『坊っちゃん』感想② いい啖呵だねぇ #坊っちゃん #漱石

東京からきた人間、というのがいかに珍しかったか。

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団子がそれで済んだと思ったら今度は 赤手拭 と云うのが評判になった。何の事だと思ったら、つまらない来歴だ。おれはここへ来てから、毎日住田の温泉へ行く事に 極めている。ほかの所は何を見ても東京の足元にも 及ばないが温泉だけは立派なものだ。せっかく来た者だから毎日はいってやろうという気で、晩飯前に運動かたがた 出掛る。ところが行くときは必ず西洋手拭の大きな奴をぶら下げて行く。この手拭が湯に 染った上へ、赤い 縞 が流れ出したのでちょっと見ると 紅色 に見える。おれはこの手拭を行きも帰りも、汽車に乗ってもあるいても、常にぶら下げている。それで生徒がおれの事を赤手拭赤手拭と云うんだそうだ。

住田の温泉、というのがどこのことか気になりますが、いわゆる道後温泉のことかしら。確かにあれは立派だし、漱石ファンならずとも是非一度伺う価値のある場所。二階で涼むのも大変に古式ゆかしく風通しがよい。すぅっとする。

位置: 639
おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを 遣り込めた。「 篦棒 め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を 捕まえてなもし た何だ。 菜飯 は 田楽 の時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもなもし を使う奴だ。

おそらく若かりし頃に読んだときは気づかなかったであろう「菜飯は田楽のときより外に喰うもんじゃない」のセリフ。江戸っ子の啖呵なんだね。今ならわかる。この面白さ。口に出さないと分からないし、落語に通じていないとこれがギャグであることが分かりにくいでしょう。

位置: 654
罰 を 逃げるくらいなら、始めからいたずらなんかやるものか。いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたずらも心持ちよく出来る。いたずらだけで罰はご免蒙るなんて 下劣 な根性がどこの国に 流行ると思ってるんだ。

いいよねぇ、この了見。「何処の国に流行ると思ってるんだ」なんてね。言ったこと無いけど、いい啖呵だな。

位置: 819
マドンナだろうが、 小旦那 だろうが、おれの関係した事でないから、勝手に立たせるがよかろうが、人に分らない事を言って分らないから聞いたって構やしませんてえような風をする。下品な仕草だ。これで当人は 私 も 江戸 っ子でげすなどと云ってる。マドンナと云うのは何でも赤シャツの 馴染 の芸者の 渾名 か何かに違いないと思った。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして 眺めていれば世話はない。それを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。

位置: 854
一番槍 はお 手柄 だがゴルキじゃ、と野だがまた生意気を云うと、ゴルキと云うと 露西亜 の文学者みたような名だねと赤シャツが 洒落 た。そうですね、まるで露西亜の文学者ですねと野だはすぐ賛成しやがる。ゴルキが露西亜の文学者で、丸木が 芝 の写真師で、米のなる木が命の親だろう。一体この赤シャツはわるい 癖 だ。 誰 を 捕まえても片仮名の 唐人 の名を並べたがる。人にはそれぞれ専門があったものだ。おれのような数学の教師にゴルキだか 車力 だか見当がつくものか、少しは 遠慮 するがいい。

これもまるで落語。そういえば、春風亭柳昇師匠が「坊っちゃん」の落語をやっていた気がします。あれにはこんなシーン出てこ無かったと思うけど。「マドンナだろうが小旦那だろうが」「ゴルキだから車力だか」ってね。

位置: 951
考えてみると世間の大部分の人はわるくなる事を 奨励 しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な 純粋 な人を見ると、 坊っちゃんだの 小僧 だのと 難癖 をつけて 軽蔑 する。それじゃ小学校や中学校で 噓 をつくな、正直にしろと 倫理 の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で噓をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世のためにも当人のためにもなるだろう。赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ仕様がない。清はこんな時に決して笑った事はない。大いに感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツよりよっぽど上等だ。

清のモデルは奥さんの鏡子さんだという説がありますが、だとするとこのシーンなんて良いじゃないですか。清を登場させずに、離れていて、あくまでそれで引き合いに出す。なかなかぐっとくるシチュエーション。

位置: 1,160
なるほど狸が狸なら、赤シャツも赤シャツだ。生徒があばれるのは、生徒がわるいんじゃない教師が悪るいんだと公言している。 気狂 が人の頭を 撲り付けるのは、なぐられた人がわるいから、気狂がなぐるんだそうだ。 難有 い仕合せだ。活気にみちて困るなら運動場へ出て 相撲 でも取るがいい、

もうカッカしてる。漱石も書きながら筆が踊ったんじゃないかしら。気持ちいいものね、啖呵を書くのって。

位置: 1,165
おれはこう考えて何か云おうかなと考えてみたが、云うなら人を驚ろすかように 滔々 と述べたてなくっちゃつまらない、おれの癖として、腹が立ったときに口をきくと、二言か三言で必ず行き 塞 ってしまう。狸でも赤シャツでも人物から云うと、おれよりも下等だが、弁舌はなかなか達者だから、まずい事を 喋舌 って 揚足 を取られちゃ面白くない。

位置: 1,203
何らの源因もないのに新来の先生を 愚弄 するような軽薄な生徒を 寛仮しては学校の 威信 に関わる事と思います。教育の精神は単に学問を授けるばかりではない、 高尚 な、正直な、武士的な元気を 鼓吹 すると同時に、 野卑 な、 軽躁 な、 暴慢 な悪風を 掃蕩 するにあると思います。もし反動が 恐しいの、騒動が大きくなるのと 姑息 な事を云った日にはこの 弊風 はいつ 矯正 出来るか知れません。かかる弊風を 杜絶 するためにこそ吾々はこの学校に職を奉じているので、これを 見逃がすくらいなら始めから教師にならん方がいいと思います。私は以上の理由で寄宿生一同を 厳罰 に処する上に、 当該 教師の面前において公けに謝罪の意を表せしむるのを至当の所置と心得ます」と云いながら、どんと 腰 を 卸した。一同はだまって何にも言わない。赤シャツはまたパイプを 拭き始めた。おれは何だか非常に 嬉しかった。おれの云おうと思うところをおれの代りに山嵐がすっかり言ってくれたようなものだ。

この山嵐が、後日「坊っちゃん」の刊行されたものを読んで「元職場の悪口を言いふらすなんて良いことじゃない」と日記に残した、なんて話がありますが、どうなんでしょ。山嵐、本物はどんな人物だったのか。気になります。

先日、TVで「赤シャツの復讐」というTVをみましたが、なかなか良くできていました。関係ないけど。

位置: 1,237
おれは脳がわるいから、狸の云うことなんか、よく分らないが、蕎麦屋や団子屋へ行って、中学の教師が勤まらなくっちゃ、おれみたような食い 心棒 にゃ 到底 出来っ子ないと思った。それなら、それでいいから、初手から蕎麦と団子の嫌いなものと注文して 雇うがいい。だんまりで辞令を下げておいて、蕎麦を食うな、団子を食うなと罪なお 布令 を出すのは、おれのような外に道楽のないものにとっては大変な打撃だ。

きっと坊っちゃんはあたくしのことなど好きになってはくれないが、あたくしは大変にこの快男児が好きであります。ほんと。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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