『先生と私』感想④ 分相応ってことか #佐藤優

読めば読むほど、佐藤優さんが才能と努力と運とを遺憾なく発揮したんだなと分かります。

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それだから、押し入れから蒲団を引っ張り出して寝るのは、だいたい午前4時少し前になる。それで、別に疲れが残るわけでもない。僕は3時間半くらい寝れば、睡眠不足にならない体質のようだ。

あたくしは今でこそ毎日6時間弱の睡眠で足りますが、かつては7時間スリーパーだったので、彼のような才能と運があったとしても、彼のように優秀にはなれなかったでしょうね。別にこれは悲観でも何でも無く、単なる分相応として処理することが出来る程度にはあたくしも大人になったということでもありますが。

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日本共産党が政権をとるようなことになったら、日本もソ連や中国のような息苦しい国になるという。僕は、漠然と、共産党とマルクス主義は一体だと思っていたが、伯父は「そうではない」と言う。マルクス主義は、むしろ社会党の考え方に近いのだという。僕は、何が何だか、よくわからなくなった。しかし、はっきりとわかったことがある。伯父は、自分の言っていることが正しいという信念をもっていることだ。  そういえば、教会の新井先生も、神様がいるということは確実だと信じている。そして、イエス・キリストがいつか復活して、僕たちを助けてくれると信じている。神様は、いるかいないかのどちらかだ。ということは、伯父と新井先生のうち、どちらかが間違えているということになる。僕には、どちらかが間違えていることを言っているようには思えなかった。

相反する論理的な思考と強い信念の前を前にすると、人間は迷います。そしてこれはおそらく結論が出ない。いかにして生きるか、というところに帰結するしかない解けない命題なわけです。

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数学や理科は、暗記科目ではなく、理解が重要だということを、中学校の先生は強調していたし、参考書にもそう書いてあるが、それは違う。理解できなくても、暗記さえしていれば、たいていの問題に答えることができる。逆に、いままで一度も出会ったことがないような問題については、とりあえずあきらめ、次回以降、同様の問題に遭遇したときには完璧に解くことができるようにした。英語、国語、社会科も、とにかく教科書を最低 20 回は読んで、全文暗記を心がけた。最初の数回は、読むことが苦痛だが、5回目くらいから内容がよく頭に入ってくるようになる。

最低20回ですよ。異常な努力量。やはりこの人はすごい。

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マルクス主義関係の本はそれなりに読んだが、どうも腹にストンと落ちなかったという。それは大学生になって、早い時期にアルベール・カミュの『異邦人』と『ペスト』を読み、その後、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を読んで、学生時代はニーチェの世界から抜け出すことができなくなってしまったからという。 「佐藤君、本には読む順番がある。特に哲学や思想に関する本の場合はそうだ。ニーチェのような本をあまり早く読んではいけない」

ニーチェは20世紀では、21世紀でもか、ラスボス扱いですからね。本には読む順番がある、いい言葉ですね。小学校で父親に勧められるがままに『三国志』や『あゝ無情』を読んでさっぱりだったあたくし。当時の自分に言ってやりたい。父にも。

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「そうだ。ニーチェは、自分の思想を含めてすべて宗教、哲学、思想はインチキだと考えている。それで最後は発狂してしまった」 「先生はニーチェが言っていることはほんとうだと思いますか」 「ほんとうだと思うよ。しかし、ニーチェのような思想は間違えている」 「どうしてですか」 「結論が早く出すぎる。ニヒリズムの立場をとれば、物事について何も考えなくてよくなってしまう。それは知識人として 怠惰 だ。勉強して、悩み、考えて、最終的に人間の根底はまったく空虚だという結論に至るのならば、それでいい。

先生、いいよ。そして佐藤優さんも素直に聞いている。「先生はほんとうだと思いますか?」聞けるようで聞けない。そして先生も素直に応える。本当の教育者だなぁと思います。

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どういう形でもいいから、自分の生活を担保できるような実務的知識も大学生の時代につけておくことが重要だ。これはいわゆる立身出世ということではない。自分の生活基盤を整えることができないと好きなことができない。佐藤君は、思想や哲学、それから社会問題について強い関心がある。それはいいことだ。しかし、実用的な勉強も重要だということもきちんと理解しておかなくてはならない。

全くそうだね。食えてから、の話。あたくしの友人でも学も教養もあるのに食うに事欠くとまではいかないが、糊するのに必死でそれより先になかなか行けない人間が少なからずいます。残念なことだと思います。

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「芥川龍之介の短編小説『蜘蛛の糸』は、ドストエフスキーの長編小説『カラマーゾフの兄弟』に出てくる『一本のネギ』の話の翻案で、現在の基準だと 剽窃 ということで問題にされるだろう。しかし、これはまったく別の芸術作品になっている。このような形で外国小説を翻案することこそいまの日本に必要とされている」

圓朝落語もそうかしら。『蜘蛛の糸』に原題があるとは知りませんでした。

またまた稿を改めちゃいます。

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