猛省の様子すら可愛げ。
p98
「岡山ではいろいろ御世話になりました。よく御邪魔に伺いました」私は同じ事を繰 返しているのに気がついて居ながら、止められなかった。しまい頃には何を云ったか、 どうして結末をつけたか、はっきりしない。門を出て、小路を歩いていたら、泪が両方の頬を伝って落ちた。私は、何をしに行ったのだろうと思った。そうして非常にす まない事をしたと云う自責が強く起こって来た。私は、ただ自分の心に隠しておいてすむ事を、何の必要もないのに、勝手に自分に一種の情を満足させようとして、気の毒な未亡人に新しい悲しみをそそったではないか。私は始めから道徳を行う為に行ったのではなかった。礼儀を尽くしに行ったのでは猶更なかった。ただ私の故人を思う真心の為に行ったと自分で思っている。私はその心持を自分に向かって弁解する必要 も、証明しなければならない不安もない。けれども、その心を外に表わすのは、ただ 私の我儘と勝手である事に気がつかなかった。私は自分の道徳を利己主義で行なった 徳義上の野蛮人であった。私の漫然と持って行った花束の上に、子供を横抱きにした まま、俯伏せになってしまった未亡人に対して私は何と云って謝したらいいだろう。
動機が純粋だからといって何をしてもよいとは限らないということですね。しばしば人が陥るやつ。百閒先生もそうだったんだな。
百閒先生が書くと、文学的薫り高くかつ可愛く思えるから不思議。
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