『推し、燃ゆ』感想2 鋭いねぇ。芥川賞。

どうにも生きづらいんでしょうね。
共感は、正直、出来ない。あたくしはそれなりに生きれる人だからね。

ただ、慮ることは出来る。あたくしもネジを2・3本外せばそうなる。

位置: 471
何度も書いて覚えるんだよという先生の言葉通りに、一から十まで何度も繰り返して書いても、どうしてかみんなのようにはいかなかったのを覚えている。

そういうことがね。あるんですよ。あたくしにも、社会生活を阻害しない程度にはあります。これがね、自分でマネージメントできるうちはいいんですよ。誰だって多かれ少なかれあるでしょうから。

子供とかがね、そういう目にあっているのかと思うとね。そういうところがあるんじゃないかと思うとね。どうも、やるせない。

位置: 496
姉が「ママは褒めないからだめなんだよ」と母から庇うようにして「ひい姉が教えるね」と言い出した。姉から教わったことでいまでも覚えているのは、三人称単数のエス、しかない。動詞にエスをつけると姉が大げさなほど褒めてくれ、忘れても根気強く教えようとするので、あたしは姉に丸をつけてもらう前に神経をとがらせながら何べんもエスがついているのかどうか確認して、全問正解した。が、それを我がことのように喜んだ姉が翌日に出してきた問題を解くときには、三人称のことはまるきり頭になかった。悪意はなかった。姉は失望をありありと滲ませながらへたくそに気を遣った。

姉に強く共感するんだよなぁ。あたくしも兄ですから。
褒めて伸ばすなんてのはただの応用理論なんですよね。理屈は確かにそうかもしれない。ただ実践は大きく違う。

位置: 508
姉は、あたしが大根を箸で持ち上げ、頰張るのを目で追いながら、「違う」と泣いた。ノートに涙が落ちる。姉の字は小さく、走り書きであっても読みやすく整っている。 「やらなくていい、頑張らなくてもいいから、頑張ってるなんて言わないで。否定しないで」

お姉ちゃんの未熟さも、結構あれよね。
まとも的な感じの立ち位置の人だけに、結構あれ。

響けユーフォニアムを思い出しますね。久美子はだめな子じゃなかったけど。
自分がだめな子だったら、子供がだめな子だったら、そういうこと、考えちゃうよね。

位置: 557
相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。

これはまさにアイドルを神格化する行為なんだろうな。
密教的という印象。

あんまり分からないんだよね、そういう感覚。

位置: 570
推しを本気で追いかける。推しを解釈してブログに残す。テレビの録画を戻しメモを取りながら、以前姉がこういう静けさで勉強に打ち込んでいた瞬間があったなと思った。全身全霊で打ち込めることが、あたしにもあるという事実を推しが教えてくれた。

全身全霊で打ち込めることをやる。それ自体は良いことなんだろうな。

いや、どうなんだろう。それで食っていけなかったら。

位置: 588
五位の椅子に推しが座っているのを観た途端、最下位だったのだと悟った。
頭のなかが黒く、赤く、わけのわからない怒りのような色に染まった。なんで? と口の中にぶつけるみたいに小さく声に出すと、たちどころにそれは、加速し、熱を持つ。前回推しは真ん中の柔らかそうな布の敷かれた豪華な椅子に座っていて、派手な王冠に戸惑ったようにはにかんでいた。柔らかく崩れるときの表情が珍しくてかわいくって、待ち受けにしたり何度も観返してはSNSに〈いとしい、かわいい、がんばったね〉って載せたりしていたのに、いま普通の椅子に腰をかけて脚を前後にずらし、司会者の言葉に相槌を打っている推しの顔はまともに見られなかった。

その、神格化したはずの推しが、結婚だのランキング落ちただのってときに、がっかりするのがよくわからないんだよな。いいじゃん。自分と一対一の関係なんだから。そこに満足すれば。ねぇ。

中途半端に社会的であろうとするスタンスが、下手に生きづらい理由なのではなかろうかと思ったりもする。

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