『悩みどころと逃げどころ』感想 人間の器とは成長限界ではない

対談って恐ろしく読みやすいよね。

ちきりん、ウメハラ流「いい人生」の探し方。

月間200万ページビューの社会派ブロガーちきりん氏と、世界一のプロゲーマー梅原大吾氏の異色人生対談。「梅原さんは学校が嫌いで、授業中は寝てばかりいたという。それなのに私の周りにいる、一流大学を出た誰よりも考える力が凄い。いったいどこで学んだの? 学校の役割って何なんだろう……」。そんな、ちきりん氏の疑問から始まったこの対談は、「いい人生の探し方」にまで発展しました。
小さい頃からゲームという“人生で唯一無二のもの”に出あいながらも、「自分の進む道はこれでいいのか?」と悩み続けた梅原氏。一方、いわゆる“エリートコース”を自分から降りたちきりん氏は「頑張って、頑張って、それでもダメだったら、自分の居場所を探すために“逃げる”のも幸せをつかむ方法」と言う。立ち位置も考え方もまったく違う二人が、足かけ4年、100時間にもわたって語り合い、考え抜いた人生談義。学校で真面目に勉強してきたのに競争社会で行き詰まっている人、やりたいことが見つからなくて悩んでいる人必読! 今日から人生が変わります!

ちきりんさんってホント、疑問に思う力がすごい。
「そこ、そういう聞き方する?」っていう。質問力とでもいうのか、疑問の考え方、持ち方、聞き方がすごい。

そういう人の対談が、つまらないわけがない。

位置: 272
それから親だって、教育熱心で経済力がある家ほど、公教育をあてにしなくなってる。で、インターナショナルスクールに行かせるとか、夏はアメリカで教育系のキャンプに参加させるとか、ネットで勉強させようとか。そういう動きが出てるのって、彼らが「日本の公教育にはたいした価値がない」と思い始めてるからなんです。

まぁ、それはそうだね。あたくしの上の子は小3ですが、ぼちぼち差は顕著です。
あまり焦りとかはないけどね。

位置: 600
ちきりん  私はみんな同じように勉強するのは、小学6年生まででいいんじゃないかと思ってます。そこまでで読み書きとか四則演算とか、最低限、必要な勉強を終わらせて、あとはもう選択制にするから好きな道を走れと。

そうね。小6が限度でしょうね。
中学に入ったらその時に子どもたちと、色々と話したいな。

位置: 616
ウメハラ  後から変えてもいいから、わからないなりにとりあえず選んでみろと。
ちきりん  そうそう。自分が何をやっていきたいかなんて、考えたらわかるってものじゃないんです。いろいろ試行錯誤して、失敗して後悔して初めてわかる。だから特に好きなものはないって子ほど、「とりあえず決めてやってみる、それから判断する」っていうプロセスに追い込んだほうがいい。

「とりあえず決めてやってみる」ってのを10代の早いうちにやらせたほうが、あたくしも良い気がします。愚者は経験に学ぶ、というけど、誰だって経験からじゃないとわからないことあるよね。諸葛孔明じゃないんだから。

位置: 818
多様性を欠く組織では刺激が少なくて発想が拡がらないし、クローズドな環境って人間関係が固定するので、遠慮や上下関係が生じる。だから「遠くに行く」ためには、オープンで多様性に富んだ組織になることが必須なんです。でもその転換がなかなかできない。
ウメハラ  早く進むために最適化された組織は、遠くまで進むというレースでは力が発揮できないってことなんですね。

短距離型の組織か、長距離型の組織か。

大体、組織である以上は長距離を目指すものが多いだろうから、そのへんはわかって行動しないとね。

位置: 950
たとえば僕にとっての大切なプロセスって、安直な勝ち方を選んでいないか、常に考え、試行錯誤して新たな技を試し続けているか、その技を体得するために誰よりも努力してきたか──言い換えれば、ズルをしない、楽をしない、リスクを取ってチャレンジを続け、誠実に戦ってきたか、みたいなことなんだけど、市場ってちゃんとそういうプロセスを評価するんですよね。

これはいい指摘。エンターテイメント業界だからこそ、ってやつですよね。
勝てば良い、という人たちは数字が伸びない。たしかにそうかも。推しってそういうことかもね。

位置: 1,279
ウメハラ  とことんあがくと、自分という人間がだんだん見えてきて、これ以上は高望みなんだなとか、自分はもうここより上には行けないんだなっていう、位置づけが見えてくるんです。もともと運命的に与えられている「自分はこれぐらいの人間なんだ」っていう器の大きさがわかってくるんですよ。
ちきりん  その「これくらいの人間なんだ」っていう気持ちに対する納得感が高いことが、「いい人生だ」と感じられる理由になってるのね?
ウメハラ  そうです。

これはわかるなー。納得するプロセスを取れるかどうかで、結構幸せ度は変わりますよね。承認欲求こじらせたり、「こんなはずじゃ」つっていい年して迷ってみたり、しなくて済むかも。

位置: 1,333
ウメハラ  器って成長の限界ってことじゃないんですよ。この器が自分にとっての人生のフィールドで、つまりここが自分の領分で、その中で頑張ればいいんだなと確信できたら、すごく「いい人生」だと思うんです。

これは至言。器とは、成長の限界ではなく領分。

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ただ、ちきりんさんの言ってる〝逃げる〟っていうのは、ちょっと違う気もします。「自分で自分の居場所を創る」ってほうが、言葉として合ってるかもしれない。

逃げる、のがどうしても嫌な人にはそのほうが響くかも。あたくしは逃げも立派な計略だと思うので、逃げるでいいですけどね。

位置: 1,773
ウメハラ  前に「金は鋳造された自由である」というドストエフスキーの言葉を人から聞いて、そのとおりだなって思ったんです。たとえば1億円あれば、1億円分の自由が手に入る。その分、働かなくてもいいし、あればあっただけ選択肢が広がって、好きなことができる。
でも最近わかったのは、お金で手に入る自由っていうのは、物理的な自由なんですよね。精神的な自由に関しては、お金が入れば入るほど制限が多くなって、むしろ損なわれてしまうことも多い。
ちきりん  それはホント、そのとおりですよね。そんでもって私たちの定義でいえば、精神的な自由がなくなれば、「いい人生」から離れてくってことだもんね。

これも至言。お金で手に入る自由はあくまで物理的な自由。

精神的な自由はそれと、むしろ真逆の質すらあるという。あたくしもわりと感覚が近いな。自分にとってのいい人生とはなにか、しっかり考えることでしょうね。

位置: 2,026
ちきりん  それって人生も同じだなーと思って。
大人の役割とか、先生の役割って、本来は「こうやって遊ぶと、人生楽しいよー」って教えることだと思うんです。遊ぶっていうか、「こうやって過ごすと、人生楽しいよー」って。しかもクチで説明するんじゃなく、自分の人生を見せながら、子どもに人生の楽しさを示していく。

あたくしも、子どもたちにとって「人生の楽しみ方」を伝える人間になりたいですな。落語だの読書だので、楽しんでるなーってね。

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