『食べ物のことはからだに訊け!健康情報にだまされるな』感想 直感との付き合い方

岩田健太郎さんの主張は受け入れやすい。だからこそ批評的に考える必要がありますね。

糖質制限食で誰でもダイエットできる! 断食すれば調子がよくなる! これを食べればがんがなおる! 食事によって健康になれるといった情報は数多く出回っているけれど、それらは本当に「効く」のだろうか? 巷にあふれる眉唾な情報を医学の見地から一刀両断して、「規則正しい」食事が実はあんまり体によくない可能性を検証する。情報があふれる時代に、何をどう食べたらよいのか迷っている人に向けた一冊。

自分の体の声を素直に聞いていたら、吉牛とビールばかりになりそうで。
あたくしは自分の身体の声に自信がない。食べたいものと身体にいいものは別、というほうがスッキリくる。

第一章 糖質制限は本当に体に良いのか?

位置: 108
ぼくが日本の会議に出席したり議長をやっていると、ひたすら自説を連呼するだけの出席者が多くてとても閉口します。結局偉い人の鶴の一声や、声の大きな人の恫喝的な態度、あるいは「その場の空気」がものを決めていくことが多いです。これは意思決定の方法としてはあまり優れた方法とはいえません。

場の空気で意思決定される、ってのは日本の文化ですから。

位置: 129
だから、アメリカ人の議論は非常にレベルが高いのですが、その議論が生み出した結論は、あまりぱっとしないのです。健康にまつわるアメリカの議論はとても高級なロジックを展開しますが、アメリカ人が際立って健康になったという話は寡聞にして聞いたことはありません(その逆はあったとしても)。
アメリカでも議論は目的化し、勝つことが全てです。だから、ここでも糖質制限食支持派は否定派を全否定ですし、その逆も同様です。

あっちの個性の衝突は、日本人には刺激的すぎる。
勝つことが全て、と言いたくなるほど。和をもって尊しとなすのは、日本の文化なんですね。

位置: 147
ただ、現実にはソクラテスは対話をすると言いながら相手の主張の揚げ足を取ってバカにすることが多かったようです。ヘーゲルの弁証法における「対話」も実際には、自分の心の中での葛藤がほとんどで、ヘーゲルさんは、実際には他人の意見をけっこうバカにしていたように思います。ヘーゲルは例えば、数学なんて劣った学問で哲学の方が偉い、とか西洋は偉くて東洋はダメ、みたいに他者を卑下する傾向がありました。

ソクラテスもヘーゲルも、人間的に優れていたわけではない、との主張。
今で言うひろゆき的な感じだったのかもね。

安易に人に喧嘩売るような生き方は、好きじゃない。

位置: 155
ぼくがイメージしている「対話」とは、大谷大学の鷲田清一教授がコミュニケーションについて述べているような対話です。それは、「相手の言葉を受けて自分が変わるような覚悟ができているような」コミュニケーションです。

対話していいのは変わる覚悟が出来ているやつだけだ、ってね。
マーロウもびっくり。だけど、実際そうだ。
己の意見のぶつけ合いだけじゃ、生まれるものが少ない。

第二章 健康「トンデモ」本の特徴

位置: 541
しかし、有名な科学雑誌の権威は借りたい。仕方がないので「トンデモ」な人たちは動物実験を引用します。ネズミ、サルといった哺乳類からショウジョウバエのような昆虫の実験も自説をサポートするのに活用します。先ほどのカロリーを減らすと長生きできる、もサルの実験です。
しかし、人間はネズミではなく、サルでもなく、ましてやショウジョウバエではありません。ネズミやサルやハエの実験はそのままでは人間には活用できず、必ず人間で再検証することが必須です。

それもそうだ。動物実験は程々に信用しないといけない。
近頃のワクチンでもよく言われてますね。

位置: 598
縄文時代の日本人の平均寿命は 10 代前半。全然長生きできないんです。よく「昔の日本人はがんにならない」とか「生活習慣病にならない」とかいう「トンデモ」がいますが、当たり前です。思春期にがんになることはまれですから。古代の日本人は「がんにすらなることができなかった」短命な人たちなんです。

平均なので、みんながみんな、ではないですがね。10歳までに死ぬ可能性もめちゃめちゃ高いしね。とはいえ、「昔の日本人は」主張はあたくしも嫌い。

第三章 「トンデモ」情報に振り回されないために

位置: 733
しかし前述のように、ここでいう「自然免疫」の「自然」とは英語のnatureのことではありません。「自然環境」という使い方をする「自然」とは別物なのです。
英語で免疫のことをimmunityといいます。「自然免疫」はinnate immunityです。innateというのは「生まれもった」という意味です。誤解を与えやすいため、「自然免疫」はあまりいい訳語ではないと思います。
「一般的な」免疫能力は獲得免疫と言います。英語ではacquired immunityといいます。この免疫能力は病原体が体に入ってきてから、その刺激により、「あとで」強くなる免疫能力です。

そこのところの整理はちゃんと出来ないとね。innateとacquired。違いは明確ですね。
『銃・病原菌・鉄』でも言われていましたが、獲得免疫は大切。その違いで絶滅した種は、思っているより多くいたわけですね。

位置: 760
「自然」「原始」「太古の昔から」といったキラキラワードは人を魅了しますが、古いこと「そのもの」が自然免疫の優位性をもたらすわけではないのです。

うちの妻に聞かせてやりたいね。
まぁ、他人は変えられないから、あまり気にしちゃ駄目だ。

位置: 850
内海氏は「100年前のがんの発症率は、いまの 10 分の1以下だったというデータがある」( 50 頁) といい、「昔はよかった」「現代はよくない」という印象を与えています。
この「昔はがんがなかった」というロジックは「トンデモ」健康本によく見られる主張ですが、しかし間違いです。
明治 24 ~ 31 年の平均余命は男性で 42・8歳、女性で 44・3歳でした〔* 10〕。大多数のがんは 50 歳以上の高齢者に発症しますから、寿命が短い時代にがんが少なかったのは当たり前

明治の人類は50歳になる前に半分が死んでいたわけです。まぁ、夭折率も相当なものなので、単純に結論は出せませんが、概ねそうでしょう。10分の1というのも、まぁ、妥当な数字ではないかと。

位置: 1,138
個々のエピソードは尊重しなければなりません。と同時に、「個々のエピソードを過度に一般化してはならない」のも事実なのです。
藤田氏個人が肉を食べて糖尿病がよくなり、体重が減ったというエピソードはよいでしょう。しかし、それが万人に適用できるかは厳密な臨床試験を必要とします(それが一般化というものです)。

もう●●ダイエットはやりませんね。走って痩せよう。楽になんて痩せられないと腹を括ろう。そう簡単にくくれないけど。

第四章 食べ物の「常識」を疑ってみる

位置: 1,283
現代社会においてもっとも問題なのは農薬でもなく(昔より減ってます)、糖質でもないとぼくは思います。現代社会で一番の問題はストレスです。約3万人が毎年自殺している日本社会が長寿にも関わらず「健康社会」と呼べないのは、多くの人が「苦行」をひきうけながら長生きしているからです。

一理あるかもですね。
自分は幸か不幸か、能天気なんで、あんまりストレス感じないんですけどね。

生きづらい人たちがたくさんいる、って実感はあります。

位置: 1,294
地中海食の効果がある理由としては、飽和脂肪酸が少なく、不飽和脂肪酸が多いこと、線維やビタミンが豊富なこと、魚に含まれるn‐3系脂肪酸が多いこと、コレステロールを下げるナッツが豊富なことなどが指摘されています。  しかし、ぼくが注目したいのは「地中海式食事をとる人はゆっくり、のんびり、こころ穏やかに食事をすること」だと思います(浦島充佳著『ハーバード式病気にならない生活術』マキノ出版)。せかせかと慌てて食事を食べると血糖値が上がりやすいですし、なにより楽しくありません。家族団らん、会話を楽しみながら時間をかけて食事をするのです。そういう要素も「地中海食」なのです。

あたくし、めちゃ食うの早い。がっついちゃうんですよね。
早く食わないと兄弟たちに食われる環境だったのが大きいと思うんですよね。

何でもせかせか食べちゃう。

位置: 1,380
日本は伝統的に農薬使用量の多い国でした。とはいえ、日本の農薬使用量は減っています〔* 17〕。化学肥料の使用量も年々減っているようです〔* 18〕。

うちの妻は農薬嫌いなんですよ。過剰な気もするくらいに。
心理的な要因も大きいと思うんですけどね。

第五章 食べる食べないを適度に考えるために

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†ためになる本もあるけれど
これまで問題のある本を取り上げてきました。それらとは異なり、南清貴氏の『じつは怖い外食』(ワニブックスPLUS新書) は非常に勉強になる本だと思います。外食産業の裏側を調査し、ハンバーガーの原価や回転寿司の「本当のネタ」など、安価な外食産業がどのようにしてその「安価」を維持しているのか、そのカラクリを明らかにしています。

何その本、ちょっと怖いんですけど。
あたくし、外食大好きだからなぁ。特にファミレス。

位置: 1,459
ただ、ぼくは先天異常の原因がコンビニ弁当だとは思いません。以下にその理路を説明します。
まず、1990年代のポストバブル時代にもコンビニ弁当やそこに付随する保存料、酸化防止剤、着色料、化学調味料は使われてきました。なので、そうした添加物が原因で2010年に先天異常が増えるというのは理にかなっていないと思います。

逆に、添加物じゃないという理由もまた、それほど強く否定できないのでは。
ま、とにかく沢山は食べないほうがいいのは事実でしょうね。

位置: 1,498
ぼくは医者として抗生物質を使いますが、ペニシリンはカビが作る「天然の産物」です。これ以外に、合成ペニシリンというものもあり、そこでは「化学の手」が入っています。しかし、人間の体も、抗生物質のターゲットとなる細菌も、「天然か人工か」なんて頓着しません。それをするのは我々の観念だけです。天然のペニシリンも合成ペニシリンも細菌を殺しますし、多くの場合、合成ペニシリンのほうが殺菌効果は高いです。また、ペニシリンはときにアレルギー反応を起こしますが、これも天然のペニシリンでも合成ペニシリンでも起きます。

何でも「自然、天然なら安心。人工は不安」という短絡的な考えはいかんですな。
実証に基づいて考えないとね。

位置: 1,741
ちなみに、携帯電話の電磁波も脳腫瘍との関連が指摘されています。しかし、後のメタ分析ではその関連は否定され、まあ朝から晩まで電話をするような生活を毎日何年もしないかぎりは、そのリスクは問題ないと考えられます〔*

これも昔は随分言われましたね。
今でも言われているんだろうか。携帯電話を胸に入れるのは危険、って真顔で言われたときもあります。とりあえず今の所生きてます。

第六章 『美味しんぼ』から『もやしもん』へ

位置: 1,980
『美味しんぼ』連載当初、高校生だったぼくはこのような雁屋氏の健康に対する態度があやふやで、ダブルスタンダードなのはあかんやろ、と思っていました。『美味しんぼ』は確かに面白い漫画だけど、健康に対する基準があいまいじゃないか、作者の主観次第であるものはよいといい、あるものはダメだと貶す、なんかそれって大人の身勝手じゃん、と思っていたのです。

『美味しんぼ』の安全性への配慮不足の件ですね。
生肉や酒にはやたら寛容、反面、タバコや生魚には厳しい。

位置:1984
大人は身勝手、主観に基づいたバイアスのかかった態度を人間は取ってしまうものなのだと。その一例として雁屋氏の『美味しんぼ』があるのだと。

要するに、雁屋氏の人生観からすると化学調味料や農薬のリスクは何が何でも許容できず、酒を飲みすぎるリスクはまあ、どうでもよいのであると。
それは客観的、医学的には正しい態度ではありませんが、一人の人間はたいていそういう身勝手な基準で健康基準を作っているのです。

ほんとね。誰もが公正じゃない。
自分すらも誤っている可能性がある、という認識で生きることでしょうね。

位置: 2,015
主観をもとに漫画を作る権利は、どんな漫画家にもあります。だから、雁屋氏に「医学的な正しさ」を要求するのは筋違いです。風評被害、風評被害といいますが、たかが漫画に踊らされて健康・医学的な判断をしてしまう人々のほうがどうかしています。雁屋氏が風評を作っているのではありません。風評は個人が作るのではなく、複数の人々が作り上げるものです。

とはいえ、科学的な間違いはそれはそれとして指摘されても仕方がないとも思いますが。『美味しんぼ』ほどの影響力があるマンガなら、批判も引き受け、その受け方すらも評価されるべきだと、思います。

位置: 2,054
『もやしもん』はまず、農薬を否定しません。全肯定もしませんが。
すでに述べたように、消費者は無農薬野菜を要求するけど、いざ「自分たちも草取りを手伝ってください」と言われるとすぐに怯んでしまうのでした。要するに無農薬野菜は自分はなんの苦労をしなくても、(私たちではない) 農家の人たちが汗を流し、がんばればできるんだ、と「他人事」としてとらえていたのですね。

他人事だからこそ、です。うちも生協で無農薬野菜をいただいていますが、完全に「他人事」です。申し訳ない。

位置: 2,077
『美味しんぼ』でも『もやしもん』でも、通底しているのは、「自分で判断する大切さ」です。しかし、「自分で判断しろ」と言っておきながらわりと雁屋氏の個人的な主張が強かった『美味しんぼ』でしたが、『もやしもん』ではかなり乾いた、より価値相対的な見方ができるようになっているとぼくは思います。 21 世紀的な、成熟した態度で、ぼくは日本人は 80 年代に比べるとずいぶんましになったのだな、と好意的にこの変化を見ています。

80年代は結構、大雑把な時代ですからね。
あたくしの記憶にはほとんどありませんが。

聞くと結構、今じゃ駄目なこといっぱい。それだけ、21世紀は成熟してきた、とあたくしも思います。しかし、退化していると考える方々も沢山いる。

位置: 2,094
適切な量のタンパク質、適切な量の糖質(炭水化物や砂糖など)、適切な量の脂肪、適切な量のミネラル、適切な量のビタミンは難しいものです。どんな食事も過剰にとりすぎるのもとらなすぎるのもよくないです。極論は危険なのです。栄養とか健康の議論は、白黒はっきりしたものではなく、「どのくらいグレーか」の程度の問題なのです。
しかし、その「程度」は人によって異なります。
漢方診療ではこれを「証」と呼んで昔から患者の個体差を診療に組み込んできました。

個人差は結構あるよ、と。
だから、自分のカラダに聞け!ってわけですね。

位置: 2,164
すでに述べたように実証主義的医学は帰納法を活用しますが、帰納法は「だいたい正しい」けれども「確実に正しい」とはいえないからです。

個体差との誤差はどれくらいなんかね。
それが気になるところではありますね。

位置: 2,182
「事実」はカント的に言えば「物自体」であり、それは人間にはたどり着けないものかもしれません。しかし、近づくことは可能です。まっとうに「物自体」に近づくためには、まっとうな主観と客観の融合が必要なのです。

さすが、そのとおりだとは思いますが、しかしムズカシイことをおっしゃる。
いずれにせよ、どっちかだけじゃ駄目ってことですね。

位置: 2,204
「見るのではなく、観察するのだ(Don’t just see, OBSERVE)」とホームズは言います。そういうことなのです。

そういうことか、ってなるよね、読むと。

位置: 2,294
みんなで食べると食べ方が「ゆっくり」になるだけでなく、楽しい気分で食べることも可能になります。楽しく食べるのも健康食の重要なポイントです。

はい。気をつけます。ゆっくり食べられないんだよなあ。

位置: 2,519
それは必ずしも万人に感得されるものではないかもしれませんが、スタンダール的には「the happy few」に感じ取っていただけると幸いです。

自分がその幸福なる少数に入れてるかどうか。
そもそもはシェークスピアが言ったとも言われてますね。

いやぁ、岩田健太郎さんの本は読みやすい。
しかし、だからといってこれを正しいと鵜呑みにしてはならないという旨の本でもありますね。

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