笑われていることに無自覚な人こそ面白い『帰ってきたヒトラー』

没頭している人ほど面白いってね。

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ベリーニ女史が立ち上がった。一同は即座に彼女のほうを見た。
「重要なのは」。ベリーニ女史が言った。「ここにいるあなたがたがみな、これまでの笑いの型に慣れきっていることよ」
鋭い指摘に一同はしんとした。彼女はさらにつづけた。 「すぐれた笑いの指標のひとつは、舞台の上の人間が下にいる観客よりもよく笑っていることよ。私たちがつくっているコメディ番組を見ればわかるでしょうけど、たいていの芸人は、自分がいきなりタガが外れたように笑いだすことで〈ここが笑いどころなのだ〉と観客がわかるようにしている。そういうことをあまりせずに淡々と話しつづけるタイプには、要所要所で笑い声を背景に入れてやるの」
「それが成功への定式ですよね」。これまで口を閉じていた男が言った。
「そうとも言えるけれど」とベリーニ女史が言った。この女はなかなか手ごわいと、私は感じはじめていた。「だけど、この先のことを考えてみて。思うにコメディの業界はもう、あるポイントに到達している。もう観客がそういうことを当たり前だと思うような、そんな地点まで来ているのよ。これから長期的に見て競争に勝ち残っていけるのは、決定的に新しい笑いのツボを自分で開拓した人かもしれないわ。そうじゃありません、ええと、ヒトラー……さん?」

ヒトラーは終始一貫して没頭していますが、おのれが笑われていることに対して終始愚かなくらい無知です。大真面目にやる結果が笑いにつながる。まさに王道喜劇。これこそエンターテイメントですよ。

簡単な笑いに終始しないあたりが素敵すぎる。

位置: 2,178
身じろぎするたび毛穴から心もとなさと経験の浅さが噴き出しているような若造たち。いったいどこのだれがこんな覇気のない連中に、わざわざ危ない仕事を任せようと思うだろう?

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ひるがえって現在の社会民主党を目にしたとき、私の目からはあやうく涙がこぼれそうになった。往時の社会民主党党首のオットー・ヴェルスや、汎ヨーロッパ運動を指導して何度も刑務所送りになったパウル・レーベらのことが、ふと頭に浮かんだからだ。やつらが愛国心のない最低のルンペンだったのは事実だが、彼らはそれなりに押し出しのよいルンペンだった。ところが現在のドイツ社会民主党を率いているのは、太った体をプディングのように揺らす金切り声の男と、肥育用の牝鶏のような女の二人なのだ。

劣等感が表にでている人間をこれほどまでにと思われるくらい扱き下ろす。
容赦ない姿が総統にはありますね。
フラストレーションがたまった人間には最高のエンターテイメントなんでしょう。利害が一致しているうちはこれくらい愉快な人間もいなかったんでしょうな。

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足を一歩前に踏み出す。聴衆は私が話を始めると思っただろう。だが、私は腕を組んだだけにとどめた。客席のざわめきは一瞬のうちに、さきほどの百分の一、いや千分の一ほどにも小さくなった。舞台で何も動きがないことに焦ったアリ・ジョークマンが滝の汗をかいているのを、私は目の端で認めた。彼は沈黙の真の力を知らない。そして、それをむしろ恐れている。それはひと目見ればわかる。彼は私がセリフを忘れたと思っているのか、いまいましそうに眉間にしわを寄せている。

ヒトラーは話芸にとても精通していたということでしょう。
「最初は喋るの上手くなれ、後々黙るの上手くなれ」とは三遊亭に伝わる極意だそうですが、まさにそれ。黙れる人ほど自分の話に自信があり、また上手い。

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やつらはたいがいが、まともな議論の通じる相手ではない。ヒムラーはかつて、親衛隊でそれをやろうとした。親衛隊の中で、正規の結婚で生まれた子どもにもそうでない子どもにも同等の権利を与えようとしたのだ。けれども、まるでうまくいかなかった。かわいそうなのは子どもたちだ。小さな男の子や女の子が婚外子だというだけで白い目で見られ、嘲笑の的にされ、ほかの子どもに取り囲まれてあざけりの言葉を浴びせられるのだ。公共精神のためにも、こんなことがいいはずはない。われわれはみな、同じドイツ人だ。たとえ婚外子だろうとそうでなかろうと。私はつねづね言っている。ゆりかごの中でも塹壕の中でも、子どもは子どもだ。彼らのことは、守り、世話してやらなくてはいけない。ことさらに言うまでもない、当然のことだ。いったいどこの卑劣な人間が、子どもをどこかに捨てて、素知らぬ顔で逃げ出したりするものか?」

冷徹な鉄仮面が急に人道的なことを口にする。これは非常に怖いことです。
ヤンキーが捨て猫に餌をあげているのと同じくらい危険なことです。

下巻に続く。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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