『少年の名はジルベール』感想_2 人間で最も厄介な感情は嫉妬

仲がいいからこその仲違い、ってやつ。言い方悪いけど萌えるよね。

位置: 694
放送前に増山さんがタルコフスキーが作った業績の数々を早口で解説する。  そしてそこで観た映画はタルコフスキーにしては珍しく、と言うと失礼になるが、物語性がはっきり出ていて、筋がわかりやすいものだった。

へぇ。タルコフスキー、恥ずかしながら未見。

位置: 708
増山さんのいいところは、優れた作品をくどいくらい熱く紹介し、自分の意見は滔々と述べるのだが、あとは勝手に吸収してくれとばかりに他者に何も求めないところだ。

曲者だけど、己の中のルールがあるんだな。
他者の意見の尊重というのは好感が持てるけど、増山さんはパワハラきついエピソード沢山あるね。

位置: 710
一流の作品であれ三流と思われるものであれ、良い点は良いと言い、悪いところはけなした。でもそれはあくまでも彼女の考えであって、相手が反論すると、「あっそ」とそれだけ言って、それ以上は何もない。

大人なんだけどね。そういうスタンスって確立するのって大変だよね。
このとき増山さんも若干20そこそこだとすると、すごいね。

位置: 903
生身の肉体を少女は愛さない。少女が愛する人形が生身とほど遠いことや、少女マンガに描かれる少女が体重を感じさせないのもそのせいだ。でも私は、生身の肉体が発する体温や、つないだ手と手に伝わる力が本来の人間らしさだと考えていて、好きだった。
当時、青年誌では、むしろ積極的に、重みや厚みや弾力のある身体性を意識したマンガが多くなっていた。 白土三平、 小島 剛 夕、 上村 一夫、 平野 仁 などが描く女性の、体重のある美しい身体が好きだった。

ふぅむ。白土三平くらいしか知らないけど。
しかし竹宮先生の絵もあんまり体重感じないけどな。

位置: 969
「私の旦那はさあ、港で働いてるのよ。私がね、マンガ家でデビューするって言ったら、親がびっくりしちゃってね。そんなもんになるんだったら、まず結婚しなさいって言うの。結婚してからなら、マンガ家だろうと何だろうと反対しないからって。で、マンガ業界とはまったく関係ない人だったんだけど」
「じゃあ、そのために結婚を?」世の中の親はいろんな手を打つものだ。
「そう、そのために。ついでに出産も」
すっごいなぁと、感心していると、急用ができたらしく、
「あなたさ、すまないんだけど、ちょっと出てくるから、この子見ててね」と言い残し、私が答える前にパッと外に出かけてしまった。

上原きみ子先生のエピソード。
こういうパワフルさ、気持ちいいよね。

たまにいて、結構苦手だったりするけど、パワフルなのは良いことだな、って。

位置: 1,036
掲載するための方法はひどかったのだけれども、マンガを描き始めたころからの悩み、押し入れに隠さなければいけないような、人に到底見せることができないように思っていた私の感性の一部を、読者に向けて、作品として昇華させることのできた瞬間だった。
やはり私は、少年同士の魂と身体のふれあいが好きなのだ。

そういう瞬間のために生きている、と思っている人、いるだろうな。
あたくしもかつてはそういう瞬間が欲しくて生きていましたね。

今はわりとどうでもいい。

位置: 1,286
1970年代少女マンガが、なぜヨーロッパ志向なのか? これについては、外国のマンガ研究者からもよく質問が出る。当時、創刊間もない『anan』『non-no』ではヨーロッパ特集が立て続けに組まれていた。ある人から当時の日本女性に反米意識が根強く残っていて、アメリカに対する抵抗があったことも遠因にあるのでは、という指摘を受けたことがあるが、そういうことがあるかどうかはわからない。

わからないことはわからないとする、竹宮先生の態度に好感。
なんとなく好きなんだもん、ってのが本音じゃないかしら。

研究者はすぐ系統立てて理論立てようとするけどね。

位置: 1,294
文化の多様性や歴史ということでいえば、実際にはヨーロッパのほうがはるかに広くて重層的なはずだ。私がフランスにこだわったのは、たとえばフランス映画にクロード・ルルーシュ監督の『男と女』や、ジャック・ドゥミ監督の『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』があり、それらの映画に繊細さと高い質感を感じ取っていたからだと思う。

確かに歴史や重層的なものを求めようとすると、どうしても欧州ということになりますわな。今でもそうだ。でも、本当はどこだって重層的なんだけどね。産業革命以降やたら強くなった欧州の影響がここにもか。

位置: 1,332
萩尾さんは、そんな光景をニコニコと見ながら、いつものようにスケッチブックを持って手を動かしていた。萩尾さんはもっぱら、「もっと精神的な方向を突き詰めたい」と言っていた。まだこのときは生まれていないけれど、『トーマの心臓』(『週刊少女コミック』)のユーリの悩みみたいなものを指していたのかもしれない。影響を受けたであろうヘルマン・ヘッセの作品観を貫いている感じがした。

萩尾望都さんの怖さってこういうところかね。
しかし、萩尾先生は先生で、色々思うところがあって、ってのはまた後日の話。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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