『将棋400年史』はライトファンでも読めた2

いよいよ升田幸三の登場です。

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関西に生きのいい若者が復活。進境著しい升田であった。升田は除隊され、再び召集令状を受け、陸軍の「菊水部隊」に配属。これは特攻隊と同じで、今度こそ命はないと覚悟した。南太平洋のポナペ島に上陸。空襲のない夜はそこで見た月明かりで、木村名人との過去1勝1敗の棋譜を再現。手を読んでみたが負ける気がしなかった。死ぬ前にもう一度、名人と指したい。もし、月が連絡してくれるなら、いま戦ってみたい。もし、自分が生きて帰れても木村名人は無事だろうか。名人、死なずにいてくれ。升田はそう思って歯を食いしばり、必死に生き延びてきた。ようやく終戦。升田はやせ衰え、体はぼろぼろになりながらも、運よく帰国することができた。しばらく静養して体の回復を待っていたが、再び将棋が指せる日がやってきたのだ。

将棋にかける情熱が段違い。暇つぶしで将棋指して申し訳ない。
ファンが多いわけですよ。

位置: 1,291
阪田三吉は升田将棋に魅力を感じていて「木村を倒すのはあんたや」と升田が低段のころに直接語ったという話がある。

関西将棋ファンならずとも、この辺の話はぐっときます。

位置: 1,303
タイトル戦の前日の会席で、木村は食通をきどり自慢のうんちくを語る。「豆腐は木綿ごしがいい。絹ごしは歯ごたえがなくていけない」。すると升田は「木綿ごしはにがりが強くて食えたもんじゃない。豆腐は絹ごしが上等と決まっている。名人は貧乏人の生まれだから、ものの味が分からないんだ」「君はまだ若いから、ものの味が分からんのだろう」「口に入れると、とろけるような舌触り。名人こそ、このよさが分からないとは」「そんなこたあ、君ぃ、田舎者の言うことだよ」と子供のけんかのように譲らない。そばにいた関係者はひやひやものだったろう。 しばらく口論が繰り返されたのち升田は「えらそうなことばかり言うとるが、将棋は名人でも、その道の専門家からみれば木村名人の知識なんかゴミみたいなもんだ」と言ったからさあ大変。木村は「なに。ゴミだと。名人がゴミなら君はいったいなんだ」。ゴミ呼ばわりされて烈火のごとく怒るのは当然。「さあ、ゴミにたかるハエみたいなもんですかね」と毒舌は止まらない。しかし最後は木村が「君もえらそうなことを言わずに、一度くらい名人戦の挑戦者になってみたまえ」と急所を一撃して席を立った。これが有名なゴミ・ハエ問答だ。

おじさんが見栄とか沽券とかをかけて争う姿は本当に醜い。しかし、遠くから見ている分には滑稽でよろしい。おじさんはおじさん同士で、迷惑にならないところで喧嘩すればよろしいですな。

位置: 1,406
このときの升田は体調が最悪。一日に酒を二升、たばこ200本などという、無茶を通り越した生活を送っていたつけが回っていた。升田は「病気」という言葉をきらった。「気は確かで悪いのは体。だから病体だ」と言う。頭以外は全部悪い状態と言われると、良いのは頭だけではない、心も優しい、と反論した。

この辺の偏屈さがたまらないんですよね。升田幸三、キャラ強すぎです。

位置: 1,694
ついに無冠に転落してしまった。五十路を目前にした大ベテラン。これまでの輝く栄冠を汚すわけにもいかず、この辺りで潮時と判断して現役引退も考えられるところだ。ところが、大山の神髄はむしろ名人を失ってから。無冠になったその年に早くも復活。十段戦の挑戦者となり中原に挑む。一進一退の攻防となり、フルセットの末に中原から十段を奪回して無冠を返上。

今度は大山康晴。この人もすごい。升田幸三のライバル。

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大山ほどの大名人になると、A級陥落=引退が既定路線。プライドや年齢的なことを考慮すると、B級に陥落してまでは指さないものだ。晩年はがんと闘いながら 69 歳までトップテンであるA級を死守。A級在籍中に亡くなったが、本当に大名人だった。

やはりすごい。大山対升田の画像が残っていますが、絵になりますもんね。

位置: 1,803
読売新聞社が主催していた十段戦は第 26 期をもって終了。新たに、将棋界最高の棋戦という触れ込みで「竜王戦」が創設された。これまで、棋界では賞金などを明らかにしていなかったが、これを公表したのが斬新。竜王のタイトル獲得者には賞金3000万円が贈られると発表された

これが竜王戦のはじまり、だそうです。知りませんでした。

位置: 1,925
谷川は強烈な勢いを受け止めていた。自身も羽生にはタイトル戦で敗退が続いている。世間は七冠王誕生を望んでいるし、羽生以外にも敵がいるかのようだ。 シリーズはまず谷川先勝。その4日後、全く予想できなかった出来事が起きる。阪神・淡路大震災だ。何千人という方がこの大惨事で亡くなり、数万人が被害を受けて住まいを奪われた。神戸に住む谷川も大災害に見舞われた。住んでいたマンションを追われて避難所生活。3日後には他の棋戦で大阪の対局が決まっていて、延期をすることもできたが、対局することを希望して関西将棋会館に向かった。この非常時に将棋を指していいのだろうかという罪の意識にもさいなまれたが、いざ将棋盤の前に座ると新たな気持ちが芽生えた。将棋を指せるということはうれしい、こんなに幸せなことはない、と。これまで、当たり前のように暮らしてきたことに感謝しなければならないという気持ちになった。棋士になってかなりの年数が経っていて、将棋を指すことが仕事になり、今まで普通だと思っていたが、全てのことに感謝しなければいけない、ということをそのときに感じたのだった。

この手の本のいいところは、将棋があんまりわからないあたくしでも、エピソードで名人を知ることが出来るってことですね。谷川浩司先生のことはあんまり知りませんでしたが、恥ずかしながら、この本を通じて知りました。

位置: 2,115
しかし、棋士を目指す女性は、男性奨励会員と比べて人数が少なく、なかなか突出した者が現れなかった。その壁を打ち破ろうとしたのが里見香奈。

里見先生のことは聞いたことがある。その程度の知識でも、ちゃんと読める本でした。

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