『後世への最大遺物』はユーモラスな思想書だが、欲のかき過ぎでもある2

なんだか基督教の信者というよりは哲学者に近い感想を持ちます。

位置: 454
ルーテルが 室 のなかに入って何か書いておったときに、悪魔が出てきたゆえに、ルーテルはインクスタンドを取ってそれにぶッつけたという話がある。歴史家に聞くとこれは本当の話ではないといいます。しかしながらこれが文学です。われわれはほかのことで事業をすることができないから、インクスタンドを取って悪魔にぶッつけてやるのである。事業を今日なさんとするのではない。将来未来までにわれわれの戦争を続ける考えから事業を筆と紙とにのこして、そうしてこの世を終ろうというのが文学者の持っている Ambition であります。

エモい。感情に訴えるつよい文章ですよ。

位置: 548
われわれの文学者になれないのは筆が 執れないからなれないのではない、われわれに漢文が書けないから文学者になれないのでもない。われわれの心に 鬱勃 たる思想が 籠 もっておって、われわれが心のままをジョン・バンヤンがやったように綴ることができるならば、それが第一等の立派な文学であります。

文学マッチョですね。文化系マッチョ思想。キリスト教徒って、なんでか、こうなり易い印象があります。意思の弱いものに優しくない。

位置: 605
事業家にもなれず、金を溜めることもできず、本を書くこともできず、ものを教えることもできない。ソウすれば私は無用の人間として、平凡の人間として消えてしまわなければならぬか。 陸放翁 のいったごとく「 我死骨即朽、 青史亦無名」と嘆じ、この悲嘆の声を発してわれわれが生涯を終るのではないかと思うて失望の極に陥ることがある。しかれども私はそれよりモット大きい、今度は前の三つと違いまして誰にも遺すことのできる最大遺物があると思う。それは実に 最大 遺物であります。

お、いよいよ本題だ。なんです、先生?後世への最大遺物たぁ?

位置: 621
それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば 勇ましい高尚なる生涯 であると思います。

ず、ずこー!!!!生涯?

位置: 626
すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。

信じる者は救われる、そういう人たちだもんね。

位置: 630
もし今までのエライ人の事業をわれわれが考えてみますときに、あるいはエライ文学者の事業を考えてみますときに、その人の書いた本、その人の遺した事業はエライものでございますが、しかしその人の生涯に 較べたときには実に小さい遺物だろうと思います。

一歩間違えれば詭弁ですよ、君。
詭弁論部か。詭弁を弄するか。

位置: 678
彼はそのときは歴史などは抛りぽかして何にもならないつまらない小説を読んだそうです。しかしながらその間に 己 で 己 に帰っていうに「トーマス・カーライルよ、汝は愚人である、汝の書いた『革命史』はソンナに貴いものではない、第一に貴いのは汝がこの 艱難 に忍んでそうしてふたたび筆を執ってそれを書き直すことである、それが汝の本当にエライところである、実にそのことについて失望するような人間が書いた『革命史』を社会に出しても役に立たぬ、それゆえにモウ一度書き直せ」といって自分で自分を鼓舞して、ふたたび筆を執って書いた。

それってやっぱり、『革命史』が名著だからじゃないの?二度目の『革命史』を書くためには挫折を経なければだめだったってことかしら。

しかしこのトーマス・カーライルの逸話は面白い。絶望したときこそ、強い人間は輝く。

位置: 820
しかしそれよりもいっそう良いのは後世のために私は弱いものを助けてやった、後世のために私はこれだけの艱難に打ち勝ってみた、後世のために私はこれだけの品性を修練してみた、後世のために私はこれだけの義俠心を実行してみた、後世のために私はこれだけの情実に勝ってみた、という話を持ってふたたびここに集まりたいと考えます。

要領を得るような得ぬような。
わかるようで、わからん。
ただ、この人が宗教者というよりは文学者かペテン師のような魅力的な人だということは分かった。

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