金沢城 本丸をあえて復元しない加賀の心意気よね

いい城なんだけど、地味なんですよねぇ。

 戦国時代、加賀一向一揆(本願寺)の本拠地だった「金沢御堂(かなざわみどう)」が1580年に織田軍武将 佐久間盛政に攻め落とされ、跡地に金沢城が建てられた。賤ヶ岳合戦で柴田側として戦った盛政は敗戦後に捕らえられ処刑。秀吉から金沢城を与えられた前田利家は近世城郭に改修し、後の加賀百万石の拠点となった。初期は天守が建っていたが落雷で炎上しその後は再建されなかったという。戦後から平成7年(1995年)まで城域は金沢大学となる。大学移転後は城址公園となり、現存する石川門・三十間長屋などの修復に加え、菱櫓〜五十間長屋〜橋爪門、河北門など城内の主要施設が次々と復元されている。
城めぐりチャンネル様より

やっぱり天守閣がないからでしょうか。

天守閣を建てない理由は、なんと「資料不足」。これが加賀百万石の心意気ですな。「いい加減な仕事はしない」っていうね。想像でもなんでも、建てりゃかっこつくのにね。それはしない。
なんせ焼けたのが関ヶ原直後ですからね。もう400年以上前から無いわけで。そりゃ資料もないか。

最近復元された五十間長屋などはきれいで清潔で観覧しやすくて。
これはこれでいいんですがね。

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