『自分ごとの政治学』感想 平易だが思考を整理するのに丁度いい_1

まさに平易。ちょっと自分には平易すぎて物足りないくらいかなーと読み始めは思いましたが、どうしてなかなか。いいですよ。

位置: 36
政治とは、「簡単には分かり合えない多様な他者とともに、何とか社会を続けていく方法の模索」であると考えています。

夫婦生活、ってことか。違うか。

位置: 86
実は、この言葉の起源は、フランス革命にまで 遡ります。一八世紀末、それまでの絶対王政を倒して国民主権の国家を成立させた市民革命ですね。その革命開始後に開かれた国民議会で、議長から見て左側に座っていたのが急進的な革命派、それに対して右側に座っていたのがいわゆる守旧派、旧体制を 擁護 する立場を取る人たちでした。これが、やがてそれぞれ「左派」「右派」と呼ばれるようになっていくのです。

議長からみて、ってのがいいよね。議会を見ている人じゃなくて。

位置: 137
神ではなく理性によって私たちの存在が定義できるのであれば、その理性に合致するかどうか、つまり「合理性」が非常に重要な価値観であることになります。

合理性の理は、ずっと理科、科学だと思っていたのですが、違いました。理性なんだそう。なんだ、あくまで感覚ですか。ちょっとがっかり。

位置: 197
そのように、ある特定の過去に対する回帰の念が強いのが、原理主義の特徴です。日本の右翼も同じで、万葉の時代、あるいは天皇の 大御心 にすべてが包まれていた世界へと回帰しよう、国体(天皇を中心とする国のあり方) を取り戻そうといったいい方がしばしばされます。

なるほど。回帰の念ね。
でも近ごろの右翼はもっと多様化している気もする。あれは右翼ではないのかしら。

位置: 211
保守思想の父といわれる、エドマンド・バーク(一七二九~九七) という人物がいます。アイルランド出身のイギリスの政治家で、フランス革命が起こった後、多くの人が「国民国家の誕生だ」と熱狂する中、『フランス革命の省察』(一七九〇年) という本で、フランス革命を厳しく批判しました。

バーク氏の主張である「人間の理性はそれほど完璧ではない」というのはあたくしも強く同意するところであります。理性だの本能だの、あまりに信じすぎている。

位置: 228
過去に生きた無数の人々によって積み重ねられ、長年の歴史の 風雪 にも耐えて残ってきた経験知や良識、伝統や慣習。そうしたものの中に、実は非常に重要な叡智が存在するのではないか。それを無視し、「抜本的な改革」などといって物事を一気に変えようとする発想は、理性に対する過信、自分たちの能力に対するうぬぼれではないかと考えたのです。

古典が好きなあたくし。それはある種の歴史の風雪への信頼ですな。
バーク氏の主張はもっともな気がします。

位置: 238
大切なものを守るためには、むしろ変わっていかなくてはならないというわけです。バークはこれを、「保守するための改革(Reform to conserve)」という言葉で表現しています。

ま、よく言われる老舗の味は変わっているってやつですね。

位置: 246
だから今の状況から何も動かさないという、反動的な考え方も取りません。常に世の中の変化に合わせて、 漸進 的(gradual) に変化していくことが大切だと考えるのです。この「永遠の微調整」こそが、保守の本質だと思います。

いい言葉だな、永遠の微調整。
だから抜本的とかいうのは保守ではないのか。難しいね。今の日本に本来の意味の右翼ってのは思ったより少ないのかも。

位置: 251
今の日本では、政治的な立ち位置を「保守 vs. リベラル」という対立軸で語ることが多いようですが、私はそれは違うのではないかと考えています。リベラルを「すべての人の自由を尊重する」ことだとするならば、保守はリベラルに非常に近接した考え方だと思うのです。

なるほど、腑に落ちる。

位置: 265
しかし私は、二〇世紀の後半ごろから徐々にその意味が失われ、現在ではほぼ失効していると考えています。現代の思想や政治の状況は、「左」「右」という概念ではとらえきれません。
その最大の理由は、「人間の理性」という価値観をもっとも重要視してきたはずの左派の人たちが、現代では必ずしもそうとはいえなくなっているからです。

右が色々なら左も色々。
なるほど、そうかもしれない。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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