Aの一種の淋しい変な感じは日とともに 跡 方 なく消えてしまった。しかし、彼は神田のその店の前を通る事は妙に気がさして出来なくなった。のみならず、その鮨屋にも自分から出掛ける気はしなくなった。
「丁度ようござんすわ。 自家 へ取り寄せれば、 皆 もお 相伴 出来て」と細君は笑った。  するとAは笑いもせずに、
「俺のような気の小さい人間は全く軽々しくそんな事をするものじゃあ、ないよ」といった。

気の小さい人間は、善行だって気が引けます。
ましてやこんないたずら・気まぐれなんてね。

位置: 291
彼は悲しい時、苦しい時に必ず「あの客」を想った。それは想うだけである慰めになった。彼は 何時 かはまた「あの客」が思わぬ恵みを持って自分の前に現れて来る事を信じていた。

作者は 此処 で筆を 擱 く事にする。

そして突然話が終わります。
へ?ってなもんです。ただ、なんとなくぼんやりとした「わかりみ」があるんですよね。
それが小説の醍醐味。

位置: 976
間もなくいわゆる 伊達騒動が起ったが、長いごたごたの結果、原田甲斐一味の 敗けになった事は人の知る通りである。

続いて『赤西蠣太』。
赤螺屋ケチ兵衛、といえば落語の登場人物ですが、それと関係があるのかしら。

なんだか切ない恋物語でした。やっぱりこの『非モテ』が朴訥として生きる様ってのはいいよね。否が応でもココロ揺さぶられる。

位置: 1,070
汐 の 干 く時と一緒に逝くものだと話していた。それを聴くと私は最初に母の寝ていた部屋へ 馳 けて行って独りで寝ころんで泣いた。
書生が慰めに入って来た。それに、
「何時から干くのだ?」ときいた。書生は、
「もう一時間ほどで干きになります」と答えた。  母はもう一時間で死ぬのかと思った。「もう一時間で死ぬのか」そうその時思ったという事は 何故かその後 も 度々 想い出された。

今度は『母の死と新しい母』。
この「もう一時間で死ぬのか」って感じはよくわかります。妙に余所余所しい感情を抱くですよね。それが後に何度も脳内で再生されるんだな。

位置: 1,106
江の島から買って来た頭の物はそのまま 皆、棺に納めた。
棺を 〆 る 金 の音は私の心に堪えられない痛さだった。
坑 に棺を入れる時にはもうお 終 だと思った。ガタンガタンと赤土の塊を投込むのがまた胸に響いた。
「もうよろしいんですか?」こういうと、待ちかねたように 鍬 やシャベルを持った男が遠慮 会釈 なく、ガタガタガタガタと土を落して埋めてしまった。もう生きかえっても出られないと思った。

この「もう生きかえっても出られないと思った。」ってくだり、好きだなぁ。
どこか間抜けなんですよね、人間って。でもそう思っちゃう。

位置: 1,134
実母を失った当時は私は毎日泣いていた。 後年 義太夫で「泣いてばっかりいたわいな」という文句を聴き当時の自分を憶い出したほどによく泣いた。とにかく、生れて初めて起った「取りかえしのつかぬ事」だったのである。

あたくしも日々いろんなことを経験しますが、だいたい落語とかにかこつけて溜飲を下げます。「文七元結」の父親はこんな気持だったのかな、とかね。

そういう人間臭さを行間に詰めたのが、小説なんでしょうね。

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