『ヴェニスの商人』感想1 今読んでも全然面白いじゃん

古典は今読んでも面白いものと当時読まれて面白かったものとありますが、これは前者だと思いますな。

元々、劇なので、わざわざ本で読むことはないようにも思いますが。映画で十分かも。

位置: 105
世の中にゃあ、ミルクの上にべったり張りついたクリームか、さもなきゃあ、溜り水に浮かんだ青ミドロみたいなシケた顔をして、意固地にむっつり押し黙っている手合いがいる。なんのことはない、ただ世間から、知恵がある、重厚だ、思慮が深いと思われたがっているだけのこと。「われは賢者なり。吾輩が口を開く時には、犬ども、黙って拝聴せよ」とでもいわんばかり。いや、ほんと、アントニオさん、そういう連中のことなら、私しゃよぉく知ってんだ。

文字で読むとクドいね。劇だからね。
でも好きな言い回しだな。

位置: 123
アントニオ  今の話、何だね、ありゃ。
バサーニオ  無限に無意味な無駄話とでもいうところかな。ヴェニス中、あいつにかなうやつなど一人としてない。

会話劇を中心とした芝居、ってんじゃ落語とさほど変わらないね。

位置: 186
若い者の血気は、まるで春先の気のふれた野ウサギ。お年寄りの生真面目な教訓の仕組んだ 罠 など、平気で跳び越してしまうんだわ。

劇の独特の言い回し、好きだな。

位置: 197
ポーシャ  一人ずつ名前を言ってみて。私、それぞれ特徴を言ってみる。その口ぶりで、私の気持ちを言い当ててみるといい。
ネリッサ  では、まず第一に、ナポリの王様。
ポーシャ  ああ、あの方、まるでトンマな仔馬ね。御自分の馬のことしかしゃべらないんだもの。御自分で馬に 蹄鉄 を打てるのが大の御自慢でいらっしゃる。ひょっとするとあの方のお母様、鍛冶屋と何かあったんじゃないのかしら。
ネリッサ  じゃあ、次はドイツのファルツ伯爵。
ポーシャ  始めっからおしまいまで、しかめっ面 のしどおし。「吾輩が気に入らぬなら、どうぞ御随意に」とでもいわんばかり。冗談を聞いてもニコリともなさらない。齢を取ったら、きっとボヤキ専門の哲人にでもおなりでしょうね、若い頃から、あんなに 無 躾 なふくれっ面でいるんだもの。

悪口が冴えてるなぁ。上手い台詞回し。惚れ惚れしますね。

位置: 346
アントニオ  聞いたか、バサーニオ。悪魔も聖書を持ち出して屁理屈をこねるというが、本当だな。

そしてポリティカリーにアウトな発言。
当時は社会ぐるみでの嫌われ者だったのかしら。ユダヤ人についてのヘイトは歴史上数多くありますからね。単なる金持ちへの僻み以上のものを感じますね。

そしてシェイクスピアはその強いもの苛めに乗っかったわけだ。
今の尺度で当時の人間の倫理を図っちゃいけないとは思いますがね。

位置: 364
それとも、地面にはいつくばって、奴隷さながら声をひそめ、うやうやしげな、ヒソヒソ声で申しあげりゃあよろしいんで? 「旦那様、あなた、この前の水曜日、手前に唾を吐きかけてくだすった。これこれの日には、蹴飛ばしてもくだすった。またある時は、犬と罵ってくだすった。こうした数々の御親切のお返しに、しかじかの金、よろこんで、お貸し申しあげましょう」

いい皮肉だ。ヴェニスの商人の主役は紛れもなくシャイロックでしょう。
少なくとも彼の名は轟いている。

位置: 403
アントニオ  あのユダヤ人、キリスト教徒に改宗するかもな。親切心に目覚めた

それにしてもひどい言い草。

位置: 621
グラシアーノ  分っておりますですとも、バサーニオ殿。もしこの私めが真面目くさった 面 を作り、 畏まった口をきき、口汚く 罵ることなど、ごくたまにしかせず、ポケットには常に 祈 禱書 をたずさえ、物腰もまた慎しやかに──いや、そればかりじゃない。食事の前のお祈りには、信心深げに目を伏せて、溜息ついて「アーメン」と唱え、礼儀作法の定めはことごとく厳守し、礼節の道にはすべて通じた紳士として、どんな気むずかし屋のバアさんだって、絶対文句のつけようのない振舞いができぬようなら、以後、二度とおれ様を信用なんぞしてくれるな。
バサーニオ  さあ、どうなるか。ま、お手並を拝見するしかあるまい

大げさな物言い、嫌いじゃないよ。

位置: 649
ジェシカ  ああ、私って、なんて罪の深い女かしら、父親の娘であることを恥じるなんて! でも、たとえ血筋では娘であっても、心根まで娘ではない。ああ、ロレンゾ、約束を守ってね。そしたら私、この板挟みの境遇を抜け出して、キリスト教徒に改宗する。そして、あなたの、いとしい奥さんになる。

もうヘイトにつぐヘイトですな。
これをヘイトと思うのも現代人の感覚に過ぎませんが。キリスト教がそんなに偉いかね。

位置: 921
金の箱には何とある? 「われを選ぶ者、万人の求むるものを得ん」か。「万人の求むる」──とはつまり、「愚かなる大衆」の意味ではないのか? 愚かしくも、ただ目に見える外見以上は知ろうともせず、内実を探ろうともせぬのが大衆。それはさながら岩ツバメが、ただ家の外壁だけを見、風雨にさらされるのも 顧みず、巣を作るのと同じこと。やがて、かならず 禍 いの 報いを 蒙るに違いない。私は、万人の求めるものなど選びはせぬ。平々凡々の 輩 に加わり、無知蒙眛の大衆と同列になどなってたまる

「私は万人の求めるものなど選びはせぬ」という自信満々で失敗する笑い。
シェイクスピアは笑いを描くのもとても上手だ。

つづく。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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