これもこれで受け入れがたい『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』

文章にエモさが入りすぎていて、これはこれで素直に受け取りずらい。

太平洋戦争末期に実施された“特別攻撃隊”により、多くの若者が亡くなっていった。だが、「必ず死んでこい」という上官の命令に背き、9回の出撃から生還した特攻兵がいた。その特攻兵、佐々木友次氏に鴻上尚史氏がインタビュー。飛行機がただ好きだった男が、なぜ、絶対命令から免れ、命の尊厳を守りぬけたのか。命を消費する日本型組織から抜け出すには。

「命を消費する日本型組織から抜け出すには」みたいなコピーつけられちゃうと余計引いてしまう。煽りっていうんですかね、どうもそういうのは好きじゃない。

鴻上さんは劇作家ですからね。多少物語に尾ひれがつくのは仕方がないとは思うんですよ。ただ、太平洋戦争の、特攻の、インタビューで、となると、ちょっと舞台劇的尾ひれのつけ方との相性が良くない。

まるであった事実のようにフィクションを話す。これはリアリティショーでいいんですが、ただその精度が混在しすぎていてどうも難儀です。事実と創作のラインを一定にしておこうよ、とは思いますね。

位置: 78
つまり、「振武寮」は、死ななかった特攻隊員を、外部に知られないように軟禁する場所だったのです。

こういうことを軍部というのはするとは聞いています。とにかくひどい。

位置: 87
大貫さん達喜界島から戻った 28 名は毎日、「卑怯者!」「おまえら人間のクズだ。軍人のクズ以上に人間のクズだ」と 罵声 を浴びながら、『軍人勅諭』を書き写すことを命令されました。「なぜ生きて戻ってきたのか」という反省文を書かされたこともありました。『般若心経』を筆写しろという命令もありました。
不時着は不可抗力だから反省のしようがない、こんなことをするぐらいなら、早く次の特攻機が欲しいと大貫さんが訴えると、激しく竹刀で殴られました。

意外とこういう殴る教官がね、のうのうと戦後も生きていたりするんだ。のうのうと、なんていっちゃいけないな。彼らだって仕事だったんだ。

こういうのってスタンフォード実験を思い出しますよね。

位置: 360
その姿を目撃した福島大尉は激しい怒りにとらわれた。よりによって、岩本を。航法の天才と言われた、最も優秀な操縦者を。体当たり攻撃を否定するために骨身を削って跳飛爆撃の鬼となっていた岩本を。
上層部に政治的な意図があるとしか考えられなかった。「跳飛爆撃」の名手岩本大尉が、陸軍の一番目の特攻隊になれば、「もはや特攻しかない」というキャンペーンになる。特攻を否定した岩本大尉が一番に特攻したのだから、誰も逆らえない。岩本大尉は、 人身御供 として選ばれたとしか福島大尉には思えなかった。

戦争継続こそが軍部の最高優先順位だったってのはどうやら間違いなさそうなんですよね。効率的に攻める、ということよりも。目的と手段が入れ替わる典型的なやつ。

位置: 386
「泣いてもいい?」と聞いた。夫は低い声で、 「いいさ」と答えた。和子は、夫が答える前にもう泣いていた。
和子は声をしのんで泣いた。泣き続けた。
夫は和子の肩を抱いたが、何も言えないらしく、黙っていた。
和子は思いのまま泣いてから涙をぬぐって、しゃくりあげながら言った。 「もう、明日からは泣きません」
その時、和子の手に熱い滴が落ちた。夫は急に立ち上がって電灯を消した。その闇の中に、夫のむせび泣く声がひろがった。
和子は飛びつくようにして夫にすがった。二人は抱き合って泣き続けた。

そんなの誰がみたの?和子夫人からきいたの?夫が残した?
これは創作でしょう。構わないんだけど、先のような事実と並行して書かれちゃうと混同しちゃうじゃない。

位置: 718
「もうひとつ、改装をした部分がある。それは爆弾を投下できないようになっていたのを、投下できるようにしたことだ」
佐々木達は、思わず息を飲んだ。そして、お互いに顔を見合わせた。信じられない言葉だった。

上意が明らかに間違っているから、現場の判断で改善したということですね。
ここが本書のタイトルにもなっているところ。自分は暴力装置で会って死ぬ装置ではないわけです。そこを混同されては困る。

位置: 1,055
翌 14 日、佐々木の生まれ故郷、石狩郡当別村も前日の大本営発表のラジオ放送を聞いて大騒ぎになっていた。
緊急に招集された村会議は万歳を三唱し、黙禱し、「神鷲の偉業を顕彰するための委員会」設置を可決した。佐々木の生家に、村の人々は、雪を踏み、馬そりに乗って、弔問に来た。
同じ日、第四航空軍に呼ばれた佐々木は「大本営で発表したことは、恐れ多くも、上聞に達したことである。このことをよく肝に銘じて、次の攻撃では本当に戦艦を沈めてもらいたい」と参謀から言われた。

軍神ですよね。軍神といえば芋虫を思い出しますが。
笑い事じゃなかったわけだ。

位置: 1,089
この日、佐々木の故郷、当別村はさらに大騒ぎになっていた。昨日より多くの弔問客が佐々木家を訪ね、日露戦争を生き延びた 64 歳の父親、藤吉は羽織袴、 60 歳の母親、イマは紋付きで迎えた。
この地区の最高の行政官である石狩支庁長が部下をつれてやってきた。藤吉は、「あれは、言い出したらきかん奴でした。泣いて帰ったら叱ってやるつもりでしたが、一度も泣いてきたことがござりませんでした」と気丈に答えた。
弔問の人達は、「友次さんはえらいことをなさりました」「これで友次さんは神様におなりなんした」と繰り返した。
ただ、友次が飛行機乗りになることに反対した母親のイマは、弔問の人達がいなくなると、おろおろして泣いた。神様になるより、生きて帰ってほしかったと心の中で思った。

イマさんの心の中の描写も、一体だれが見聞きしたんだろうか。いちいち言うと難癖になりますがね。

位置: 1,150
「佐々木伍長に期待するのは、敵艦撃沈の大戦果を、爆撃でなく、体当たり攻撃によってあげることである。佐々木伍長は、ただ敵艦を撃沈すればよいと考えているが、それは考え違いである。爆撃で敵艦を沈めることは困難だから、体当たりをするのだ。体当たりならば、確実に撃沈できる。この点、佐々木伍長にも、多少誤解があったようだ。今度の攻撃には、必ず体当たりで確実に戦果を上げてもらいたい」
天皇に上聞した以上、佐々木は生きていては困る。後からでも、佐々木が特攻で死ねば、結果として噓をついたことにならない。そのまま、佐々木は二階級特進することになる。上層部の意図ははっきりしていた。
佐々木は答えた。
「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。その代わり、死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」
伍長が大佐や中佐に向かって反論するのは、軍隊ではあり得なかった。軍法会議の処分が当然のことだった。

佐々木さんは腕があったのはもちろん、「簡単に死なない」という信念、さらには運があったから生き残れた。そういうことです。自分に3つともそろっているとは思わないほうがいい。「自分は生き残るんだ」という強い意志が勝つか、「生き残れるわけないから逃げよう」が勝つか。あたくしは後者を取るタイプの人間。

位置: 1,354
「体当たりをしないで、戦艦を沈めるにこしたことはない。しかし、特攻隊が体当たりしないで生きていたら、うるさいだろう」津田少尉は正直に聞いた。 「いろいろ言われますが、船を沈めりゃ文句ないでしょう」佐々木は人懐こい目を細くして、笑いを浮かべた。佐々木は、この頃には、同じようなことを上級下級の区別なく、また新聞記者にも率直に、公然と語り始めていた。誰がなんと言おうと、どんなに参謀達に怒鳴られようと、体当たりでは死なないということをはっきりと宣言しているかのようだった。

これは組織じゃ煙たがられるタイプですよね。あたくしはここまでの胆力はない。特攻したかな、ここにいたら。したかもね。軍には行きたがらなかったろうけど。仕方ない。人間、生きているだけで丸儲けだね。

位置: 1,576
ツゲガラオの将兵達は、怒りに身を震わせた。ガソリンが欠乏し、飛行機を飛ばすことは厳しく制約されていた。それを、冨永司令は無視した。さらに、特攻では直掩機も戦果確認機も出さなくなっていたのに、自分だけは、4機の隼を掩護につけた。
冨永司令の飛行機を整備した下士官は吐き捨てた。
「こんなやつが軍司令だなんて、盗人みたいなもんだ。軍司令官が逃げるんなら、俺達も台湾へ行きゃいいんだ。今度、台湾で見つけたら、冨永のやつ、たたっ斬ってやる」
儀式が大好きだった冨永司令は、特攻隊員を前にして、必ず、この言葉を繰り返した。「決して諸君ばかりを死なせはしない。いずれこの冨永も後から行く」

富永さんの主張も聞いてみたいね。本当に逃げたかったから逃げたのか。
軍法的にゃアウトでしょうが、個人的には笑っちゃうね。そういうもんだよ、人間。

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都内在住のおじさん。 3児の父。 座右の銘は『運も実力のウンチ』

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