『はじめて読む人のローマ史1200年』 ローマこそ古典

ローマ史っていい古典感がすごい。

ローマはこれだけのことを教えてくれる!「ローマの歴史のなかには、人類の経験すべてが詰まっている」(丸山眞男)──数ある文明のなかで、起承転結をこれほど完璧に見せた歴史はない。本書は、その1200年間を4つの時代に分け、「なぜ、ローマは大帝国になったのか」など7つのテーマを設けて、歴史の大きな流れとして見ていく。古代の同時代人から近代のイギリス、現代のアメリカまで、多くの国家・民族がローマ史を探究し、統治に活かしてきた。新たな覇権主義の様相を呈する現在の国際情勢。そのなかで、日本および日本人が進むべき道は何か──その答えは、ローマ史のなかにすでに用意されている。

「ローマの歴史のなかには、人類の経験すべてが詰まっている」、なんて格好いい響きなんざましょ。言われてみたい言葉ですよね。時代としちゃ(なんのこっちゃ)。

「S・P・Q・R」とは「Senatus Populusque Romanus(セナトゥス・ポピュルスクェ・ロマーヌス)」の頭文字を取った略称で、直訳すれば「ローマの元老院と国民」です。これは、古代ローマにおける国の主権者を意味しています。
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アントラーズの『spirit of zico』みたいなもんかしら。
ちょっとルーツがあるってカッコイイですよね。落語で言う亭号みたいな。『五代目小さんの弟子』みたいな。

現在、私たちが目にするローマ神話は「ギリシア・ローマ神話」と言われるもので、神々の名前こそ異なるものの、ギリシア神話と内容はほぼ同じものです。これは、もともと神々が登場する物語としての神話を持たないローマ人が、ローマ固有の神々をギリシア神話の神々と同一視することで、ギリシア神話を自分たちのものとした結果です。
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ローマというとキリスト教だと思ってしまいますが、それはコンスタンティヌス後ですな。それまでは多神教でギリシャ神話を持ってきていたんだって。なんか違和感。

こうして、ほぼ同時期に、共に独裁者を追い出したギリシアとローマでしたが、その後は大きく違っていきました。ギリシアは民主政を選択し、ローマは共和政を選択したのです。  確かに、すべての民衆が政治に参加する民主政のほうが、元老院貴族が主導権を握る共和政よりも、政治としては先進的です。しかし、その後を考えると、ローマの共和政は約五〇〇年続き、国土と人口を増やしましたが、古代ギリシアで最初に民主政を確立した都市国家アテナイは一〇〇年足らずで衆愚政治に陥り、再び政治は混乱しました。先進的だからといって、必ずしもうまくいくわけではないということです。  ローマがエトルリア人の王を追放し、共和政に移行したのは、外国人の支配を嫌ったという面もなかったわけではありませんが、それは外国人だからというよりも、ローマ人が単独の支配者を嫌った結果だと言えます。  そして、彼らが単独の支配者を嫌ったのは、独裁状態が長く続くと、人は独善的になりやすいことを知っていたからです。だから、非常時には独裁官を置くけれど、基本的にその任期は六カ月という短期に設定したのです。
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こういう合理的な考え方、素敵すぎます。
読んでいてワクワクする。
人間を理性的に考えるからこそ、こういう考えに至る。あたくしもどちらかと言うとそっちのケです。

ギリシャのペシミスティックでヒロイックな考え方も、それはそれでいいですが、ちょっと幼い感じがしますね。そっちのほうが気分的に好きな時もありますが。

読めば読むほど古代ローマの理性的で理知的で、それでいて誇り高き独立精神に惹かれる自分がいることに気づきます。素敵ね、ローマ人て。テルマエの効果もあってか、トランプ就任もあってか、共和政ローマへの感心は高まるばかり。

カエサルの人間心理を見抜く能力と、その心理に沿った言葉を選ぶうまさは類い稀なものです。カエサルより六歳年上で、彼のことをとことん嫌った共和主義者キケロでさえ、「弁舌でカエサルに敵う奴はいないのではないか」と述べています。  人並み外れた気前の良さと、すばらしい弁舌で人心をたぐり寄せたカエサルは、クラッスス死後の紀元前四八年、ライバルのポンペイウスを内戦を経て打ち破ることで、権力の座に上り詰めます。そして、かつて自分を粛清しようとしたスッラの前例を利用し、終身独裁官になり、自らに権力を集約させました。  しかし、民衆の絶大な人気を誇ったカエサルも、終身独裁官になってからわずか一カ月後の紀元前四四年三月十五日、最後は独裁を嫌うローマの常で、暗殺されてしまいます。政敵に暗殺されたとはいえ、その後、彼の若き養子オクタウィアヌスがその権力を引き継ぐのですから、やはりローマ市民はカエサルをこよなく愛していたのでしょう。
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ここで知っておいていただきたいのは、確かにこの三人はさまざまな悪行を行なっていますが、彼らを「悪」と裁いたのは元老院であって民衆ではない、ということです。  なかでも、ネロは民衆に人気がありました。
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実際、死後数年経っても、ネロの墓前には、民衆が供える花が絶えなかったと言います。  元老院からすれば悪しき皇帝も、民衆にとっては、自分たちに娯楽を提供してくれる愛すべき存在だったのかもしれません。at location 1947

また、カエサルやネロなどもローマへの興味を引きつける重要な千両役者ですな。個性的で大変によろしい。

悪名高いネロだって、民衆の評価は高かったんだそうな。このあたりは詳細に詳細に、読んでみたい。カエサルだって、ねぇ。帝政ローマの生みの親なわけで。

まとめ

別に学術的にやるわけじゃないんだから、と思って読む歴史書、とくに新書クラスのお手軽なやつは、大変に人生を彩らせてくれるいいコンテンツですな。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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