『阿Q正伝』にみる、悲しき書生魂 2

ただ頭でっかちなだけなのである。

位置: 1,062
こう言う人がいる──勝者の中には、敵が虎の如く、鷹の如くして、はじめて勝利の喜びを感じる人がおり、羊の如く、ひよこの如くでは、かえって勝利の喜びを味わえない、と。また勝者の中には、一切を征服し、死ぬ者は死に、降参する者は降参し、「 臣 は 畏れ多くも上奏申し上げたく」となると、彼には敵がいなくなり、ライバルがいなくなり、友人もいなくなり、ただ自分だけが最上位におり、ひとりで、孤独で、わびしく、寂しく、かえって勝利の悲哀を感じる人もいる。ところがわれらが阿Qはそんな能なしではなく、彼は永遠に得意気で、これが中国精神文明が世界に冠たる証拠なのかもしれない。
見よ、彼はフワフワ飛んで行ってしまいそうなのだ!

魯迅がこれを書いたのは1921年頃。
この作品で魯迅は「中国社会の最大の病理であった、民衆の無知と無自覚を痛烈に告発した」(ウィキペディアより)とされていますが、上記なんてまさにそれね。

位置: 1,084
中国の男というのは、本来大半が聖人賢者になれるのだが、惜しいことにすべて女によってダメにされてしまうのだ。 殷 は 妲己( 20) に滅ぼされ、周は 褒姒( 21) に潰され、秦は……歴史にはっきり書かれていないにしても、僕たちがそれも女のために、と仮定してもまったくのまちがいではないだろうし、 董卓は確かに 貂蟬のために殺されたのだ。

これも皮肉ね。董卓なんざ庇う人が居ないほどの悪党という風評なのに。

位置: 1,090
阿Qも本来は 正人君子[品行方正な人格者]であり、彼がかつてどんな大先生の教えを受けたか僕たちは知らないものの、「男女の別」にはこれまでも非常に厳しく、若い尼さんやにせ毛唐の 類 に対し異端排斥の正気をおおいに持っていた。彼の学説とは以下の通りである──およそ尼さんたるもの、必ずや和尚と不倫し、女が外を歩くとは、必ずや不良男を誘惑しているのであり、男と女が二人で話しているのは、必ずや悪事を企んでいるのだ。

とにかく偏見と高慢の塊。どこの世界にもいるんだ、こういうのが。
しかし辛辣だ。

位置: 3,596
このとき、大兄さんも突然顔が凶悪に変じ、大声を発した。
「みんな出て行け! 気が狂っていようと見せ物じゃないんだ!」
このとき、僕はもう一つ奴らの悪巧みに気づいた。奴らは改めないばかりか、あらかじめ気ぐるいという名前を僕に被せておく、という手をとっくに打ってあるのだ。将来食べてしまっても、平穏無事であるばかりか、そのことに好感を寄せる人さえ出てくることだろう。みんなで悪人を食べたと小作人が語るのも、まさに同じやり方だ。これが奴らの常套手段なのだ!

これは狂人日記。
まぁ、本当に狂ってますよ。どっちが?ってのがテーマなんですがね。

位置: 3,960
このように村上春樹と魯迅とは深い絆で結ばれており、とくに〈阿Q〉像は村上が魯迅から継承した主要なテーマである。たとえば村上は『若い読者のための短編小説案内』(1997)で本格的文芸批評を試みた時、阿Qに触れて鋭い批評を語っている。  魯迅の「阿Q正伝」は、作者が自分とまったく違う阿Qという人間の姿をぴったりと描ききることによって、そこに魯迅自身の苦しみや哀しみが浮かび上がってくるという構図になっています。その二重性が作品に深い奥行きを与えています。  そもそも村上には「Q氏」を主人公とする「駄目になった王国」(1982)という短篇小説がある。語り手の「僕」によれば、彼の旧友のQ氏は「僕と同い年で、僕の570倍くらいハンサムである。性格も良い。決して他人に威張ることがない……育ちもいい……いつもかなりの小遣いを持っていたが、べつに贅沢をするというわけでもない……」という好人物で、欠点だらけの日雇い農民「阿Q」とは対極である。しかし十年後に「僕」が再会するQ氏が、テレビ局の「ディレクターのような職」にありながら、市民的倫理も感性も失っているようすを読むとき、魯迅の読者はQ氏とは紛れもなく〈阿Q〉像の系譜に連なる人物であることに気づくであろう。 「Q氏という人間について誰かに説明しようとするたびに、僕はいつも絶望的な無力感に襲われる……それを試みるたびに僕は深い深い深い深い絶望感に襲われる」と冒頭部分で語られる「僕」の心情は、「阿Q正伝」冒頭の「いったい誰が誰によって伝わるのか……[僕の]頭の中にお化けでもいるかのようである……」という語り手の虚無感に通じているのではあるまいか。

上記はあとがき。
村上春樹と魯迅の比較。

魯迅の面白さは皮肉や虚無の面白さ。
これは読む人を選ぶね。

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