教養とはかくも腹が減るものか『柳家喬太郎 江戸料理 平らげて一席』

読んでいるうちに腹が減る。いい本です。

江戸落語に出てくるメシを掘り下げる素晴らしい本。
『居残り佐平治』の何気ないメシのシーンとか軍鶏のシーンとか、腹減るんですよねー。
ちりとてちんなんか、腹がグーグー鳴る。

p32
串にさして焙り、焼き目を付けた団子に甘辛い砂糖醤油の葛餡をかけたのが「みたらし団子」。これは古くは京都の下賀茂神社の例祭の折、氏子たちが作って神前に供えたのが始まり

そうなんすか。下賀茂神社はみたらし団子の祖でもあるわけだ。いよいよ下鴨にいく理由ができた。北野天満宮のちかくの焼餅もうまいんだよなー。

p45
フグの旬は秋の彼岸から春の彼岸まで。特に落語『ふぐ鍋』を生んだ大阪は、「フグを食べないと正月が来ない」というほどにフグが好きな土地柄だ(中略)一方、フグの本場の下関では刺身「てっさ」で楽しむのがむしろ主体。

大阪に行ったことがほとんどないので、あまり大阪の食文化を知らんのです。
そいえばふぐ鍋食べてないな。てっさは何度かありますけどね。
関東じゃやっぱりフグよりブリとかだもんね。

 江戸の握り鮨は、当初は屋台のもので、オヤツ代わりに食べるような性質のものでもありながら、 同時に、おいそれと挑めるようなものでもなかった。僕はかなり贅沢品に近い江戸のファストフー ド、だったんじゃないかという気がします。先の『双蝶々』の長吉とお光のやりとりは、圓生師匠が 演出効果を高めるためにこしらえた台詞だとしても、そこにリアリティはあるはずですから、鮨はやはり庶民が普段食べるようなものではない。ある意味のご馳走ですよ。
僕が思うに「江戸っ子=鮨」というのは、戦前から戦後にかけて一世を風靡した二代目・広沢虎造 の浪曲の影響じゃあないかと。かの有名な『石松金比羅代参・三十石船』のなかに、例の台詞がある じゃないですか。
「江戸っ子だってねえ」「神田の生まれよ」「食いねえ、食いねえ、鮨食いねえ」ってやつ。あれが日本じゅうに広まって、「江戸っ子=鮨」という思い込みが、みんなのなかに定着しちゃったんですよ、 うん(笑)。

いるんですよ、よく。「寿司なんざファーストフードだ」って。江戸通がね。でも落語には出てこない。なぜか。いろいろ考えて調べもしましたが、喬太郎師匠の言い分がしっくり来ますね。いくらくらいの値段だったのかしらね。

p79
ところで、明治の文豪・森鴎外の大好物は「饅頭茶漬け」だったそうだ。餡入りの饅頭を割ってご飯に乗せ、上から茶をかけて、旨そうに食べるのが常だったという

こういう作家のプライベート大好き。鴎外も甘いもの好きだったんですねー。女と甘いものが大好き。なんて書くと陳腐か。

p115
桜餅にも二種類ある。元祖「長命寺桜もち」に倣って、小麦粉生地で餡を包むのが江戸流の桜もちだ。関西風の桜もちは、蒸かしたもち米を干して粗めに挽いた粒状の道明寺粉で生地を作る。こちらは平安時代に考案されていた、椿の葉で包んだ道明寺粉の団子「椿餅」が原点という。

妻が道明寺が好きでね。あたくしは桜もちですが。
違いがようやくはっきりしました。

教養とはかくも腹が減るものなり。あぁ、振り返るだけで腹減った。

p137
平安時代の貴族は鰯を嫌ったが、『源氏物語』を書いた紫式部は、実は鰯が大好物。夫の藤原宣孝に隠れて食べていた。ある時見つかって「鰯みたいな下魚を!」となじられたが、こんな和歌を詠んで反論している。
<日の本に はやらせ給う 石清水 まいらぬ人は あらじとぞ思ふ>。京都の石清水八幡宮に”イワシ”をかけて詠んだ和歌だ。イワシミズに詣でたいと願わない人がいないように、こんなに美味しいイワシを食べないのはどうかしているとうたったのである。

こういうのをね、居酒屋かなんかでさらっと語れる男になったら格好いいだろうな。
ま、無理だし気障すぎるんだけども。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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