他人が得するのが嫌だという感情を『苦役列車』で確かめる

この人の旧仮名遣いのような漢字が、漱石とか好きな自分には矢鱈と好ましく思えたりします。面魂(つらだましい)、奇貨、些か(いささか)、口吻、購める(もとめる)、襤褸(ぼろ)切れ、僅々(きんきん)、無聊(ぶりょう)、やたけたな(=やけっぱちな)、横臥・仰臥、慊りない(あきたりない=満足できない)……なかなか昔の作品じゃないと出てこないですよ。

位置: 662
「大丈夫。ぼくに任しておけ。おめえがカッパみてえに泳ぎに明け暮れてた間、ぼく、黙々とその辺は開拓しといたんだから。何せこちとら、十五のときから風俗まみれだよ」
莞爾と笑った貫多は、そうした台詞を吐く自分がとてつもなく誇らしく思えてくるのである。

風俗通いが誇らしい、という時点でかなりの社会性です。男性社会でのみ通用するやつ。
莞爾と笑う、の最も不遜な使い方ですね。

こういう価値観、あたくしも男子校でしたから知らなくもないですが、年々ダメになっていきますね。たこつぼから抜け出せてきたということかしら。

位置: 842
ていた。  今頃、日下部は恋人と濃密な行為に及んでいるのかと思えば、これが何んとも羨ましくってならなかった。
久しぶりの邂逅と言っていたからには、それはさぞかし本能の赴くままの、慾情に突き動かされるままの、殆どケダモノじみた熱く激しい交じわりに相違なく、しかもその相手と云うのは素人である。素人の、女子学生なのである。
適度に使い込まれている、最も食べ頃のピチピチした女体を、彼奴は今頃一物を棒のように硬直させた上で、存分に堪能しているのであろう。
それに引き換え、この自分は心身ともに薄汚れた淫売の、三十過ぎの糞袋ババアに一万八千円も支払って、「痛いから指、やめて」なぞ、えらそうにたしなめられながらの虚しい放液で、ようやっと一息ついている惨めこの上ない態なのである。
「――理不尽だ」
独りごちた貫多は、次にふいと最前の糞袋の口臭が、腐った肉シューマイみたいだったのを思いだし、ブルッとひとつ、身震いをはらう。
「畜生。山だしの専門学校生の分際で、いっぱし若者気取りの青春を謳歌しやがって。当然の日常茶飯事ででもあるみてえに、さかりのついた雌学生にさんざロハでブチ込みやがって」

社会に対する呪詛がすごい。自分以外の人間が儲かる・モテるのが気に入らなくてしょうがないんでしょうね。わかる気もする。こういう尻の穴の小さい人間性は確実にあたくしの中にもあって、それを確認できるだけでこの本を読んでよかったと思えます。

位置: 875
この上は日下部のその恋人と云うのが、かの寿美代と同レベルか、或いはそれ以上の不器量な女であるのを願い、またそれは必ずやそうに違いないと無理にも思い込み、もって自らの心にせめてもの慰めをもたらしめるより他はなく、貫多はそれに年柄年中腹をこわして糞ばかりし、臍に悪臭放つ汚ないゴマをびっしり溜め込んでいる性病持ちの貧乏女、との負のイメージを勝手に塗り重ね、そんなのを彼女だなぞ言っていい気になってる日下部、と云う図を強引に思い描き、僅かに溜飲を下げようと試みたが、これにはやはり、すぐと虚しさが混じり込んでもくる。

結局留飲はそんなに簡単に下がらない。人間の感情の中で最も根深く厄介なのは嫉妬であります。これは間違いない。ここまで口汚く罵られるかは別にしても、やっぱり同じような気持ちが自分の中にはありますね。

位置: 984
「出たぜ。田舎者は本当に、ムヤミと世田谷に住みたがるよな。まったく、てめえらカッペは東京に出りゃ杉並か世田谷に住もうとする習性があるようだが、それは一体なぜだい? おめえらは、あの辺が都会暮しの基本ステイタスぐれえに思ってるのか? それもおめえらが好む、芋臭せえニューアカ、サブカル志向の一つの特徴なのか? そんな考えが、てめえらが田舎者の証だってことに気がつかねえのかい? それで何か新しいことでもやってるつもりなのか? 何が、下北、だよ。だからぼくら生粋の江戸っ子は、あの辺を白眼視して絶対に住もうとは思わないんだけどね」

世田谷や杉並への呪詛もすごい。笑っちゃいますね。

ちなみにあたくしは練馬の育ちなのは非常によくわかる。23区にも確実にヒエラルキーは存在して、確実に杉並や世田谷は練馬のはるか上でした。隣なのにね。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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