『21世紀落語史~すべては志ん朝の死から始まった~』感想2 しかし本当にすごい場数

広瀬さんも90年代末の寄席には否定的。

位置: 1,931
寄席は、番組を選ばず適当に入ればつまらない演者に当たる確率は非常に高い。最後まで面白い人が出てこなかった、ということもある。 20 世紀の終わりは特にそれが顕著だった。

あたくしが学生だった頃、寄席はごく少数の人気落語家が主任の日を除いてガラガラでしたね。池袋なんてホントひと少なかった。

位置: 1,942
当時は「何となく末葊亭に入ってみる」ということが結構あったが、そこで得た教訓は「番組も見ずに寄席にフラッと入っても面白くない」ということ。まあ、運が悪かっただけなのかもしれないが、フラッと入って楽しかった経験はほとんどない。そのため、工学部に進学してからは(実験などで忙しかったこともあり)ナマの落語はホール落語か独演会が基本となり、就職してからはさらに「行くべき会」を厳選する傾向が強くなった。

通は「寄席に行こう」って言いますけどね。やっぱりホール落語がいいんだ。あたくしも今は都下に住んでいて、浅草なんて遠いので、やっぱり地元で開かれるホール落語が使い勝手がいい。

位置: 1,972
小さんは「若いうちはとにかく客をウケさせろ、ウケないうちは人物描写も何もない」と市馬に言っていたそうだが、周りは市馬に「小さん直系の噺家らしい落語」を求めた。今や市馬の得意技である「噺の中で歌う」ようなことも、「みっともないことをするな」と言われて師匠に迷惑を掛けてはいけないと思い、小さん存命中はやれなかったのだという。

歌のない市馬師匠なんて考えられないけどね、今じゃ。
しかしやっぱり5代目を直接貶めるような話は出てこないね。あくまで「周りが」ってやつ。神聖化されてますな。

位置: 2,022
病気のあと、余計な力が抜けた」のだという。
たとえばひとつ具体的に言うと、『 短命』が劇的に変わった。物わかりの悪い八五郎にご隠居があれこれ教える場面が、どんどん「無舌」になっていったのだ。表情と仕草だけで爆笑させる『短命』。これには本当に驚いた。2012年以降、喜多八は落語家としての絶頂期を迎えていた。

喜多八師匠。サンキュータツオさんの『これやこの』にも書かれていて、なんだか読むと心がチクチクするんですよね。惜しい人をなくしました。

位置: 2,096
僕は川戸氏の「圓鏡を四天王に」という主張を著書『現代落語家論〈上巻〉』(弘文出版)で知った。それは、まさに「目からウロコ」だった。当時、圓鏡の芸は「邪道」と言われることが多く、評論家などからは低く見られがちだったが、僕は彼の先鋭的な爆笑落語が大好きだった。落語という大衆芸能において「邪道」云々という発想はおかしい、「面白い落語」は正当に評価されるべきなんだ、という僕の価値観は、川戸氏の「圓鏡論」に大いに影響を受けている。

円鏡師匠、面白かったもんね。四天王と言われて柳朝師匠を入れるか、円鏡師匠を入れるか、好みが分かれるところでしょうな。あたくしはどっちも好きですが、落語は爆笑派が支えてきたもの、という価値観は常に持っておきたいです。

位置: 2,304
志ん朝には追っかけの客が大勢いて、そういう人たちを見つけると「また来てるよ」と嫌がっていた、という例を引き合いに出したさん喬は、志ん朝の追っかけには「来てるよ!」とアピールしたがるタイプが多かったから確かに嫌がる気持ちもわからなくはない、とワンクッション置きつつ、こう言った。 「志ん朝師匠は『また同じ噺だ』と思われるのが嫌だと言ってたけど……でも、それはどうなんだろうね。お客さんは、その人の噺が聴きたいから追いかけてくださる。おまえを追いかけてくださるお客さんは、おまえの噺が聴きたいんだ。『同じ噺じゃ飽きるだろう』なんて思う必要はない。『喬太郎の噺』が聴きたいから何度でも来てくださるんだよ」

さん喬師匠は本当に人徳者だなぁ、とこういう話をきくと強く思いますね。
どうも「いい話」を高座でかける機会が多くてあたくしは苦手なんですが、本当にいいお方なんでしょうね。

位置: 2,312
「潰れかけてるなんて考えることは傲慢なんだよ。『どうせこいつは俺のハンバーグなんて食べ飽きてるんだ』と思って出したら美味くないよ。毎日工夫して『今日のハンバーグは昨日とはまたちょっと違いますよ、食べてみてください』という気持ちで作らなきゃダメなんだ」
「おまえ、さっき『またこの噺だとお思いでしょうが』って言ってただろ。それが傲慢なんだ。『おまえの考えなんか誰も気にしちゃいねぇよ』って五代目(小さん)が言ってた。

また5代目だ。ま、さん喬師匠が五代目を引き合いに出すのは無理もないとは思いますが。
好きだけどね、五代目。アンタッチャブルにするのはちょっと違う気もします。

位置: 2,319
「潰されそうって言うけど、お客は潰しにかかるもんだよ。潰れたらもう一度作ればいい。俺なんか最初から潰れてる。おまえは売れるのが早すぎた。いろんな仕事が来て、おまえは律儀に『師匠、こういう仕事が来ました』と言ってくる。師匠が弟子に『ダメだ』と言うのは簡単だけど、ヤキモチ焼いてると思われるのは嫌だから、私はおまえがどれだけ仕事を請けても『ダメだ』とは言わない。船底に穴が開いてるな、と思ったら、まず身を捨ててみろ。五代目も、志ん朝さんも、そうやって自分の噺をこしらえたんだ」
そして、さん喬は喬太郎に優しいまなざしを向けて、付け加えた。
「少し聴いてないうちに、喬太郎は随分成長した。弟子は師匠の名を残すことが出来る。おまえが立派になって、どこへ行っても『さん喬の弟子の喬太郎』と言われる。ありがたいことだ。師匠は弟子を大きくしてやることは出来ないが、弟子は師匠を育てることが出来るんだよ」

子別れじゃ泣けないけど、この話はうるっときますね。
いい芸談だ。さん喬師匠の噺家としてのプライドと師匠としての優しさが垣間見れる。いい話だなぁ。

捨ててこそ 浮かぶ背もあれ ノモンハン ってね。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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