『コインロッカーベイビーズ』の疾走感たるや 2

文字をギュウギュウに詰め込んで命令口調やら独り言やらを散文的に書くの、すごいビートを生み出しますね。音楽が好きなんだろうな、ってのはよくわかる。

p220
ニヴァは聞いていて鳥肌が立った。ハシの歌声は動物の細い毛で編んだ薄い膜の彼 方から届くような音、それは流れるのではなく店内に立ち込める。弱々しいはずの音 の波は消えずに肌に貼り付く。耳からではなく毛穴から侵入して血に混じっていくよ うだ。空気の揺れは止むことなく溜まり次第に密度が濃くなっていく。ニヴァは粘つくジャムのような店内の空気が自分の中で何かを思い出させようとするのを拒もうとした。消そうと努力したが、ある情景が頭に浮かんだ。浮かび上がるというより、一 つの記憶に繋がる神経の回路に引きずり込まれた感じだ。突然目の前で始まった映画 の中へ引っ張り込まれた気がした。それは夕暮れの町の情景だった。空の稜線だけが オレンジ色で残りは全て暗い青に沈んでいく中を電車が走っていく情景である。ニヴ ァは頭を振って店内を見回した。全員が動かない。ピアニストは手で顔を被って体を 震わせている。止めさせなければならない、とニヴァは思った。

蜜蜂と遠雷』のときも思いましたけど、音楽を文章で書くとき、やたらと風景を描写したがるのなんでしょうね。しかし、村上ドラゴンのはすごい。イリュージョンの描写が卓越しすぎてて、飲み込まれます。筆に力がある人の描写はここまで想像力をかきたてるのか。

ハシはタツオと会っていやな気分になった理由を考えていた。ブラウン管の鏡に映 った自分が塗り換えた記憶は過去の知り合いに会うと崩れそうになる。丹念に築き上げた、屈辱感のない新しい意味に満ちた思い出は過去を知る生きた人間に出会うと簡単に壊れる。ハシはそう思ってゾッとした。あいつらみな死ねばいいんだ、と思った。前歯のないタツオの顔が浮かんできた。

過去を消したがるハシ。
なんだか悲しいね。しかし、そういう人間臭い感情を「丹念に築き上げた、屈辱感のない新しい意味に満ちた思い出は過去を知る生きた人間に出会うと簡単に壊れる」なんて書けちゃうの、かっこいいなぁ。

p361
個々の演奏家に関してハシが提出した条件は、金に困ってないこと、ホモセクシュアルであること、の二つだった。理由は何や? Dは聞いたがハシは答えなかった。 ハシを好きになって欲しいからだろう、とニヴァは思った。金目当てで参加する若い 演奏家はハシと衝突するかも知れない。ハシの音楽観は独特だからレコーディングで も反発する演奏家が多い。ハシは人間の感情を音で表現できるなどと信じていなかっ た。感情そのものが嫌いだった。音を独立させてくれ、ハシはいつも演奏家にそう注
意した。君自身から音を切り離すように、裸の音を鳴らしてくれ、君の体温や匂いが 1 ついてない音だ。金に困っていない演奏家ならハシの音楽に共鳴する者だけが集まるだろう。そして彼がホモセクシュアルだったら、ハシを嫌いになることは絶対にな のい。ハシはホモを支配する技術を熟知している。

人間の感情を音で表現できるなどと信じていない、というのは村上ドラゴンの主観でしょうか。そんな感じはしない。そういう人間をバカにしてこういう表現をしているんでしょうか。

ドラゴン自身はすごく音楽というものを愛していて、人の感情をかきたてるものだと思っているのは間違いない。しかし、人の感情を音で表現できる、ということについては懐疑的なのかどうなのか。興味はありますね。

しかしこの、ホモへの憧憬はなんでしょうか。別に普通の人間なだけだと思うけど。特別視しすぎで逆に不安定。

そんなこんなで『コインロッカーベイビーズ』、あんまり本筋と関係ないところばかりとりあげましたが、楽しかったです。長いけどね。サイドストーリーが秀逸。アネモネかわいい。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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