葉山嘉樹の『淫売婦』はプロレタリア文学……らしいよ

正直、これがプロレタリア文学なのかどうかと言われると、わかりません。

日本のプロレタリア文学を先導した作家、葉山嘉樹を代表する短編小説。初出は「文藝戦線」[1925(大正14)年]。後に同名の短編集が出版される。横浜のメリケン波戸場で三人の男たちに取り囲まれた若い船員民平は、連れ込まれた倉庫のなかで、体を壊したが、生活のため体を売らざるをえない、やせ衰えた若い淫売婦と出会う。嘉樹の出世作にして、日本のプロレタリア文学を代表する名作。

時代の流れがそうさせた、という気がしないでもないです。The Clashがパンクバンドとカテゴライズされるようにね。
でも筆者当人もプロレタリア文学界を背負っているつもりだったのかな。

今読むとプロレタリア文学というより匂いの強い私小説ですけどね。

幼い時から、あらゆる人生の惨苦と戦って来た一人の女性が、労働力の最後の残渣まで売り尽して、愈々最後に売るべからざる貞操まで売って食いつないで来たのだろう。  彼女は、人を生かすために、人を殺さねば出来ない六神丸のように、又一人も残らずのプロレタリアがそうであるように、自分の胃の腑を膨らすために、腕や生殖器や神経までも嚙み取ったのだ。生きるために自滅してしまったんだ。外に方法がないんだ。
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こういうところがプロレタリア文学なのかな。
悲劇的な境遇に酔っている感じすらしますが。

私は彼女が未だ口が利けるだろうか、どうだろうかが知りたくなった。恥しい話だが、私は、「お前さんは未だ生きていたいかい」と聞いて見る慾望をどうにも抑えきれなくなった。云いかえれば人間はこんな状態になった時、一体どんな考を持つもんだろう、と云うことが知りたかったんだ。
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私はボーレンへ向いて歩きながら、一人で青くなったり赤くなったりした。at location 291

私小説として面白かったですが、そこにプロレタリア感を感じるかと言われると微妙です。
弱者に寄り添うというスタイルは、クサ過ぎると洒落臭いですからね。
かの『蟹工船』も冒険活劇としては面白かったけど、そこに労働者賛歌みたいな風な空気を感じるととたんにいけ好かない感じになりますしね。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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