進士 素丸著『文豪どうかしてる逸話集』感想 今ならさしずめYouTuber

文豪って、今で言うYouTuber的なものだと思うんですよね。迷惑系も箔がつく、とされている。どうかとは思うけど。

素晴らしい作品を生む人間が必ずしも素晴らしい人間とは限らないし、またそうある必要もない。
読んだらもっと好きになる、文豪たちのかわいくて、おかしくて、“どうかしてる”エピソードを、一挙ご紹介します。

【エピソード例】

  • 太宰治は、借金のかたに友人を人質に取られた経験をもとに『走れメロス』を書いたが、実際は全然走っていないどころか、友人を見捨てた。
  • 夏目漱石は、米が稲になることを知らなかった。
  • 谷崎潤一郎、佐藤春夫に奥さんを譲渡するも、「やっぱり返して」と言い出す。
  • 尾崎紅葉、友人を捨てた元カノを責め、バイト先に殴りこみに行く
  • 国木田独歩が田山花袋に作ってあげたカレーライス、ちょっと変
  • 梶井基次郎、泥酔して「俺に童貞を捨てさせろ!」と街中で叫び、友人を困らせる。 etc

でも「文豪なら許されるけどYouTuberならダメ」というダブスタは持ちたくない。

太宰治-人間失格そのままの人

位置: 211
とうとう太宰を見つけ出した檀。そこで見たのは、井伏鱒二の家でのんびり将棋を指している太宰の姿。
「あんまりじゃないか!」と荒ぶる檀に、太宰は一言こう言い放ったのでした。
「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」

まクソ野郎ですね。

こういう物の言い方するやつ、いるよなー。頭くる。

志賀直哉-動物大好きな”小説の神様”

位置: 308
大の動物好きで、犬、猫、 狸、羊、猿、兎、山羊、熊、亀、文鳥、アヒル、七面鳥、鶏、鳩、カラスなどを飼ったことがある。

狸、熊、カラスあたりは特殊ですよね。
育成日記みたいなのは書いてないのかしら。志賀の文章で綴られた日記、読んでみたい。

宮沢賢治-生前は評価されなかった、天才童話作家

位置: 407
そして、 21 歳の時に友人に宛てた手紙で「今年の春から動物食べるのやめます!」とベジタリアン宣言。
『ビジテリアン大祭』と題した童話まで書いた賢治は、それから5年間菜食生活を続けたが、ついつい肉食の誘惑に負けてしまい「今日私はマグロを数切れ食べてしまいました」とか「今日は豚肉と茶碗蒸しを食べました」とか、「今日は 塩鱈 の干物を(以下略)」など、特に送る必要もない「今日も誘惑に負けてしまいました」報告を友人に送り続けた。

全然興味ない報告を延々と送られる現象、あるよね。なんなんだろう。あれ、書いている人も「ニーズないだろうけど」と思ってんのかな。Twitterがあったら、めちゃ書いていただろうな、彼。

位置: 646
当時病床にあった子規が、ロンドンに留学中の漱石に宛てた手紙についてのこと。
その出だしは、「僕ハモーダメニナツテシマツタ、毎日訳モナク号泣シテ居ルヤウナ次第ダ」「実ハ僕ハ生キテイルノガ苦シイノダ」と、なかなか深刻で悲痛な手紙であるが、その最後は「トコロデ 倫敦 ノ焼キ芋ノ味ハドンナカ聞キタイ」となるものだから、混乱を避けられない漱石。
起き上がることすらかなわない病床で毎日号泣するほどの痛みと苦しみにあっても、つきることのなかった子規の食に対する興味とユーモアが表れている。

人生、40年も生きていると、たまにいるんですよね。バイタリティだの体力だのがめちゃめちゃ強いのに、しかし病気で臥せる人。子規もそのタイプだったのかしらね。あたくしも、病気になっても食欲衰えないタイプ。

谷崎潤一郎-強く美しい女性に踏まれたい人

位置: 1,116
佐藤と千代の関係を知った谷崎は「俺、せい子のこと好きだし、ちょうどいいや」と、佐藤に千代を譲ることを約束し、意気揚々とせい子に求婚したところ、「え? おじさんなに言ってんの?」とあっさりフラれる。
その後、「せい子にフラれたから、やっぱ奥さん返して」と言い出した谷崎に佐藤春夫が激怒し、絶縁状態に。これが世に言う「小田原事件」の全貌です。

この意外と軽佻浮薄なところ、谷崎の魅力ですよね。そりゃ春夫は怒るよ。

位置: 1,127
9年間の想いを成就させて死ぬまで千代と寄り添った佐藤はいいとして、このあと2番目の奥さんにすぐ飽きて不倫に走る谷崎、おまえ……。

純愛というのはその時限りでも純愛です。ロマンチストは厄介ですよ。

位置: 1,140
さらに松子の前夫とのあいだの長男の嫁(ややこしい)の 千 萬 子 には「薬師寺の仏の足の石よりもきみが刺繡の 履 の下こそ」という歌を贈っている(「仏の足に踏まれるより、あなたに踏まれたい」という意味)。
実際、谷崎は千萬子に頭を足で踏んでほしいと頼んでいて、
「話をしている最中に突然、まるで五体投地のように目の前にばたっとひれ伏して、頭を踏んでくれと言われたのです」
と千萬子が書き残している。

どう考えても異常者なんですが、よく歴史に残りましたよね。コンプラとかゆるい時代。長男の嫁とか、見境がないのもいい。

永井荷風-偏奇を貫いてひたすら遊郭通い

位置: 1,218
荷風が亡くなる間際まで書き続けた日記には、「正午浅草」という記述が毎日書かれている。
これは「浅草で昼食をとった」という意味で、荷風は1年365日毎日同じ店で「かしわ南蛮そば」を食べていた。
毎日お店に来ては一言もしゃべらず、食事が済んだらテーブルにお勘定の小銭を置いて帰る荷風に対してお店では、
「変なじーさんが毎日来るけど、注文は聞かなくていいから、かしわ南蛮を出すこと」
と言われていた。

こういう偏屈な人、たまにいるよね。一種のルーティンに固まる病なんだろうか。同じことをしないと落ち着かないって病気、あるんだよね。とはいえ、気持ちは分からないでもない。かしわ南蛮、美味しいもんね。

位置: 1,240
「人生に三楽あり、一に読書、二に好色、三に飲酒」と日記に記している通り、毎日のように浅草に通い、ストリップ小屋や私娼窟に出入りするようになる。

わかるわー。そのうち自分で娼館作って、のぞき穴作る話なんか、『二階ぞめき』と『人間椅子』の合体のようですごく好き。

コラム 文壇イチの女好き・谷崎潤一郎と文壇イチの変わり者・永井荷風

位置: 1,353
谷崎の初期作品『金色の死』を読んで作家を志した青年がいました。
推理小説の大家と言われる江戸川乱歩、その人です。当時の文壇にあって「谷崎信者」と言われる作家は多くいましたが、江戸川乱歩もそのひとりで初期の頃から谷崎作品を愛読していました。

これは分かるよね。通底するものを感じます。

位置: 1,359
谷崎に心酔していた乱歩は思い切って「ファンです! 色紙ください!」と連絡したり、谷崎と対談したくてあらゆるツテを使ったりしますが、相手は女にしか興味がない谷崎、結局ひとつも実現しなかったのでした。

これもいい話だ。仲良くならないところも、谷崎先生、裏切りません。

位置: 1,372
「そろばんも、字も読めないような人こそを愛した。そうした人は自分を利用しないし、特別扱いもしない」と言う荷風は、学のある人間が大嫌いで、まともな付き合いがあるのはストリッパーや夜の女ばかり。

奇人伝説に拍車をかける。ある種、自覚的だったんじゃないかな。

菊池寛-芥川賞、直木賞を設立した文壇の大御所

位置: 1,454
直木三十五と芥川龍之介という才能溢れた友人を相次いで亡くした菊池は、彼らの名前を後世に残すためにと、直木賞と芥川賞を作った。

友人だったんだね。エモい切り口。

川場は康成-目ヂカラが半端ない日本初のノーベル文学賞受賞者

位置: 1,516
ちなみに川端は、執筆の際に宿泊していた旅館の4年半分の代金を1円も払わなかった。

位置: 1,534
川端康成はいつもツケで飲み歩き、ツケがきかなくなると、編集者や作家仲間を呼び出して払わせていた。
そもそも川端は、最初から「金は天下の回りもの」という考え方で、「ある時は払い、ない時は払わなくてよい」とはっきりしていた。

これは有名な話。結構サイコパス味溢れますよね。

位置: 1,549
川端が自殺したあとには、集めた国宝、重要文化財など、約200点を超える美術品が残されていたが、方々に借金やツケも残されていた。

こういう人って、やっぱり作家にしかなれないタイプの人間なんでしょうね。そして自殺しちゃうんでしょうね。

横光利一-「文学の神様」と呼ばれた、文壇イチまじめな男

小説の神様だの、文学の神様だの、日本人は簡単に神を語りすぎる気もします。ま、そんくらい軽くみているということも言えますけどね。

位置: 1,584
横光は文章を書くこと以外なんにもできない男で、電話ひとつかけることもできなかった。
菊池寛と旅行に行った時は、切符を買ったり、といった雑用は全部菊池にやってもらった。

これも一つの障害、サイコパス味といえますかね。これがまじめにそうだってんだから、面白い。小説より本人のほうが面白いタイプじゃないかな。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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