『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』感想 いささか乱暴では

飲茶さん?とおっしゃるのでしょうか。
有名な方らしいですが、あまり解説書として好きにはなれず。

古代インド哲学・仏教・老荘思想・禅…、あらゆる東洋哲学は、融合と変質を遂げながら、なぜ東へ東へ伝わり、日本にたどり着いたのか?
釈迦・龍樹・老子・道元…、「真理(最強)」を自称する、恐るべき東洋の哲人たちが起こした奇跡とは?

とことんわかりやすい言葉で、哲学の面白さを存分に伝える、最強ナビゲーター・飲茶氏による、待望の東洋哲学入門書。
大反響を呼んだ『史上最強の哲学入門』に続き、今回も「バキ」シリーズで絶大な人気を誇る板垣恵介氏がカバーイラストを描き下ろした。

「え? なんのために東洋哲学は「東」に向かったかって?
そんなの決まっておるじゃろう?
おぬし(読者)に会いにくるためじゃよ!!」(本書より)

ロマン主義的な書き口、嫌いじゃないですけどね。
刃牙が大変にお好きなよう。そのあたりが、あまり合わないのかな。

位置: 166
ここが、東洋哲学と西洋哲学が根本的に違うところである。つまり、東洋哲学は「ゴール(真理)を目指す」のではなく、「ゴールした」ところからスタートするのである。

?そうかね。解脱を目指すのでは?

位置: 191
たとえば、ある日、ちょっと哲学してみようと思い立ち、そのときブームの哲学者の本(サルトルとか、ニーチェとか)を手に取ってみたがまったくもってチンプンカンプン、入門書ですらよくわからない、というのはありがちな話であろう。が、それは、テレビドラマでいえば、いきなり一八話から見て「わからん」と文句を言っている状況と同じである。ドラマの一八話は「一話から一七話まで」を前提に作られているのだから、一八話から見たってそもそもわかるわけがない。

位置: 198
しかし、逆にいえば、きちんと一話から順番に歴史を追いかけて、「全体的な流れ(この人がこう考えたから、次の人はこう考えた)」を踏まえつつ、各時代における「問題意識」「専門用語」などを学んでいけば、いつかは理解に達して西洋哲学の本がすんなり読めるようになっていく。
結論として、「西洋哲学は難しい」と言っている人の多くは、理解するための手続きを踏んでいないだけであり、単純に楽しみ方を知らないだけだということである。
その一方、東洋哲学はピラミッド型であり、いわば、いきなり最終回からはじまるドラマのようなものである。つまり、「犯人はこいつです」とクライマックスの結論からはじまるのだ。そして、その最終回の一話だけで放映は終了。なぜそういう結論に達したのか、その根拠や導き出した過程はいっさい明かしてはくれない。一方的に結論を述べたあげく、多くの謎を残したままドラマは終わってしまう。

そういう言い方は斬新だな、とは思いますが、果たしてその解釈どうなの?とも思います。
「東洋哲学」「西洋哲学」という大きな主語も気になりますしね。
ブッダも孔子もひとまとめ、なんでしょうか。

位置: 214
釈迦 や 老子 といった偉大な東洋哲学者は、たしかに何ごとかを語ったが、たいていの場合、言葉少なく、明確な根拠も、綿密な思考過程も明かしてはくれない。だから、後世の人々は、その少ない情報から、「釈迦が到達した真理(悟りの境地)って、きっとこういうことだったのかなあ」と推し量らなくてはならない。しかし、当然、人それぞれで解釈は違うのだから、時間とともに、その解釈は膨大なものとなっていく。もはや何が正しくて、どれがホントウのことを言っているのかわからない。学べば学ぶほどわけがわからなくなって

確かにそんな感じ。だからリテラシーが必要になる。

位置: 227
しかし、それは入門書を書いた人が悪いのでも力量がないのでもない。そもそも、東洋哲学とはピラミッド型の構造の学問であり、ピラミッドの頂点にいるやつにしかわからないような代物なのだ。だから、前者のように、ピラミッドの長大な底辺(各宗派)を網羅的に詳しく解説するか、後者のように、ピラミッドの頂点を「わたしたちにはとてもそんな境地は無理ですが」と遠くから見上げて当たり障りなく称賛するかのどちらかにならざるを得ないのである。

東洋哲学ってのはピラミッド型なのか?そんな天下一武道会的なものなのかしら。
言いたいことはスマートだけど、腑に落ちない。

ブッダについて知りたくて読んだけど、あんまり肌に合わなかったので途中で挫折。ちょっと乱暴なくくりの気がしますけどねぇ。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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