『桜の森の満開の下』は安吾。受験生時代を思い出します

塾長からおすすめされたんだったな。

昭和初期に活躍した「無頼派」の代表的作家である坂口安吾の小説。初出は「肉体」[1947(昭和22)年]。通る人々が皆「気が変になる」鈴鹿峠の桜の森。その秘密を探ろうとする荒ぶる山賊は、ある日美しい女と出会い無理やり妻とする。しかし、それが恐ろしくも哀しい顛末の始まりだった。奥野建男から「生涯に数少なくしか創造し得ぬ作品の一つ」と激賞された、安吾の代表的小説作品。

前に紹介した梶井基次郎の桜とはまた違った趣の作品。梶井基次郎は狂っているのは「自分」だとしていて、安吾は「桜」自体が狂っている、もしくは桜は人を狂わせる、という価値観で書いているような気がします。

位置: 119
女の怨じる言葉の道理が男には呑みこめなかったのです。なぜなら男は都の風がどんなものだか知りません。見当もつかないのです。この生活、この幸福に足りないものがあるという事実に 就 て思い当るものがない。彼はただ女の怨じる風情の切なさに当惑し、それをどのように処置してよいか目当に就て何の事実も知らないので、もどかしさに苦しみました。

この女が悪いやつなんだ。山賊も追いはぎだから決していいやつではないけれど。女に振り回される男の滑稽さも面白い。

位置: 253
男は何よりも退屈に苦しみました。人間共というものは退屈なものだ、と彼はつくづく思いました。彼はつまり人間がうるさいのでした。大きな犬が歩いていると、小さな犬が吠えます。男は吠えられる犬のようなものでした。彼はひがんだり 嫉んだりすねたり考えたりすることが嫌いでした。山の獣や樹や川や鳥はうるさくはなかったがな、と彼は思いました。

結局、女が求めるもんだから都会へ出てみたんだけど落ち着かない男の様子。人は人、自分は自分。そういう割り切りが大切なんですね。たとえ相手が最愛の人であったとしても。誰にも期待しない、そういう生き方がやはり最適解のような気がします。

昔ほど狂気を感じなかったですね、読んでいて。むしろ「あるある」のように感じました。そのことこそが一番の恐怖なのかも。なんちてね。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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