落語のリズムが『苦役列車』にはある

作者の西村賢太氏が落語好きだそうです。どおりでリズミカル。

読者を選ぶとは思いますが、あたくしは好きだな。品はないけど矜持があって。

位置: 11
曩時北町貫多の一日は、目が覚めるとまず廊下の突き当たりにある、年百年中糞臭い共同後架へと立ってゆくことから始まるのだった。
しかし、パンパンに朝勃ちした硬い竿に指で無理矢理角度をつけ、腰を引いて便器に大量の尿を放ったのちには、そのまま傍らの流し台で思いきりよく顔でも洗ってしまえばよいものを、彼はそこを素通りにして自室に戻ると、敷布団代わりのタオルケットの上に再び身を倒して腹這いとなる。
そしてたて続けにハイライトをふかしつつ、さて今日は仕事にゆこうかゆくまいか、その朝もまたひとしきり、自らの胸と相談をするのであった。

『坊ちゃん』の出だしのような軽やかさ。口語のリズムが文章にあります。今日日、「曩時(のうじ)」なんて言葉使う人、西村賢太氏とその陶酔者くらいしか居ないんじゃないかと思います。すてき。どこか使わせたくなる魅力のある文章。

他にも「仕様ことなし」「鱈腹」「気嵩(きがさ)」なんて文学作品でしかみたことないような言葉が好んで使われているのが本著の特徴。格好いいし真似したくなりますね。

位置: 169
所詮、根が全くの骨惜しみにできてる彼

この「根が〇〇にできている」ってフレーズも中毒性高い。

位置: 310
だから、これはもしかすると、その時点ではまだ父の犯した罪の内容を詳細には知らされていなかった貫多と違い、彼女の方では十全に把握していた上で、あえて無視したものなのかも知れなかった。女子児童と云えど、小学五年ともなればかの罪状の浅ましさ、許しがたさにすでに敏感になっている頃でもあろうし、担任教諭の擁護も空しく、最早貫多を性犯罪加害者の子とのみ眺め、女特有の本質的なデリカシーが欠如した、単純な嫌悪感からの腹芸を披露したものなのかも知れなかった。

相手を貶めるためだけの言葉が矢鱈と出てくるのがこの著者の作品の痛快で痛ましいところ。読んでいて心がすぐ下衆くなります。トリップできる。

位置: 371
バイトの期限終了日なぞに、たまさかそれらの者と飲みに行っても酔えばつい相手を小馬鹿にしたような失言を発し、それがやがて暴言へ発展して摑み合いとなり、そして最早それっきりになってしまう。逆に、こちらから好感を抱いて友達づきあいを望み、遊びにゆくのを誘っても、先方には先方の小世界があるらしく、見るだに陰気で薄っ汚ない感じの貫多とは、バイトの場以外での交流は全く図ってくれぬケースも多々あった。

これねー泣けてくるな。
あたくしも大学時代新聞配達をやっていたクチですんで、なんだかこう、あの時代を思い出してしまいました。同僚はスタバだのフレンチレストランだの、だったな。

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