『ブラック部活動』感想① 部活が好きだった人間として読む #ブラック部活動

まー、歪んでいるとはね、薄々気づいていました。

生徒の「自主的、自発的な参加」に基づく部活動。それはこれまで、「部活動を通した成長」「能力の向上」「友だちとの深い結びつき」など、教育的な文脈で語られてきた。
しかし、統計データや教師の声を繙いていくと、「子どもの成長のため」を免罪符に、大きな矛盾や教員の負担が覆い隠されていることが明らかになる。

教育課程外の活動である部活動は、本来教員の業務ではない。にもかかわらず、「教師が部活顧問をするのは当然」と見なされ、強制的に割り振る学校が大半。早朝から夜まで、土日も休まず活動する部活は多い。日本中の学校で行われている部活動のほとんどが、教師がボランティアで行う「サービス残業」に他ならない。
また、自主的な活動であるはずの部活動への「全員加入」を強制する、自治体・学校も決して少なくない。
法的・制度的な位置づけが曖昧なのに、子ども・教師の両方が加入を強制され、そのことに疑問を抱かない。保護者も「当然のもの」として教師に顧問として長時間の活動を求める。そのような部活動のモデルで成長していく子どもは、このような部活動のあり方を当たり前に思い、再生産していくことになる。

「教育」「子どものため」という題目の裏で何が起きているのか。統計データや子ども・教師の声の解釈から、部活動のリアルと、部活動を取り巻く社会の構造が見えてくる。ほんとうに自発的で、過度の負担のない部活動へ向かうための、問題提起の書。

よく聞くじゃないですか、教師はブラックだ、ってね。部活の顧問を二束三文で延々やらされる。「響けユーフォニアム」のファンではありますが、あれもそういう状況下でやらされていることを、我々大人は自覚しなければならないとも思うのです。

位置: 153
部活動は、みずから積極的に関わりたくなるような、価値ある活動である。生徒にとっても、先生にとっても、プライスレスの有意義な活動である。だからこそ、部活動には歯止めがかからない。

位置: 388
今日の部活動では、現実にはむしろ多くの先生や生徒がそのポジティブな効果を感じ取っている。部活動は、プライスレスの意義ある活動である。  だからこそ、部活動は、歯止めがきかずに肥大化していく。プライスレスだからリミットレス、これが部活動の姿である。グレーゾーンに置かれた部活動は、学校教育の一環でありながらも、自主的な活動として位置づけられているために、明確な制度設計がない。部活動のこの位置づけが、部活動の拡大を許してしまう。

いきなり確信です。そう、価値あるんです。楽しい。
下手したら、いや、下手しなくても、授業より楽しく、部活をするために学校に行っている人、少なくないでしょう。それはそれで授業に問題があるのですが、それはさておき。

位置: 378
もちろん部活動も学校教育の一環ではある。だけれども、それは教育課程外の付加的な活動であって、正規の活動ではない。正規の活動というのはつまり、教育課程内の授業のことである。  不思議なことに、学校では授業における勉強の成果が外部にアピールされることはほとんどない。模擬試験においてその学校の生徒が県内で1位をとろうが、学校全体の平均点が県内1位であろうが、それはまったく誇示されないのだ。  このように部活動は、学校がトップアスリートの養成機関かと思わせるほどに、学校の内外にその成果がアピールされる。

「部活偉い」ヒエラルキーね。仕方がない。人間関係はサル山ですから。わかりやすくほうが強い。

位置: 534
だがこの日本社会において、かつて中学校の全国大会が「ない」時代があった。  1948年3月のこと、文部省(現在の文部科学省)は「学徒の対外試合について」という通達を発出した。当時、全国的に頻繁に開催されていた対外試合を受けてのことである。通達では、対外試合に通底するいわゆる勝利至上主義が、生徒の発達を妨げ、その自主的な活動を阻害し、さらには経済的な負担をも生み出す。簡単に言ってしまえば、子どもの教育にとって、勝敗を競う対外試合の拡大は望ましくないということが主張された(関春南、1970「戦後日本のスポーツ政策─オリンピック体制の確立」『一橋大学研究年報経済学研究』 14:125-228頁)。

すでに1948年には全国大会が頻繁に行われていたという。すごいことですな。知りませんでした。野球くらいかと思ってた。

位置: 575
部活動が「評価」の対象になったことが、生徒にもたらした影響はきわめて大きい。部活動で競争に勝ち抜くことが、学校生活において重要な意味をもつようになり、さらにはそれが入試を通じて、自分の人生を大きく左右する。これが、部活動を過熱の一途へと導いたのである。

内申なんてどうでもいいじゃん、勉強したほうが効率的、と真面目な子ほど思えないものね。

位置: 616
しかしながら現実には、その自主的な活動であるはずのものが、実際には生徒全員の強制加入となっている場合が少なくない。  中澤氏らが実施した調査によると、2008年の時点で部活動の参加を生徒に義務付けている学校が、岩手県では 99・1%を占めている。県内ほぼすべての中学校で、全員が強制的に部活動に加入していることになる。そして岩手県ほどではないにしても、静岡県では 54・1%、香川県では 50・0%で、半数を超えている【表3-1】。

部活に強制加入って……そもそも間違ってますな。
まだそんな不条理が教育の現場にあることに、絶望を覚えます。都会的な感覚なのね、あたくしって。

位置: 837
教育界にはいつからか、「部活未亡人」なる言葉がある。夫(教員)が部活動指導に時間を奪われ、まるで夫がいないかのような立場に置かれた妻のことを指す。

位置: 910
2016年度では全国の中学校の 87・5%が、このいわゆる「全員顧問制度」の体制をとっている。  先に断っておくと、この「制度」は、厳密にはそう呼べるものではなく、「慣行」にすぎない。「制度」というのは、その集団を運営するために公認されている「きまり」である。他方で「慣行」とは、以前からおこなわれていること、という程度の意味である。

位置: 941
できる。部活動の指導に「全教員が当たることを原則」としている中学校は、1996年度は 57・0%、2001年度は 66・3%、2016年度は 87・5%と大幅に増加している【図4-3】。1996年度と2001年度の数値は、調査対象となった中学校が100校のみであるため、両者間の数値を厳密に比較検討するには慎重を要する(サンプルの決定方法は同一)。ただし2016年度の数値は全数調査(すべての中学校を調査)であり、かつ1996年度と2001年度調査との差が明らかに大きい。以上を総括すると、おそらくこの 20 年間に全員顧問制度の割合がかなり高まったと推定される。

サークル・ウィドウってか。ロックンロールも大概ですが、部活も同じか。とにかく先生も大変だ。生徒も大変だけど、あたくしは自分が働いているからか、大人の方に心配をしてしまいます。これじゃ教師、なりたくないでしょう。

いま、世間を賑わせている日大の問題も、結局、こういうことの延長線なんでしょうな。大学のトップが「相撲のことしかわからない」で、ナンバー2がアレじゃ、ね。でもこれが日本の縮図であるとも、思うんです。

難しいですな。稿を改めましょ。

The following two tabs change content below.
都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする